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すれ違い結婚  作者: 夏帆
7/9

番外編 泣かないで

本編完結後の話です。

卒業式の日のお話。

「よしっ」

鏡の前で淡い桜色の口紅を塗り、私はにっこりと笑顔を作ってみせた。鏡の中の私は普段よりかなり華やかな装いをしている。朝一に美容院で着付けと髪のセットをしてもらったから、綺麗な仕上がりになっている。ハーフアップにしたセミロングの髪には小粒の真珠をあしらった簪が挿されていた。


今日は、卒業式。


様々な思い出を築きながら共に成長してきた教え子たちの晴れの場であり、私が教師として彼らに話をする最後の日だ。卒業式が終わってしまえば、教師、生徒という区分けから外れ、生徒たちは未来へと羽ばたいていく。



思えば色々なことがあった。



まだ幼い顔立ちの子たちの前で自己紹介をしてから、3年。毎日が慌ただしく過ぎていった。校則を守らせようと奮闘したり、行事では共に笑い泣き、そして自分のクラスの生徒が褒められているのを見て自分のことのように嬉しくなったり、進路に悩んだり…。

1つ1つは当たり前の日常だった。でもこうして振り返るとかけがえのない宝物に感じる。私は教師だから、これからも同じことを繰り返していく。きっと生徒の顔や名前が朧げになる日が来る。


それでも、ほろ苦さの残る甘くて温かい思い出はずっと私の中に残り続けるはずだ。

生徒もそうであってくれたらいいと思う。


「香世子、綺麗。やっぱり映えるね」

3年間を愛しく思いながら回想していると、不意に肩に大きな手が乗せられた。私の背後から顔を出した藤吾の姿が鏡に映り込む。鏡越しに目が合って、私は藤吾に微笑んだ。

「ありがとう。袴を着たの3年ぶりなんだよ。変な所ない?」

「大丈夫だよ。ファンデのムラも無いし、オレンジ系のチークだから健康的に見える。それにこの桜色の口紅が着物の淡い色に合ってる。このアイシャドウって海外ブランドの新色だね。へぇ…派手かなとか思ってたけど、案外落ち着いてるなぁ」

化粧品会社の企画開発部の社員らしく、藤吾はここぞとばかりにこと細かに化粧について語ってくれる。

舞い上がっていたりすると饒舌に語り出すのは藤吾の癖だ。最近それが分かってきた。今も楽しそうな表情をしてるから、恐らく卒業式というイベントの匂いに酔っているのだろう。

分かりやすい夫の反応を内心微笑ましく思いながら、私はもう一度鏡を見た。

「うん。大丈夫だよね」

「当たり前だよ。…で、本当に俺、今日迎えに行っていい?」

窺うように藤吾が体を捩って直接私の顔を覗く。大きな目には、少しの不安と期待が映っていた。その表情を見れば、何を考えての問いなのかは想像に難くない。

「うん。たぶん早く帰れるし、藤吾さえ良ければ」

そう返事をすれば、藤吾は満面の笑みを浮かべた。

「分かった。迎えに行く」

なんだか、藤吾の背後に喜びで尻尾をぶんぶん振られているような幻覚が見える気がする。

口下手ではあるけれど、その感情は顔によく出る。それが可愛くて、最近では藤吾の新しい顔を発見することが楽しみになっていたりする。


…でも、外では猫被ってるみたいだし、こんな感情豊かな表情を見られるのは私だけの特権なんだよね。


何となく、くすぐったい。温かい何かが胸に溢れて、私は口許を弛めた。

「ありがとう」

「うん」

お礼を言えば、彼は嬉しそうに頷く。鏡に映る彼を見つめながら、そういえば、と私は昨日のことを思い出していた。

実は昨日、自分のクラスの生徒たちには半年以上前に結婚したことを告げた。そして、今年の3月末に式を挙げることも話した。生徒たちは驚いていたが、自分のことのように喜んでくれた。

式は無理だが披露宴には全員が出席してくれるとのことだ。新生活が間近に迫り忙しい時期にも関わらず祝いの席に来てくれるというあの子たちの言葉に、私は胸が一杯になって不覚にも泣いてしまったのは…うん、良い思い出だ。



