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まったき獣のみるゆめは  作者: Tm
番外編
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28/30

しっぽ禁止令

 エーリャはよく自分の尻尾を齧る。

 気づくと咥えている、くらい頻繁に齧っている。

 暇があればイリヤにすり寄っているか寝ているか、或いは夢中で尻尾を齧っているか。


 一度イリヤが、おいしいの? と尋ねたとき、べつにおいしくないとエーリャは答えた。しっぽに噛みつきながら。

 その様子を見ると、痛くないの? と心配にもなる。

 エーリャの尻尾はエーリャの体の中で一番立派で一番素敵な部分だとイリヤは思っている。だから、実はあんまり粗雑に扱ってほしくない。

 エーリャも自分の尻尾が自慢だと話していた割に、その尻尾に対して扱いが雑すぎるのではないか。あんまり齧りすぎて毛が落ちて禿げるんじゃないかとイリヤは要らぬ心配までしてしまう。


 太くて長くてふわふわでふさふさで、きっと体に巻きつけたらさぞや暖かいだろう。

 エーリャはイリヤに触られるのは好きでも尻尾をべたべた触られるのは苦手らしく、撫でるか体に巻きつけられるくらいしか触れる機会がないのだ。

 どうにか一度、尻尾のコンディションを確認し、状態によってはしかるべき対処を施したい。もしもの場合、背に腹は代えられない。最終措置をとるもやむなし。


 決意新たに、尻尾の状態調査の隙を伺うイリヤ。

 けれどなんてことはない、イリヤの前ではもう殆ど緩み切って野性を捨てたエーリャ。くわぁと大あくびをし、自分を狙う男の前で無防備にも惰眠をむさぼり始める。

 一度眠りだすとそう簡単には起きないエーリャなので、眠ってしまえばもうこっちのものだ。しめしめとばかりにイリヤはエーリャの尻尾に近づいた。


 だらんと無防備に地面に横たわる尻尾は、見る限りではふわふわで気持ちよさそうだ。気づかれないように尻尾の下に両手を差し込み、そっと持ち上げる。

 こうしてみるとまるで縞模様の大きくて白い毛虫だ。無防備にイリヤの手のひらの上に支えられ、余った部分はちょろりと間抜けに垂れ下がっている。

 目の前に掲げると、先ほどまでエーリャが齧っていたせいか一部分が濡れて毛皮がべったりしてしまっているものの、ちょうど良い長さで、ちょうど良い太さで、ちょうど良いふわふわ具合で、そう、まるで――。


 目の前に掲げたそれをイリヤは物欲しそうな眼差しで見つめた。

 いけない。

 でもちょっとくらい。

 いいやだめだ。

 けれど一瞬なら。

 無言の葛藤の末に、イリヤはとうとう意を決し、尻尾を優しく両手で握りしめ、そしておもむろに――首に巻いた。


「……ふわふわだ」


 ふわふわだった。首を優しくくすぐり、そしてちょっと温かい。

 これぞ理想の襟巻だ。


 そうイリヤが頬を緩めた瞬間、強制的に夢から追い出されることとなる。


「くさ……っ」


 臭い。

 尋常じゃないくらい、臭い。

 先ほどついていたエーリャの唾液のにおいの名残かとも思ったが、それにしては年季のある匂いのように感じた。

 もはや到底理想の襟巻などとは思えずそっとその悪臭を放つ物体を外し、元の位置に戻した。


 一体どうしてあんなに臭いのか。

 いまだ最初の衝撃から立ち直ることができず、見た目だけは立派な尻尾を見下ろしながらイリヤは愕然とした。

 そもそもあんなに臭いのにエーリャは平気なのだろうか。


 気づいていない?

 いやまさか。

 いやエーリャなら十分あり得る。


 それにしても尋常じゃない匂いだった。

 エーリャは確かに獣のにおいがしないとは言い難いが、悪臭と言えるほどではない。河にしょっちゅう飛び込んでいるので知らず知らずのうちに風呂に入っているようなものだからだ。


 それなのに臭い。

 尻尾だけ、異様に、くさい。


 それはなぜか。

 原因がわからないと対処の仕様がない。例え一時洗ったところでまた匂いを放っていたらただのイタチごっこだ。

 においの原因を探し、元を断つ。これしかない。

 ぴくりとも動かないくさい尻尾を見下ろしながら、イリヤは必死になって頭を働かせた。


「あっ」


 そしてようやく思い至った。

 悪臭の原因。

 いや、要因と言ったほうが正しいか。


 エーリャの尻尾が悪臭を放つ理由。

 それは、安心毛布だ。

 いわゆる、小さな子供、はては一部の大人も含め、特定の物に執着する現象を指したもの。

 幼子が同じ毛布でないと安心して眠れず同じ毛布を肌身離さず使い続けるように、エーリャにはこの尻尾が安心毛布だったということだ。

 だから暇があれば齧っていたし、他人にあまり触らせようとしなかった。

 散々唾液を塗りつけては乾いてを繰り返し、ここまで気合の入った臭いを放つまでに至ったと、そういうことだ。

 河にはいるときも意識してなのか無意識なのか定かではないがいつもぴんと立っているためあまり水に浸かっているところを見たことがない。

 いつだって年中無休で尻尾だけはふわふわだった。つまり一度も洗ったことがない安心毛布を育ててきたということだ。


 それならばすべての事象につじつまが合う。

 もうそうとしか考えられない事実につきあたり、イリヤの目は冷たく据わっていく。そのまま無言で、親の仇のように臭い尻尾だけを見つめ続けた。


「ンああぁあ……」


 暫くしてから覚醒したエーリャは大あくびをして思いっきり体を伸ばした。

 さてイリヤはどこかと視線を巡らせようとしたすぐそこで、思いつめたような顔をしたイリヤが自分を見下ろしていることに気付く。


「わあ、びっくりしたなあ。なに? ずっとみてたの? やだなあもう」


 寝ているところを観察されていたなんてなんだか恥ずかしい。

 よだれを垂らしていなかったかな、と本当に今さらな心配をするエーリャを冷たい目で眺めていたイリヤは、はっきりとエーリャに告げた。


「エーリャ」

「なに」


 にっこりと、完璧な微笑を浮かべて。


「しっぽ禁止!」


 その後エーリャの尻尾は、前よりもふわふわつやつやになったとか、ならないとか。

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