プロポーズの真実
目が覚めると私はベッドにいた。隣には藤吾が眠っている。いつもと同じ光景…?にしては部屋の中が明るいような?
時計を見ればもう10時だ。慌てて起きようとしたら、ひどい頭痛がした。
「いったぁ…」
「そりゃあ、泥酔するほと飲めば二日酔いにもなるだろ」
見れば呆れたように藤吾が私を眺めていた。
「泥酔…?私、お酒に酔ったことないわ」
学生時代から、ザルだと言われ続けているくらい私はお酒に強い。まず酔わない。…ん、でも昨日の夜の記憶がまったくない。紗智を晃樹君に渡して、一人で二軒目にはしごしたところまでは覚えているんだけど…。
「…てことは覚えてないか」
藤吾の小さな溜め息に私は首を傾げた。
「何を?」
何かしたのか、私。
そんな私を見て、藤吾が呆れた顔をした。
「いや…いい。それより、今日はゆっくりしよう。家のことは俺がやるから」
「え…そんな、」
「いいから。頭痛が治ったら、夜は外食しよう。明日も休みなんだから、ホテルのディナーにでもさ。泊まってもいいし」
ふんわり微笑まれて、私は藤吾を凝視してしまった。こんな柔らかな表情、初めて見たかも…
顔に熱が集まってくる。そんな私に軽くキスをして、藤吾はベッドから出て行った。
「なんなの…」
まるで、愛されてるみたい。大切にされてるみたいだ。
心がじんわりと温かくなる。
私は胸を押さえて、甘い疼きに目を閉じた。
夜は結婚して初めて外食をした。カップルに人気という高級ホテルのディナーは本当に美味しかった。主菜は真鯛のポワレで、あっさりとした口当たりのよい白身が絶妙だ。
目の前に座る藤吾は慣れた手つきで料理を平らげていく。デザートまでしっかり食べ終え、私たちはグラスに残るワインに口をつけていた。
「今日はありがとう。ここ人気があって、なかなか予約取れないって言うのに」
「どういたしまして。
まぁ、確かにここは人気あるけど…運が良かったんだ。喜んでもらえて何よりだよ」
ワイングラスの中でヴィンテージ物の赤ワインがキラキラと輝く。ワインは飲み慣れないからよく分からないけれど、高いことは分かる。
藤吾はワインを口に含み、やっぱり飲み慣れないんだよな、なんてぼやいている。
今なら、紗智の話の真偽を聞けるかもしれない。
「ねぇ、聞いても良い?」
「ん?」
「昨日、紗智から聞いたんだけど…藤吾って私にプロポーズするずっと前から私のことを知ってたって本当?」
流石に、私のこと好きだったの?とは聞けなくて肝心なことははぐらかしてしまう。
藤吾は私をじっと見つめた後、静かに頷いた。
「知ってた。だから紗智に紹介してくれるように頼んだんだ」
「どうして教えてくれなかったの?」
「なんかストーカーぽくて、引かれるかなと思って。というか舞い上がりすぎてプロポーズしちゃったから言えなかった。そんなんだったから、今さら言い出せるわけもなくて、今に至ってる」
窓の外の夜景に目を向けながら、藤吾は話す。その横顔が淋しそうで、私まで切なくなる。
「でも…」
「まぁ、香世子が俺と結婚した理由が好きな男を忘れるためってのはショックだった。…よく考えたら、あんなプロポーズで承諾してくれたんだ。何か理由があるのは誰でも分かる。分からなかったのは、新婚生活に浮かれてた俺くらいだよな。
でも、俺は香世子を手放す気はないから」
眉を寄せて、藤吾は目線を私に戻す。今にも泣き出しそうな笑顔に、息が詰まった。
「俺、ずっと香世子が好きだったんだ。だから結婚した」
「あ…」
すとんと言葉が胸に落ちた。一つ一つの表情が言葉が、波紋を生んで広がっていく。
私…今、嬉しい…?
