〇万石 <地図有り・渡島半島>
作品の設定上、特定地域・人物に縁のある方が不快に思われる可能性があります。
本作品は史実を重視しておらず、改変・ご都合主義が含まれる可能性があります。
ご了承ください。
後書きに地図有り。ぼたもち様より頂いたものです。
時は戦国、権威の失墜した幕府を見限り我こそ天下を獲らんとする戦国大名達が、日ノ本の各地で血で血を洗う戦の日々を送っていた時代。
一五三四年某日、尾張の国に生まれた赤子が吉法師と名づけられた。後の織田信長である……というのはさておき、ここより遠く離れた北の大地に舞台を移す。
「ひぃ、寒い寒い。館の中でも震えるとは俺も年かねぇ」
ぶつくさとまだ若い身なりに似合わず一人で愚痴やらなにやらをこぼすのは、蝦夷の松前守護である蠣崎家の嫡男、蠣崎季広。本年二十七歳となった武者である。
そう、これが俺だ。
「そんで親父殿はもう五十五になったのか。人間五十年とか言ったのは誰だったか、確か信長だっけかな? ともあれ歳も歳だし領内はそれなりに整ってきたことだし、そろそろ外に目を向ける頃合いかねぇ」
こたつの中に投げ出した脚を曲げ、背を丸めて肩まですっぽり入り込む。これぞ俺にとっての至福の時である。そして緩慢に身じろぎしつつこれまでの二十七年をざっくりと思い起こしてみる。
俺こと蠣崎季広が生まれたのは永正四年(一五〇七年)のこと。当時ここより北の地を治めていた豪族、蠣崎義広の嫡男であったがそのときはまだ知る由もない。自我が芽生えてから徐々に思い出した前世の記憶によってまず感じたこと、それはとんでもないド田舎のド底辺の家に産まれてしまったんだなあということだけだった。
……そして寒い。
更に数年が経つと、ド田舎の中では上流階級だったことが判明した。なにしろ、よそのお宅はうちより酷い。
……そして寒さにやられて死んでいくやつが後を絶たない。
幼いながらに俺は危機感を抱いていた。いうまでもなく危機の根源は寒さであるが、もう一つの危機もあった。村の人たちと時折争っている蛮族である。
そして十歳を迎えるときには決意したのだ。いつかみんなと、暖かくて安全な土地に引越しするんだ、と。
十四歳で俺は元服した。それまで勉学にはそれなりに励み、金を使わずに身体を温めるために武術を磨いてきた俺だがこの日から一人前の大人である。
ちなみに、俺には幼馴染のような悪友のようなやつがいる。長門広益というのだが、こいつが同い年のくせに剣の腕が立ち、槍の技が冴え、徒手格闘もお手の物とあってよく泣かされたものだ。
成長するにつれて俺と広益はこの地の歴史やら家柄やらについて学んでいった。俺にはちと難解すぎたので触りのとこしか覚えていないのだが、まずここは蝦夷と呼ばれる北の大地であることが判明……うん、これは察していた。つまり北海道だろう。海の向こうに本州と思われる大地が見えていたのには気付いていたとも。
俺たち和人の住むここは、蝦夷の中の渡島と呼ばれる尻尾のように垂れた部分だ。
次に、俺の家は本州の大名である安東家に従属しているらしいことが判明……我が家が独立していない家というのは頼りない気もするがこれもまあいい。
この地の情勢だが安東家の下に連なるいくつもの御家があり、ここら一帯に通称、渡島十二館と呼ばれる文字通り十二の城を築いて、それぞれを平の豪族とちょい上の守護職の家に任せていた(便宜上この豪族達を渡島十二家と呼ぶ)。俺がまだ小さい頃にアイヌとの大規模な戦があり、そこでうちのじいさん(光広)と親父(義広)が手柄を上げていくつかの城を追加で獲得したらしい。
というのが表向きなのだが、そもそもの発端がじいさんの謀略だった説もある……じいちゃんは全身がもさもさと毛深く、その猿紛いの相貌から時折光る鋭い眼差しを知っている俺からすると、この説はかなり有力だと思っている。
