二万石
出羽が欲しい。初めて思ったのはいつのことだったか……思い返してみるに、幼少の折に蝦夷を出たいと思ったときには既に理由など無しに本州への憧れがあったのだろう。次第にその理由が寒暖の差であり、石高の有無にあると明らかになり、安東家の御屋形様への挨拶に伺う度に差を見せ付けられては嫉妬のような黒い気持ちが募っていったのだ。
そうはいっても、いきなり出羽に攻め込む訳にもいくまいというのは理解している。檜山安東家の領地である出羽北部は秋田県に位置するところであり、我が蠣崎家が領する道南からはちと遠い。水軍の量・質ともに、いくらか劣ってしまってもいるだろうし。
自宅に戻ってマイこたつに入った俺は、更なる温もりと米を得るための方策を考えているところだ。
「出羽攻めは無理だよなあ」
近頃よく取引をするアイヌから送られてきた鷹の羽根を一枚、持ち上げてからそっと放すとゆらゆら舞い落ちる。
ならばまず考えるべきはやはりアイヌ衆のことであろうか。先祖のころより取引相手であり、時に戦相手でもある者たちだ。
そもそも渡島十二家は、各々が近隣のアイヌ衆と交易しつつ確実に沿岸部の支配地を増やしていくのが目的で檜山安東家から任ぜられたのが始まりである。本州から茶器やら酒やらを運んで来る商人と、仕留めた獲物の皮や、鮭や昆布を交換しようというアイヌ衆。この取引が盛んになればなるほど運上金と呼ばれる税を徴収するこちらはうはうは気分なのであるが、業突く張りの商人と相場を理解していないアイヌ衆とではしょっちゅう価格で揉める。これを放置して悪化すると、すぐに戦に発展してしまう訳である。
ここでの最大の問題は、当家が商人から集めた運上金はその半分以上を安東家に上納しているということにある。取り立てる税を下げれば足りぬと安東家から叱り飛ばされ、上げれば煽りをくらったアイヌが槍を向けてくる。双方の理解を得るために尽力しても結局当家に残るのは運上金の半分以下に過ぎないのであった。これはじいさんの代で当家の影響力が高まった代償なのだが言っても仕方あるまい。
今後の方針をいくつか考えてみるとしようか。
一.出羽攻め……前述のとおり遠い上に水軍力で負けている。更に本拠地を手薄にした場合、他の渡島十二家が欲を出して攻めてくるやも知れぬ。却下。
二.渡島十二家合同でアイヌ攻めひいては蝦夷全域の支配……寒いし米は育たないし、蝦夷全域を得たところで利は無いので却下。じゃがいもを輸入できればポテチ大名になれるかもしれないがどこにあるのか知らぬ。なお、じゃがいもを大量生産できたとしても米基準の評価の下では○万石のままである。
三.逆にアイヌと結び、渡島十二家を全て支配し渡島半島沿岸部の支配を確立、然るべき後に南下……既に当家は十二館の内の半数を支配しているし、渡島半島の沿岸部を支配するだけなら十分に可能なはず。嫡男の俺が自ら湊に顔を出し、揉め事の解消に努めるなどしてきたのもあって、関係良好なアイヌ衆もこの十年で増えてきている。まず不毛な蝦夷の地をささっと最低限だけ支配して豊かな南へ目を向けるというのは実に良い。
寒いし考えるのも億劫になってきたし、もうこれで良かろう。三に決定じゃな。
最後に三の方針をとるに当たって敵対することになる渡島十二家についてまとめたら寝よう……。
今更ながら十二館の位置だが、日本地図の北海道の尻尾のように垂れた部分、これが渡島半島でありそのうちの海岸線に集中しているが、これは前述のとおり交易拠点として湊付近に居を構えた形であるから当然だ。この内、最も北西にあたる花沢館を任されたのが蠣崎家であり、同時に上国守護に任じられていた。
百年ほど前にアイヌの猛攻があり、十二館の内の十館まで陥落・破却される事態となったが終戦後に返還され、その幾つかは再建された。予算の都合で再建されなかった館もあるが、それらも含めて地名の代わりに十二館と呼び続けている。館が返還された理由は単純で、アイヌとしても取引相手が全滅したら酒を飲めなくなるからである。
その後じいさんの光広の時代、戦のどさくさに紛れて松前守護の本拠であり渡島半島最南端に位置する徳山館(本州に近い重要拠点のため、大館とも呼ばれる)を手に入れ、こちらを本拠としたためここで俺や親父も暮らしている。徳山館の防衛力を強化するために隣接して建てられた勝山館には一門(血縁)で叔父の高広と従兄弟の基広が暮らしている。なお、元の本拠地花沢館は件の公には出来ない手柄の褒美として弓の名手・工藤祐致が城代となっている。
親父の義広の代でも謀略と武力によって城を奪い続けたことで道南の内の西部一帯は蠣崎家とその実質的な配下の所有となっており、今後アイヌと連携して東へ攻めるのは容易いように思われる。
残る守護は中部の茂別館の主、下国守護の下国家政のみ。周辺には他に五館の豪族連中がいるが大したことはない。その中で下国家の最大の味方といえるのは東部の宇須岸館(函館)を治める下国守護補佐の職に付く河野家である。
が、本来の河野家はすでにここにいない。
光広の代の戦で、宇須岸館はアイヌに攻め込まれて陥落、先代の河野政通は幼い孫娘を抱いて当家を頼って落ち延びてきた。政通の嫡男で当主になっていた季通は、二人を逃がすために館を守って亡くなっている。これを哀れに思ったか好機とみたかは知らないが、この時に守護補佐河野家の血を引く幼い娘が俺の許嫁とされた。これが俺の3歳年下の正室、ゆきである。
と、こんな感じなので、現在の宇須岸館にいる偽河野家は下国家の遠縁の者が勝手に継いで名乗っているだけなのだ。妻のためにも、将来の河野家当主となる次男か三男の為にも、偽河野家は必ず滅ぼすと決めている。
さて、こやつらの中部と東部を分断するためにも諸アイヌ勢力との協力が不可欠であるが、交易で多少なりとも価格譲歩してやればなんとかなるのではないかと楽観視しているがどうだろうな。もう一押し、俺が親アイヌの立場であると伝えることができれば完璧な気もするが。
「……」
こたつの魔力には抗いがたく……俺の意識は夢の世界へ旅立っていった。
※史実では古くなった花沢館を破却してその跡地付近に勝山館が築城されていますが、本作では主人公が外交でアイヌとの関係改善をしてきた結果北西部が比較的安全となったため、徳山館の支城として勝山館が築城されています。