日常の終焉 ~前編~
皆様こんにちは。
この話から序章、「千里浜防衛戦」に入っていきます。この話はいわゆる日常会です。
9月15日。それは人類が初めて戦争で「戦車」という鋼の象を戦いに投入した日である。
WW1(第一次世界大戦)のフランスにて行われた「ソンムの戦い」である。
戦車部隊が配備されてる事もあって、狙ってるのかそれとも偶然なのか、俺の配属されている駐屯地では毎年この日に民間向けに基地祭りを行っている。
この日は同じ県内に居る普通科連隊の隊員もゲスト参加し、空砲を使った普通科と機甲科の合同演習を披露し、PXでキーホルダーや帽子、シャツなどの自衛隊グッズの販売も行う。
中でも人気なのが戦車の体験搭乗である。これは戦車の砲塔に人が座れるラックを付け、そこに人を乗せて走ると言うものだ。俺の配属されている駐屯地はそこそこ大きく、基地の解放日になると地元は勿論、県外からも多数の来場者が来る。
人気のイベントで尚且つ戦車の操縦士である俺は当然のようにこのイベントの運転手として毎年駆り出される。
やれやれ、誕生日の日にこの仕打ちは無いぜ、と一番初めて運転手をやらせれた時は今ではむしろ、やりがいのある仕事だと思っている。
「お待たせしました。次のグループの方々、どうぞ~」
そう言って体験搭乗で乗るグループの誘導を行っているのは俺の搭乗車両の車長を勤めている永瀬駿である。
コイツとは中学生からの腐れ縁でお互い戦車が好きで、性格もいいヤツなのですぐに意気投合し、よく戦車ゲームを一緒にプレイしたり、模型製作をしたものだ。
しかし普通の戦車オタクの俺と違う所は、彼の家計は代々自衛隊の戦車乗りなのである。しかも父親は部隊の中隊長であり、いわゆる「ガチ」の江戸っ子ならぬ戦車っ子なのだ。そんな彼は高校生卒業と同時に自衛隊に入隊し、ものの数年で戦車の車長を任命されるという、異例の出世を遂げた。
そんな駿と配属が同じとなり、今では同じ戦車に乗っている。久しぶりの再開かつ、同じ隊に配属となりお互い再開を喜んだものだ。
彼の訓練はキツいモノであり、訓練中はまるで鬼教官の様であったが、訓練終了後や休みの日はまるで中学生の時のような感覚で接してくれたし、
「階級は俺のが上だけど、今までみたいにフツーにタメで話してくれよな!あ、でも他の奴等の前ではちゃんと上官に接するように話してくれよ?」
と久しぶりに会う友人との階級差に不安を抱いている俺の悩みを一瞬で吹き飛ばしてくれた。
そんなある日、何で訓練とそれ以外の時との温度差が激しいのか聞いたのだが、その時彼は、
「俺は車長だからな」
と続けた後に、
「車長ってんのは、士道の他にも砲手の命も預かってんだ、言ってしまえば俺の指事の1つで搭乗員の命運が決まる。そんな中マトモに連携が取れなかったり、指事が出来ずに敵の攻撃が当たれば仲間が死んでしまう。俺は仲間の死を背負えるほど強い人間じゃねぇ。だからいざ戦闘になった時にオメー達が死ぬ確率を極力下げたいんだ」
そんな駿の言葉を聞いて俺は改めて彼が俺の友人であることに感謝した。そしてそんな彼の気持ちを無駄にしたないため、訓練に取り組むことが出来たのだ。
そして今では、
「オメーが操縦しねぇ戦車なんかゼッテー乗らないからな!」
とも言われ、俺もコイツ以外の車長以外に命を預けるつもりもないと決心するほどの信頼関係を築けた。まるで昔の漫画に有りそうな青臭い友情だが俺はそんな仲になれたことを誇りに思う。
「全員座りましたね?それでは発進します。操縦手、前へ!」
その彼の指事の元俺は戦車をゆっくり加速させる。するとラックに乗った子供達は大はしゃぎ。この体験搭乗における走行コースは基地の内部を囲うように設けられた外周を走る。二つ目のカーブを曲がり、一番長い直線に入ると、俺は戦車を40km/h程まで加速させる。すると子供達のテンションは最高潮になる。
そして外周を回り終えて戻り、駿が客を下ろす。そしてテッパチを被った大体7、8歳くらいの男の子と女の子恐らく兄妹だろう、が元気よく
「お兄ちゃん、ありがとう!」
とお礼を言ってぎこちない敬礼をしてくれた。そんな子供達に俺はちゃんと敬礼を返す。そうすると離れてても分かる位、二人の目は輝いていた。こうした子供や客の笑顔を自分が作ってあげたと思うとやりがいがあるってモンよ。なので最初は勘弁願いたいと思っていた駐屯地祭も今では楽しみになっている。
そして何のトラブルもなく、無事にイベントを終えた俺は戦車を格納庫に戻したのち、駿と合流し俺の車で自分の誕生日を祝ってくれる友人と共に戻るのであった。
読んで頂きありがとうございます。
なんか、ツマラナイ上に長くなってしまいました(汗)
誤字脱字や指摘などが有ればどんどん言って下さい。