もう、隠す必要はないんだよね…。



最低な結婚をしたなんて言えなくて、かと言って幸せなフリもできなくて、生徒にひた隠しにしてきた日々。


でも、今は違う。


結婚した、って笑顔で言える。

幸せだ、って自信を持って言える。


「こんな素敵な人が私の旦那様です、って自慢したい気分」

少し腰を上げ、首を伸ばして私は藤吾の唇に軽くキスをした。

「っ!?」

「だから早めに迎えに来てね、旦那様」

呆気にとられている藤吾に、私はにっこりと笑って見せる。

「香世子…もう出なきゃいけないっていうのに、可愛く誘惑するなよ…」

藤吾は顔を赤くして私を恨めしそうに睨んだが、それが拗ねた子供みたいで可愛らしい。クスクスと笑うと、仕方ないなぁという感じで、彼が苦笑した。

「まったく…。じゃあそろそろ行こうか」

「うん、ありがとう。お願いします」

頭を下げると、藤吾は照れ臭そうにしながら姿勢を直し、エスコートするように私を立ち上がらせた。

「火の元、戸締まりは確認したし…あとはいいか。あ、荷物は俺が持つから。歩くの大変そうだしさ」

「え、いいの?ありがとう」

「どういたしまして。お礼はこれで」

そういうと、藤吾は私の左手を持ち上げ、薬指の結婚指輪にキスをした。小粒のダイヤとアクアマリンが星屑のように煌めき、中央の台座にはブリリアントカットのダイヤが嵌まっている。つい最近買い直した指輪で、前に貰ったシンプルなシルバーリングより華やかだ。前の指輪は今、チェーンに通して毎日身に付けている。

チュッとわざとリップ音をさせて唇を離した藤吾が微笑む。それがあまりに艶めいていて、私は顔に熱が集まっていくのを感じた。


絶対、さっきの仕返しだ…!


それにしても私、B専なのに、なんで藤吾の笑顔に簡単によろめくんだろ…。


気持ちが通じ合ってから、坂道を転げ落ちるように藤吾に溺れている。それが気恥ずかしくもあり、なかなか慣れることがない。

二の句が告げられなくなった私を藤吾が誘導する。

車に乗って、いつもと同じ道をいつもと違う気持ちで通ったのだった。





卒業式は厳粛な雰囲気の中で執り行われた。

答辞は、生徒会長だった生徒が読んだ。思春期らしい悩みや苦しみに戸惑いながら成長をし、ここまで来たことを振り返るように、静かに読み上げた。体育館のあちこちで、すすり泣きが聞こえる。

きっと、彼の想いに共感できるほど、全力で高校生活を楽しんでいたのだろう。それだけで、この3年間の価値があったと思う。


良かったね。


私は生徒たちの成長した横顔にそっと呟いた。



校歌を全員で歌い、卒業生の退場となった。クラス担任として、これが本当に最後の仕事だ。

自分のクラスの生徒たちの席の前まで歩き、そして全員の顔を眺めた。泣いている子、恥ずかしそうにしてる子、はにかんでる子、それぞれだけど、見ているだけで何かが込み上げてきて喉を突いて出てきそうだ。

「…起立」

私は隣のクラスが退場をしたのを見届けると号令を掛けた。それを合図に全員が立ち上がる。

「せーの」

移動を指示しようとした私の声を遮り、室長が声を上げた。



「香世子先生、大好きだよ!3年間ありがとう!」



響いたクラス皆の声に、私は思わず両手で口元を覆った。次から次へと涙が落ちていく。

「もう…式は厳粛に、って言ったじゃないの…」

両手を顔から外し、涙を拭ってから笑ってみせる。生徒たちは、ドッキリが成功して満足げだ。

「…じゃあ、行こうか」

合図を出して私は歩き出した。途中、来賓の方たちや管理職の先生、同僚の先生方の顔が目に入ってきたが、どの方も温かく微笑んでくれていた。

式の進行を遅くしたことを申し訳ないと思う気持ちと、生徒と過ごした日々が今になっているという誇らしさが胸に渦巻いていた。耳元では、先程の生徒たちの言葉が何度も何度も繰り返し響いている。


