十万石
俺たちの視界に広がるのは、辺り一面の銀世界。そこに異物が一つ。否、小さな異物が纏まって蠢き、まるで一つの生き物のように近づいてくるのが確認できる。
いや、まあ実際は統制された動きなんかじゃないけど、こういうのは雰囲気が大事なんだ。
結局集まったのは蠣崎勢五百五十人(内、アイヌ弓兵六十人)、一方のタリコナ勢は六百人といったところでちょっと数では負けてしまった。しかし、数の差をひっくり返してこその名将だろう。
左右を見渡し味方を視線の先に捉えて行くが、慌てふためく様子はない。あらかじめ城に詰めていた将兵には攻撃を受ける可能性があることを伝えていたから、将兵としてはこっちが待ち構えているところに本当に来た間抜けな敵、しかも新しく就任した当主様はそれを見抜いていた。という状況であって士気は高い。
その自信満々の将兵を見れば、徴兵されてきた百姓共も此度の戦は勝ち戦なのだと思うのは道理だ。しかも、自分が討ち取った敵の身に付けていたものは全て貰えるのだから戦意は否応なく高まった。
一番人気は美麗な装飾の施されたアイヌ刀をぶら提げる将の首、タリコナや副将など。二番人気は上等な毛皮を纏っている下士官クラスの兵だと思うが、毛皮ってのは多少の差はあっても全て高値が付く。結局誰でもいいから近くにいるやつを討ち取れば家計が助かるということになる。
まだ弓は届かない距離だよな? じいさんに目をやると頷きが帰ってきた。相手はアイヌだし必要ないっちゃ無いけど……うっし、やるか!
「そこで止まれえぇぇい!! 我は蠣崎家当主、蠣崎季広である! 我が治むる地に兵を率いてきた貴様は何者ぞ!」
総大将が味方の陣から進み出て、段差となっている雪の上に立ち声を張り上げるのを見た味方から、おお! っと声が出た。ふふふ、聞こえているとも。もっと賞賛せい。
「オレハ、アイヌの族長タリコナ!! 和人共に虐げられ、死んでいった仲間の敵をトル為に来た!! 貴様ラハ――」
建前だろ? そんなの分かってるよ。少なくてもここ数年の蠣崎家はアイヌを虐げていないし、その証拠が今回共に戦う二人の族長じゃないか。お前は、嫁さんにせっつかれるのが怖くて攻めて来ただけの根性無しだろ。もちろんタリコナ自身もいつかは戦をすることを考えていたとは思うが、大方こないだ広益がやったクマの件で、遂に嫁がぷっつんしたと見たぜ。
おっと、長い口上が終わったかな。
「こちらがおとなしく聞いておれば、まるで謂れなきことをつらつらと並べ立ておるわ!! 何言ってるか分からんし、さっさとかかってこんかい!!」
俺が一方的に始めた舌戦を、俺が一方的に強制終了させた。味方の陣からは笑いが起き、敵からは怒りが伝わってくる。気持ちに余裕のあるこっちが有利かな。
タリコナの号令で敵軍が雪の上を進み始める。一人くらいしくじって雪に沈みこまないかと見ていたが、アイヌの全員が雪を熟知しており着実に進んできていた。
この雪上歩行を可能としているのは、雪輪と呼ばれる足のサイズより大きめに作られた楕円形の履物によって、体重が分散されて雪に沈みにくくなっているからだ。歩き方にもコツが必要で、面全体で雪を踏む必要がある。
片足を垂直に上げ、前に出し、垂直に降ろす。これを左右の足で交互にやれば雪の上を歩けるんだ!! 天才か。これを見た俺はスキー板も作ろうと決心したが、この話はまたの機会に。
そろそろ弓の射程に入るかも知れんな。俺が真っ先にやられたら格好つかんし、下がっておこう。上杉謙信ごっこはまた今度でいいや。
「総員、雪の影に隠れよ! 逐次、一番から木人形を掲げて動け!」