まず手始めに蠣崎光広は、アイヌに扮した手勢を他家の城に送って城主を謀殺。当然の如く報復にでる安東家傘下の十二家の連合対アイヌ衆という構図が出来上がる。しかし無実の罪を着せられたアイヌ衆に猛烈に反撃を食らって、城を次々と落とされてしまう。恐らく当初の渡島十二家連合軍は軍内部の主導権争いなどに忙しくまともに戦える体制ではなかったのだろう。
そんなこんなでいくつか他家の城を落とされた劣勢という状況の中、満を持して光広・義広ペアが出陣、温存しておいた自家の兵を用いてアイヌを追い払い、占領されていた城を再占領したという説である。
もちろん元の城主の家の生き残りからは安東家を介して抗議がきているが、アイヌから独力で奪った城であるとしていまだに返還しておらず、実質的に当家が治める地が増えただけの戦となった。
これは信用に関わるしまずいだろうと思ったのだが、まだ続きがある。光広は城を再占領した後アイヌ側と和睦。その宴会の席で、こともあろうにアイヌの将に毒を盛って殺した。これにより指導者を失ったことで更にアイヌの影響力は落ち、新たに手に入れた城がすぐに攻め込まれる危険性を排除したという。
もちろん上司といえる安東家には、当家による支配を認めさせるために多額の上納金を納めているのが現状で、それと引き換えに支配の正当性を認められている。これのおかげで民は当家が支配するのを良しとして、戦の折にはうちの旗のもとで戦ってくれるのだから必要な出費なのだろう。
といういきさつで、じいちゃんの代で頭角をあらわした当家は渡島半島の一大勢力へと成長した。
そして俺の元服の年のこと、またしても大きな戦が起こった。俺と広益の初陣ということでこれは鮮明に覚えている。
アイヌとは商取引にまつわる諍いが日常茶飯事なのだが、それは例年の小競り合いとは違う本気の戦だった。
当時の蠣崎家当主となっていた父は敵が集結する前に、と考えたのであろう。初手で信頼篤い工藤兄弟に兵を預けてアイヌ側の本拠地を叩こうしたが、運悪く開戦直後に大将であった兄の祐兼が敗死、弟の祐致は兵の数を減らしつつもなんとか撤退。これに勢いづいたアイヌ衆の攻勢に、蠣崎家は逆に防戦一方に追い込まれた。
記念すべき初陣の俺は比較的安全な後方で敵味方が死んでいくのを眺めていただけだったが、ある時を境に戦場の空気が一変し、それが味方の大将の討ち死にによるものであると知らされると一目散に逃げた。当主の嫡男である俺が逃げねば他の兵も逃げられないのだから、これは恥でもなんでもないだろう。
なおこのとき、先の大戦の際の恨みから他の十二館家は静観を決め込み、蠣崎家の弱体化を待っていたのは言うまでもない。
居館にまで追い詰められ着々と包囲が進められていく中で、親父はこれ以上の兵の消耗は互いのためにならぬと言ってアイヌとの和議を始めた。互いに有利な取引条件を望むがゆえの戦であって相手の殲滅を目的とした戦ではないから、勝敗の決した状況での和議は珍しくない。
交渉が大枠で合意されると、次に劣勢であったこちら側からアイヌへと、賠償の金品を支払うことが決まる。戦が終わったと安心したアイヌ側の将がそれらの品を受け取るために寄ってきたところで、兄の仇を討たんとばかりに工藤祐致が敵将の心臓を弓矢で打ち抜いたのである。
こっちの件は俺自身も敵将の胴体に突き刺さる矢を目撃したので間違いないのだが、やっぱり後で聞けば交渉中に敵将が発作を起こして倒れたために和議は決裂した、ということになっていた。このような謀略が鮮やかに決まってしまうほどアイヌ衆というのが純粋で、当家が脳筋というのが分かるエピソードだな。
ともあれこれで戦は継続、敵将不在で形勢逆転となり最終的にはアイヌの拠点をいくらか叩いたところで終結した。
なんとも後味の悪い初陣となってしまったが結果的には勝利であるし、味方の窮地に援軍を寄越さなかった当家以外の渡島十二家の評判は落ちたということである。
そこから先は幼馴染の広益と、喧嘩したり訓練したりこたつを作ったりという身も心も温まる青春をしてきたのだが、ようやく本格的に動き出さねばならない時がきた。
蠣崎季広二十七歳の時、蝦夷の地にて人生二度目の大戦の気配が漂い始めていた。