良かったって、思った。
藤吾の心が私にあるって知って、ほっとした。
その現実を受け止められないほど、私は幼くない。
私は、藤吾を好きなんだ。
自覚してしまえば、これまでの不可解な感情に説明がつく。映人君への想いだけにすがっていたときとは違う、確かな想い。
きっと私は、プロポーズされたあの日に恋に落ちていた。
「今までごめん。香世子を傷つけてごめん。
もう傷つけない。悲しませたりしない。だから、これからも俺と一緒にいてください」
揺るぎない瞳に、くらりとした。胸がいっぱいで言葉にならない。どうしよう…泣きそう。
幸せかも、しれない。
「今日は香世子の誕生日だろ?だから、もう一度プロポーズ。…って、やっぱカッコ悪いな俺…」 はぁ、と息を吐いて項垂れる姿に、思わず笑いが漏れる。
「ありがとう…人生で一番嬉しい誕生日プレゼントだよ。うん、嬉しい…」
一筋頬を涙が伝った。
藤吾が目を見張る。
「香世子…」
「どうして早く気づけなかったのかしら。こんなに藤吾のこと、好きになっているなんて」
「え…」
「私も藤吾が好き。一緒にいたい。愛してるわ」
言葉にすると、次から次へと想いが飛び出してくる。
悲しかったこと、辛かったこと、すべてが幸せな未来に塗り潰されていく。
「俺も愛してる」
照れ臭そうに笑う藤吾の顔をきっと私は忘れない。彼の頬を伝ういく筋もの涙も。
ホテルの最上階はスウィートルームで、ガラス張りの部屋だ。キングサイズのベッドには上質な生地のカバーがかけてあり、部屋に置かれた机や椅子、小物は高級感が漂っている。
「すごい…」
部屋の窓に張り付いた私を、藤吾は後ろから抱き締める。ガラス越しに熱っぽい藤吾の視線が絡んで、恥ずかしさで俯いてしまった。今までだって同じように見つめられていたはずなのに、気づかなかった自分に呆れてしまう。
「香世子…こっち向いて」
耳元で囁かれて、私は素直に振り向いた。すると慈しむように微笑む藤吾の顔が見えた。
「やっと、香世子が俺のものになった…」
その響きは甘くて、体の奥が熱くなる。
「藤吾、」
名前を紡ごうとした口は藤吾のキスで塞がれてしまう。足に力が入らなくなって膝が折れると、やっと藤吾が唇を離し、私を横抱きにしてベッドへ移動した。そっと寝かされ見上げれば、熱に浮かされたような目が私を捉えていた。
「香世子、俺のこと、好き?」
「うん…」
組み敷かれているから逃げようはないんだけど、恥ずかしくて逃げたくなる。
「言葉にして」
キスが額に頬に瞼に落ちる。何度も繰り返されているうちに服も脱がされ、首や胸へと藤吾の唇が移動した。私はくすぐったさで身を捩る。藤吾に触れられるだけで体が火照っていく。
「香世子、俺のこと、好き?」
「っ!…好き、よ…」
藤吾の声がダイレクトに心臓に響いて、その振動で体が震える。
「俺も香世子が好き」
言葉で感じる、なんて知らなかった。体の芯が熱くなって、その熱に溺れそうになる。もっと、藤吾を感じたいと皮膚の感覚が鋭くなって。胸を大きな手で包まれただけで、背中が反った。
「香世子、俺だけを見て」
耳元で囁かれるのはいつもと同じ。暗示をかけるように強い響きをもって紡がれる。
「いつも、どうして言うの?」
「ん?」
「俺だけ見て、って」
私は今、藤吾だけを見てる。なのにどうして?
藤吾は少し顔を赤らめながら呟く。
「そう言わないと、逃げられそうだから」
…え?
「俺ばっか、香世子を好きな気がして。本当はこうして香世子が腕の中にいることが夢みたいなんだよ」
ぎゅっと抱き締められ、藤吾の顔が見えなくなる。柔らかな髪が頬を撫でてくすぐったい。
私は藤吾の背に腕を絡め、くすりと笑った。
「夢じゃないよ。夢なんかにしないで。強気で上から目線の藤吾はどこに行ったのかしら?」
「…好きな人のことになれば自信なんか無くなるから。しかも上から目線って…高圧的に言いくるめなきゃ逃げられると思ってただけで…。必要が無ければそんなことしないよ」
耳元で恨みがましく言い訳をする藤吾が可愛いと思う。
そんな風に思える自分に驚きながらも、それも悪くないと感じている。
「私はもう逃げないよ。だって藤吾と共に生きるって決めたんだもの」
「香世子」
少し体が離れ、藤吾に見下ろされる形になる。大好きな、燃えるような飴色の瞳が潤んでいた。瞬きをすると雫が落ちて、私の頬を濡らす。
手を伸ばして藤吾の頬を包むと、痛みを堪えるような笑顔を見せてくれた。
「もぅ…今日、涙腺緩みすぎよ。大丈夫だから…私はここにいるよ」
「なんか感動して…。嬉しすぎて、壊れそう」
「ふふっ…。初めて見た、藤吾のそんな姿。良いよ…壊れて。一緒に壊れよう?私、あなたとなら堕ちても良い」
「っ!俺を煽るなよ!本当に香世子を壊しそうなんだから!」
困ったように眉を寄せるが、理性が吹き飛んだみたいに欲に溺れた双眸が輝いている。
背中に回していた腕を外されて、指を絡められる。そのまま頭の横に縫い付けられてしまった。
「良いよ…藤吾なら。壊されてもいい…。私だってあなたを愛してるのよ…それを知ってほしい」
「香世子…」
「藤吾に私のすべてをあげる。だから、私に藤吾のすべてを見せて?」
きっと私たちには必要なことだから。愛し愛される実感、互いの存在を確認することが何よりも大切だから。
もしも今、心臓が鼓動を止めても後悔しないように、精一杯藤吾に想いを伝えたい。
「本当…香世子には敵わない」
コツンと額を合わせると、藤吾は甘く微笑んだ。
やっとか!という感じです。
とりあえず次で一旦終わります。