主要登場人物一覧等 <地図有り・渡島半島~出羽>
生没年不詳が多いので大体の計算と作者都合で決めています。史実と明らかに異なるのは1人だけだと思います。
史実では蠣崎光広は62歳で亡くなっている。
5/18 南条広継を6歳で史実通りに変更し、その父を守継(創作)にしました。
5/21 加筆修正。
後書きに地図があります。ぼたもち様より頂いたものです。
名前や用語の読み方が分からなくなったときや、だれだこいつ? となったときなどにお使いください。
蠣崎氏
蠣崎 信広 故人。武田の血を引いていると自称し、花沢館の蠣崎氏に客将として招かれていた。アイヌ九千人の猛攻によって渡島十二館の内の十館が陥落したが、信広は千五百の兵を率いて出陣。あらゆる策謀を用いてアイヌの二千人規模の軍勢を蹴散らすこと数回に及び、戦を勝利に導いた。その英雄的な功績により娘婿として蠣崎家を継いだ。
蠣崎 光広 八十歳。信広の子。北西部のハシタイン族長との関係改善に努め、南に戦力を集中、アイヌに落とされていた徳山館を再占領し蠣崎領を拡大した智将。
蠣崎 義広 五十六歳。光広の子。小さな小競り合いにも大将として出陣したがるなど、脳筋振りが伺える。タリコナの義父である前族長のタナサカシを和議からの謀殺によって仕留めた。
蠣崎 季広 二十八歳。義広の子。徳山館主。渡島十二館の統一を直近の目標とし、いずれは南下して米と暖かい土地を手に入れたいと願っている転生者。なお誰にも言っていないが徳川幕府の参勤交代を恐れ、江戸の近くまで領土を広げたいとも思っている。武技は人並みで、正々堂々戦うべきなどとは露ほども思っておらず、勝てば良かろうの精神が強い。乱戦の中、タリコナを射止めた。
蠣崎 ゆき 二十五歳。季広の正室。幼少時、アイヌとの戦で実父の居城である宇須岸館が陥落。館主であった父を亡くし、祖父に抱えられて徳山館に落ち延びてきた。光広の思惑によって季広の正室とされた。
蠣崎 信広 十歳。季広の子。名の由来は武田の通り字の「信」と蠣崎の通り字の「広」の組み合わせ。英雄的活躍をした先祖と同名であるが重圧に負けず、むしろ自分もそれだけの活躍をしたいと願っている。
蠣崎 高広 五十四歳。光広の子、義広の弟。名目上は勝山館主であるものの身体が弱っており、南条守継に全ての実務を任せている。
蠣崎 基広 三十四歳。高広の子。父に代わって精力的に働く南条守継を深く信頼しており、密談をしている姿が目撃されている。季広の家督相続に不満がある様子も見えるが、その言動は単純明快で脳筋であることが伺える。
長門 広益 二十八歳。季広の側近で親友。智勇兼備の将といえる。タリコナの集落で飼われていた熊を斬首し挑発、見事に戦を引き起こした。
南条 守継 四十二歳。実質的な勝山館主。基広と密談をしている姿が目撃されている。嫡男は六歳の広継。
工藤 祐致 三十四歳。義広の命によってタナサカシを射止めた弓の名手。蠣崎氏が本拠を花沢館から徳山館へと移したため、花沢館の城代を任されている。
厚谷 重政 三十一歳。重形の子。蠣崎傘下の比石館主の家系であり、兵の扱いに長ける。義広の娘を正室としている。季広からノットと海里の研究を一任された。
三関 為久 三十七歳。徳山館主・松前守護に仕えてきた家系。役職は執事であり、当主を護るための執事衆を率いる。
富田 広定 二十七歳。本人曰く、戦は不得手。頭も口も回るようであり、相手の言動の意図を読むことにも長ける。季広の命により口八丁で館主達を引きとめている。
カイロ 三歳。ハシタイン族長から送られたアイヌ犬であり、その勇敢さと主への忠誠は重臣たちにも引けを取らない。
アイヌ衆
ハシタイン族長 四十四歳。渡島北西部の支配者。蠣崎氏と関係良好でいち早く同盟を結んだ。季広に妖刀イペタムやアイヌ犬を贈っている。花沢館周辺では適正価格での取引がされているとのことで、遠方からもアイヌが来るらしい。
チコモタイン族長 三十六歳。渡島南部中央の支配者。中立の立場のつもりであったが季広に渡された褒賞に喜び、次も戦があれば呼んでくれと発言したらしい。
タリコナ族長 故人。タナサカシの娘婿。嫁にせっつかれて挙兵。季広によって殺された。戦死した族長の中では珍しく謀殺ではない。
オタウシ族長 二十五歳。タリコナの弟。兄が戦死したことで渡島内陸部の支配者となる。攻めてきた義広に降伏、生活の保障を条件に集落をまとめ蠣崎氏に従うとのこと。
ニシラケアイヌ首長 四十歳。蝦夷北東部メナシ周辺に大勢力を持つ支配者。所有する交易船の数は百を越え、船団を率いて蝦夷各地で商売する武装商人。
その他の人々
安東 尋季 四十八歳。檜山安東氏当主。渡島十二家の主君。かつて北陸奥(青森県)をも支配していた一族だが、南部氏の攻勢によって蝦夷に逃れた。その後本拠地であった出羽の檜山城に戻り、渡島に十二家を置いて日本海ルートを用いた交易によってその影響力を高めた。尋季は両安東氏の統合を目論んでいる。
湊安東氏 北陸奥を支配した檜山安東氏とは別に、出羽北部の統治に専念していた。湊城を本拠地として通行証を商人に売りつける海賊業をしている。その水軍力は檜山安東氏を上回り、安東水軍の名で恐れられている。両安東氏の統合には否定的であり、脅しをかけるために能代湊に船団を派遣した。
下国 家政 六十八歳。茂別館主。下国守護であり、檜山安東氏の分家でもある。蠣崎一強体制に警戒を露わにし、反蠣崎の筆頭となると思われていた。現在は酒に酔って戦場に出たところを蠣崎基広に捕縛され、困惑中。
下国 師季 七歳。家政の孫。幼いが、亡き父の代わりに次の当主となるべく鍛えられてきた。頭が回るようであり、礼儀正しい。
河野氏 下国守護補佐・宇須岸館主の家柄。河野氏の血を継ぐ生き残りは季広の正室のゆきだけであり、現在の実態は下国氏の分家。季広曰く偽河野家であり、必ず滅ぼすとのこと。
浪岡北畠氏 かつての名門。北陸奥の浪岡に浪岡城を築いたことからこの名で呼ばれる。浪岡御所とも。松前湊対岸の十三湊を支配している独立勢力であり、檜山安東氏・蠣崎氏ともに関係は良好である。
南部氏 陸奥の完全支配を目論んでいるが、一族の中での争いが絶えない。主に作中では三戸南部氏を指す。現代では一戸~九戸まで地名として残っているが四戸のみ消滅している。