二十万石
夏が近づく蝦夷・渡島半島において、蠣崎家は非常に困難な状況に直面していた。というよりも俺個人の命の灯火が消える日が、刻一刻と迫っていたのである。
七歳で下国家当主となった下国師季は、こちらの再三に渡る招待にまるで応じる気配がなかった。間違いなく証言前に暗殺されるのを恐れてのことと考えられる。
彼は予定では今日、当主交代の挨拶と俺の釈明の場での証言をするために検分役とともに檜山城へと向かうことになっているが、その際には徳山館にて一泊し、明日から俺も同行することになっている。そこが最後のチャンスだろう。
大人の話し合いをする機会を得られなかった為、このまま檜山城で証言をするとなれば師季君はあの日の真実を語るだろう。元よりあの少年を暗殺するつもりは毛頭なかった(というと誤りがある)が、既にあの蝦夷検分役が茂別館にて合流しているため、この時点で暗殺は不可能となってしまっている。
チャンスというのは、宴会を開いて彼の護衛を引き離した隙にでも二人で話す時間を作れないだろうか、もう一度嘘の証言をするように頼めないか、ということだ。
それから師季くんが招待に応じなかったからといって春から夏までの期間、斬首の可能性すらあるのに手をこまねいて待っていた俺ではない。蝦夷随一の武装商人であるニシラケアイヌにようやく接触が叶い、大規模な取引をしたいという俺の願いを聞き入れた彼の率いる大船団が、現在断続的に松前湊に入港しているところだ。
全ての船が揃うまであと二日はかかると思われ、ここに残していく家臣と商人には出来る限り取引相場の最終交渉を長引かせ、可能ならば同盟の打診もさせる。更に再建真っ盛りの禰保田館に徳山館から大量の人夫を送り込んでおり、松前湊は現在人手不足という状況を作り上げたため、荷の積み込みも含めて出港までに最低でも五日以上はかかると見込まれる。
ニシラケアイヌには事前にしっかりと蠣崎領内の取引相場と他家の相場の差を喧伝しておいたから、彼らは余所の湊には目もくれずに松前湊を目指していた。
アイヌの船団が他の湊を素通りして松前湊に集結していくという異様な光景は、間違いなく茂別館からこちらに向かってくる一行の目にとまるはずで、勘違いした検分役がしっかりと御屋形様に「尋常でない数の船団が集結しており、いま敵対するは危険」とでも伝えてくれれば、俺が処罰されるにしても減刑してくれないかなという期待がある。
逆にこちらが戦の準備をしているとして首を斬られるかもしれないが、ニシラケアイヌの船団と湊安東家の水軍を同時に敵に回す度胸が御屋形様には無いことを願っている。
「殿! 一際大きな船が近づいて参ります!」
その報告を受けて腰を上げた俺は、御屋形様をけん制してくれる切り札となるかもしれない男を出迎えるために、湊へと足を伸ばした。
湊についた大型船から降りてきたのは思いのほか背が高く、日に焼けた肌が健康的な若々しくみえるアイヌ人であった。聞いた話では四十歳を迎えたというが、狩猟生活で自然に鍛え上げられた実用的な筋肉と、それを美しく見せる長身の男。
誰に言われずともその身に付けた衣服の凝ったデザイン性と、首から右肩を越えて二の腕あたりにまでまたがって乗せた恐ろしい熊の頭部からして、ニシラケアイヌ首長その人であることは明らかであった。
「ニシラケアイヌ殿ですな。ようやくお会い出来て嬉しく思います。それがしが蠣崎季広に御座る」
「オオ! 蠣崎殿自ラ迎えていただくとは光栄デス。此度の商談が上手く纏まることを願っておりますゾ」
彼の硬い手に肩を掴まれた俺は、その細く引き締まった身体にグッと引き寄せられて熱烈なハグを受けた。そして背中を互いにポンポンしてから開放される。ハシタインのオッサンとたまに会う度にやられていたのが予行演習になったようで、まごつかずに済んだのはラッキーだった。
「長旅で御疲れでしょうから、まずはお休みになってくだされ。商談については配下の者に任せますが、そちらの船が揃ってからでも問題ありますまい」