指示を飛ばして俺も隠れる。木人形の持ち手は自分の番号を叫んでから動き始める。案の定すぐに射程に入ったようで、毛皮を着て兜をつけた木人形たちに矢が次々と突き刺さった。雪が降っているのもあって、タリコナ側からは人か木か分からないからとりあえず射掛けてるって感じかな。念のために言っておくとアイヌ弓兵は斜め上方への一斉射撃で面制圧! とかはしない。あくまで個人毎に一射ずつちゃんと狙ってくる。
チラっと覗き見たところ、タリコナは弓兵を前面に出し射程に入ったところで停止。まずはこっちの頭数を減らそうとしているっぽい。こっちにアイヌ弓兵がいなければ正解だったけどな。
掲げられる木人形の数が五十体を越えた辺りから(持ち手の申告する番号で分かる)、ちらほらと矢が飛んでこない木人形が出始めた。
「ようし! 弓兵隊!」
じいさんに簡潔すぎて指示になっていない指示を出して、後はプロに任せる。まだまだ増え続ける木人形に混じって、味方のアイヌ弓兵が応射を始めた。運悪くすぐに矢を受けたアイヌ弓兵も居るが、大半の矢に毒はなかったようで治療してやれば助かりそうだ。
木人形は城下からかき集めて二百体を用意できた。アイヌ弓兵は六十人だから当たり率二十五%弱かな。敵の弓兵は当初三割の百八十人くらいという予想だったが、毒矢が少ないということはそれだけ準備に余裕が無かった訳で、切りよく百五十人に修正しても数ではこちらの倍以上いる。が、敵は木人形なんて持ってきてないから、当たり率百%。どっちが有利なのかよく分からないなこれ。期待値でも出せばいいのか?
矢が足りなくなった射手のところに木人形の持ち手が走っていって、刺さっている敵の矢を回収する。リユースってすごい。
この作戦、最初にやったのは武田の血を引くと自称したひいじいさんだ。当時のアイヌは準備万端で攻めてきたから毒矢ばかりで、かすっただけでほぼ死ぬ。こっちは普通の矢しかなくて致命傷を与えにくい。そこでひいじいさんは木人形を前面に立てて毒矢を射掛けさせ、それを回収して応射した。これが功を奏して蠣崎家は勝利し、危機的状況を救ったことが認められて入り婿に、となったそうだ。
俺は子供時代に、アイヌが毒矢を使うと聞いて戦争映画のワンシーンを思い出した。ヘルメットを物陰から出して敵スナイパーに撃たせるってシーンなんだが、これを使えば毒矢回収できる! 名案だ! と思ったのに既にひいじいさんが実践していたという訳。俺にはやっぱり使える知識なんてないんだと絶望した記憶がある。
その後は武芸の方はやる気が削がれ、もっぱら主家への上納金をごまかすための裏帳簿作りにのめり込んでしまった。おかげで色々と主家には秘密で買えたからいいんだけどさ。
「殿! 殿!! なに呆けてるんですか、敵が前進してきますよ!!」
「ん……? ああ」
……やっちゃった。なんかすまん広益。周りのやつにも見られてたのか……恥ずかしいな。
ええと? タリコナのやつ、射掛けても中々こっちの弓兵が減らないのに嫌気が差して槍隊を出してきたのか。それかこっちの射手の腕が良すぎてアイヌ弓兵がいるとバレたのかもな。アイヌ同士で削りあうのは本意ではないのかも知れないし、その辺は分からない。
「おう! もう大丈夫だ。敵の動きがのろますぎて、こっちまでぼうっとしちまっただけだ」
ふう。この戦場で、総大将である俺の役割は一つだけ。それが、
「槍隊!! 先代の指示で動け!!」
名将への権限委譲だ。
人形を使った戦術は更に昔からありますが、主人公は知りません。




