十六万石
なかなか門を開けようとしない茂別館にいらつきが増してきた半刻後、単身で館に入っていった師季くんがようやく出てきた。
「お待たせ致しました。じいさまの謀反の件しかと伝えましたところ、家臣一同武器を置き開城するとの由にございます」
「うむ、よくやってくれた師季殿。互いに無駄な血を流さずに済んだこと、礼をいう」
下国家本城・茂別館、無血開城か。ここで御屋形様の使者の来るのをゆるりと待つことと致そう。
「各将はそれぞれ兵をまとめ、館内にて身体を休めよ。いまだアイヌの襲撃がないとも限らぬゆえ、御屋形様の命あるまで我らはここに留まることとする。解散!」
「「ハッ」」
そして俺と師季くんは、下国家の重臣との話し合いの場へ移ることとする。ここまで来て謀殺されてはたまらないので腕の立つ広益を護衛とし、部屋の外には執事衆を待機させておく。
「松前守護、蠣崎季広である」
上座に座る俺の名乗りに続いて師季くんが名乗り、更に下国家の重臣さん、重臣さん、一つ飛ばして重臣さん。チッ、気を紛らわせようと思ったのに冷や汗たらりどころかダラダラと背中を流れ落ちる。みんなして俺を睨みつけやがって。
「先にご覧頂いたとおり、謀反人はわしが既に刑に処した。下国家の当主には師季殿に就いていただくのがよろしいかと思うが、いかがか?」
「……異議なし」
怒りと悔しさを抑えながら一人ずつ答えていき、最後に師季くんが未熟者ですが務めさせて頂きますと言って一段落つく。
「さて、気を取り直して今後の話に移ろうではないか。突然の当主交代で浮き足立っている今、兵は一人でも多い方が良かろう。蠣崎の兵を防備のためにしばらく無償で貸しだすゆえ、彼らに充分な寝床と食料を提供して頂きたいと思うがよろしいか」
こちらが善意で申し出たというのに、立ち上がり怒声を上げる者がいた。
「貴様が謀っておいてよくもぬけぬけとそのようなことを!!」
片膝を立てて俺の護衛に努める広益を、手で制しながら切り返す。
「はて、一体なんのことを仰っておるのやら分かりませぬが。下国殿、そなたも何か思うところが御有りかな?」
こういうときは有象無象を相手にせず、大将に発言させる。失言でもあれば儲けものだ。
重臣たちが立ち上がった者を諌め、またある者が当主に耳打ちした。それに頷いた師季くんが口を開く。
「当家の者がご無礼仕りました。仰せもっともながら、いささか兵の数が多すぎるように御見受けいたします」
なるほど、八百人の食い扶持を押し付けられるのは御免被るという訳か。俺も大人だからね、多少は譲歩しようじゃないか。
「それもそうですな、茂別館は幸いにして損傷もなく兵も無傷だというのに大袈裟すぎました。それでは、御屋形様よりなんらかの知らせが来た時点で半分の四百を即刻、帰らせることといたしましょう。それでよいでしょうな?」
今度は有無を言わせない問いである。こっちは最初の条件から大幅な譲歩をしてやったのだから呑んでもらうぞ、ということだ。我が軍の精鋭たちが貴様らの備蓄食料を食い荒らしてくれるわい。
ご助力かたじけない、と了承した師季くんを見た重臣たちは苦々しげな顔を隠そうともしなかった。早急に大食い自慢を選別せねばな。
話し合いを終え、借りた部屋に籠っているのも飽きた俺は執事衆を伴って湊の見学に行った。相場は松前湊とほぼ同じでやり取りされているようだ。蠣崎家の湊では運上金を徴収するから、その分商人は高く売ろうとする。茂別館では税の徴収はない代わりに、少しばかり距離があるから高めの値段設定なのだろう。別段目立った品もなく早々に飽きてしまった。
数日経つと、使者を任せた富田広定が重政率いる水軍に護衛されながら湊に到着した。
「御屋形様へのお目通りが叶い、報告を済ませて参りました」
「大儀であった。して、御屋形様はなにか言うておられたか?」
「ハッ。御屋形様は大層御怒りでして無礼討ちにでもされるかと冷や冷や致しましたが、なんとか宥めすかしましたところ、謀反人を成敗したこと褒めてつかわすとの言質を取り申した。また、近々檜山安東家より検分役を派遣するとのことで御座いましたが……」
検分役ってつまり、俺が好き勝手やらないように見張らせるってことだよな……。
「言わずとも良い、よう分かった」
「それがしの弁説の腕を期待して頂いておりながらこの様とは……面目次第も御座いませぬ!!」
広定が頭を下げた。床に額をこすり付け、今にも腹を切ると言い出しかねないほど、彼は本気で思い詰めているように見える。
「いや、それは違うぞ広定。そなたであったからこそ御屋形様の言質を取ることができ、処罰も無しに検分役の派遣に留めることができたのであろう。最上の働きをしてくれたと思うておるゆえ胸を張れ! 戦働きが不得手というなら、お前に相応しい言葉の戦場をこれから幾らでも用意しようではないか!」
「それがし如きに過分な御言葉に御座います。なれど、そこまで言われて立たねば武士が廃るというもの! この富田広定ッ、殿への今後益々の忠誠と働きを御覧に入れまする!」