私も、あなたたちが大好きだよ。ありがとう。


教室に戻ったらそう告げよう。また泣いてしまいそうだけど。



感動を胸に秘めて歩いていくと体育館の出口付近、保護者席の一番後ろの人が私をじっと見つめていることに気がついた。

「っ!」

近づくにつれ、それが誰だか分かり、私は息を飲んだ。

そこには保護者に混ざって藤吾がいた。優しく微笑んで、手を叩いている。

すれ違い様に目が合うと、藤吾の唇がゆっくり動いた。


良かったね。


私は大きく一度頷き、そして目を細めた。






教室でのホームルームも終え、生徒と写真を撮るのも一段落した頃、私は数学準備室に向かった。

右手に持つのは小さな紙切れ。



【数学準備室で待っています

牧野】



あの時はまさか生徒から告白されるだなんて思わなかった。けれど、あの告白がなければ今の私はいなかったのだ。

私を変えるきっかけを作ってくれた牧野君。

彼にとっては想定済みの、一番聞きたくなくて、でも一番聞きたいであろう言葉を今日、告げなければならない。それが、私ができる感謝の印であり、私が彼に伝えられる最後のことだから。


準備室の前には既に牧野君はいた。

「ごめんね、待った?」

「少しだけ待ちました。…香世子先生、綺麗です。今日、誰よりも綺麗でした」

顔を綻ばせて、照れ臭そうに褒めてくれる牧野君の表情は柔らかい。

「先生、東大受けてきました。数学はたぶん満点です。3年間、ありがとうございました。俺も、いつか先生みたいになりたい」

「こちらこそありがとう。これからはもっと広い世界で生きていくことになるけど、牧野君なら大丈夫だよ。

どんなに遠くにいても、牧野君のことを応援してるから。だから、安心して行ってらっしゃい。そしてまた、いつか顔を見せてね」

「はい…っ」

牧野君の顔がくしゃりと歪み、そして涙が溢れ出す。

私はその涙を拭い、そして彼をそっと抱き締めた。

「キミがいなくても世界は回る。でも、キミがいなきゃ…悲しいよ。だから、強く生きなさい。転んでも苦しんでもいい。自分の足で歩きなさい。そして最後に笑えるように足掻きなさい」

「はい…頑張ります」

私の背中に腕が回る。

「香世子先生…俺、先生に会えて良かった。大好きです、先生」

二度目の告白は涙混じりで幼い。けれど、それが牧野君の素直な気持ちなのが伝わってきて、胸が熱くなる。

「牧野君、前に私は幸せそうじゃないって言ってたよね」

「はい」

「今はどうかな?」

「幸せ…そうです。とても」

体を離して見上げると、目を赤くした牧野君が優しく微笑んだ。

「良かったです。先生が幸せそうで。フラれるのは辛いけど、好きな人が幸せなのは嬉しいから」

その言葉に、私の目からも涙が溢れる。

「ありがとう…牧野君。私、とても幸せなの。気持ちに応えられなくてごめんね」

「香世子先生、泣かないで。笑ってよ。俺、先生の笑顔が好きなんだから」

私は精一杯笑ってみせた。きっと不格好な笑顔だ。だけど、それを見た牧野君は心底嬉しそうに笑ってくれた。




その後の業務が無いということもあり、私は半休を取って早めに上がることにした。駐車場には藤吾が待ってくれているはずだ。

荷物を持って私は職員室を出る。職員玄関を出るとすぐに駐車場がある。

駐車場の隅の方に藤吾の車があった。助手席を覗けば藤吾はシートを倒して眠っている。

私はフロントガラスをトントンと軽く叩いた。すると勢いよく藤吾が起き上がり、私の顔を見ると破顔した。

「お疲れ様」

彼は車から出てきて私の荷物を取り上げる。

「今日はありがとう。藤吾、卒業式も見に来てくれたんだね」

「あぁ…うん。先生の顔をした香世子を見てみたくて。…俺が高校生だったら絶対に香世子のこと好きになってた。まぁ今も好きだけどさ」

藤吾がふわりと微笑う。

「藤吾、」

「ん?」

「私、先生になって良かった」

その言葉だけで十分理解してくれたらしい藤吾は、ぽんと私の頭に手を乗せた。

「これからも続けたら良い。応援するから」

「うん!」

「帰ろうか。今日のこと教えてよ」

私たちは車に乗る。


何から話そう。


動き出した車の中、私は今日の出来事を思い返し、そっと微笑んだ。



まさか翌週、学校に遊びに来た卒業生に

『先生の旦那さんカッコよすぎ!てかラブラブだね』

なんて言われて赤面することになるとは露とも思わずに。





end

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