「御心遣いに感謝スル。シカシ、まずハ湊を見て回らせて頂きタイ」
首長は狩人としての腕前も一流と見えるが、やはり商人としての血が騒ぐのであろう。すぐに湊で目新しい物が無いか物色を始め、どうやら何かを見つけたようである。
「コレハ……売り物なのデショウカ?」
首長が困惑の表情を浮かべつつ露天の商品の中で指差したのは彼らアイヌにとっては馴染みの品、アットゥシと呼ばれるアイヌの民族衣装であった。
木の皮をほぐし、より合わせて糸とし、これを織った布で仕立てられるアットゥシは、本来ならば部族毎の紋様や序列を示す特徴的な刺繍が施されるが、彼が示したアットゥシは全くの無地であった。
冬の戦のあとで正式に族長を継いだオタウシ、その妻のイアンパヌを人質として預かっていたのだが、彼女はあの戦の跡地から和人からは無価値とされて捨て置かれた数百人分にも及ぶアットゥシを集め、糸に戻して血を洗い流しては織り直すという地道な作業を娘と共に日夜涙を流しながら行っていた。
恐らくは死者を想いながらやっていたことと思うが、その悲しむ姿を気遣った正室のおゆきを含む多数の女房衆が声を掛けたことでアットゥシは瞬く間に量産されたのであった。
「ええ、実は冬の間に奥が暇を持て余した女房衆と共に作っておったそうで。紋様もまるで無い質素な物で恥ずかしい限りですが、着慣れていない我らとしてはこの方が気恥ずかしくなくて良いのです」
「ナルホド……?」
首長は首を傾げてはいたが、一応の納得は得られたようであるから良しとしよう。と思ったところで、露天の主と話していた首長の部下が驚きの声をあげたために周囲の注目が集まった。声をあげた男が首長に耳打ちすると再び困惑の表情が浮かんだ。
「そのヨウナ高値デ……?」
おっと、やばい!
大量に作りなおされたアットゥシであったが、既にそれを着るべきイアンパヌの同郷の者は相当の数が亡くなっていたために、彼女は大量の不良在庫を抱えることになってしまった。しかし誰かに着てもらいたいとの願いを受けたおゆきは俺や近しい者達にアットゥシを配り、それでも余ったものを商人に売りつけようとした。
そして、当然の如く認識の違いが生じた。売れるかどうかも分からないアイヌの民族衣装など買い叩くかいっそお断りしたい商人と、領主夫人の自分も大層な苦労をしたのだから高値で買い取れというおゆきの対立であった。
おゆきの場合なまじ商品知識もあるからたちが悪く、本州から買い付けている着物と同じほどの質があり保温性では勝るといって強気の値を提示した。そして平行線を辿る交渉に参った商人が俺に陳情してきたので、密かにおゆきの言い値の半額を俺の財布から出すことにしたのだった。
おゆきは今でも商品が売れたかどうかと、見回りに来ている……つまりこの露天に置かれているアットゥシの値は、おゆきの言い値に商人の利益を乗せた法外なものとなっており、購入者〇人を連日記録し続けているのだった。
首長にアットゥシがこのような値で取引されていると誤解されて、大量に売りつけられでもしたら大赤字になってしまう!
「あいや、これは! おい店主!! 貴様そのような値でアットゥシを売りつけておるとはなにごとか! 半値でも高いくらいではないのか?!」
「へッ? 殿様ッ。ははぁ!! これは申し訳御座いませんでした!!」
近づいて小声で「すまん、全て仕入れ値で買い戻すから」と伝えると商人も安心したようであった。首長の方もまだ釈然としないながらも、あえて突っ込んで聞こうというほどではなかったようである。
なんとか、首長をこの露天から引き離すことに成功した俺は接待を部下に任せると一人来た道を戻り、露天商がお雪に支払った額から俺が負担した額を引いた純額でアットゥシを買い戻し、御屋形様の所へ向かう際に使う船へと積み込ませたのだった。
アットゥシの商品化について、作者のお気に入りで悠聡さまの完結済み作品「俺が歩いたら草も生えない!? ~近江商人は天下を取る~」の影響を受けたような気がしてならないので、ここで紹介させていただきます。




