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すれ違い結婚  作者: 夏帆
3/9

恋のスパイスは

家に帰ると珍しく藤吾がいた。

「ただいま」

「お帰り。今日は遅いんだな」

「うん。仕事が片付かなくて。ごめんなさい、夕飯は今から作るわ」

鎧の取れた無防備な心を晒したくなくて、私は藤吾の顔も見ずに自分の部屋に入った。

スーツから部屋着に着替え、そのまま台所へと向かう。冷蔵庫には昨日買った、鱈の切り身がある。今日は手の込んだものを作る気力もないし、ムニエルにでもしよう。それに味噌汁とサラダ、昨日のひじきの煮物で十分だろう。

ぼんやりと料理を作りながら、私は今日のことを思い出していた。牧野君の想いを受け取るわけにはいかないのは、分かっている。


けれど、藤吾のことはどうしたら良いのだろう。

二人の距離は遠く、仮面夫婦みたいだ。

このままでいたいのか、別れたいのか、変わりたいのか。分からない。


考え事をしていたら、ムニエルは少し焦げてしまった。



夕飯は本当に味気なかった。そもそも二人で一緒に食べることは滅多にないから、会話すら戸惑ってしまう。何を食べているのか分からないくらい緊張しながら、私はひたすら時間が過ぎるのを待った。

「あのさ、」

食後にお茶を出した時、藤吾が口を開いた。驚いて顔を上げれば、やや不満げな表情が見えた。

「どうしたの?」

「俺たち結婚して、もう半年近く経つよな」

予想していなかった話題に、私はぽかんと藤吾を見つめた。

そんな私に藤吾は更に不満げな顔をする。

「やっぱり、結婚式…挙げないか?」

「は?」

結婚式?なんで今更?

まったく意味が分からない。

「俺も仕事落ち着いたしさ」

「はぁ」

「だからどうかな、と」

歯切れ悪く紡がれる言葉に、益々私は混乱する。どうして急に結婚式?愛し合ってもいない相手と、永遠を誓うと言うの?

「私たち、愛がない結婚したのに今更何を誓うの?

言ったわよね、藤吾。私と結婚すると都合が良いって。だから年上の行き遅れの私をもらってやるって」

忘れもしない。自分勝手なプロポーズ。ムードどころか愛さえ無かった。思い出すと腹立たしい。確かに投げ遣りだったのは私もだが、それにしたって人生で最初のプロポーズがあんな風になるなんて、思いもしなかった。

…でも何で、こんなに感情を乱されているのだろうか。普通、どうでもいいはずなのに。

そんな疑問を掻き消すように、私は敢えて嘲った。

「私は周りから見ると不幸せに見えるそうよ」

「…え?」

「今日、生徒に言われた」

藤吾はまた沈黙した。それに構わずに私は続ける。

「ねぇ、なんで結婚したの?スーツにあからさまなリップマークつけるような恋人がいるのに、なんで私だったの?私は、あなたにとって何?

…別れようか?もう、いいよね。体裁は取れたと思うよ」

もう終わろうよ。

私の言葉に、目の前の顔から表情が抜け落ちていくのが見えた。


…なんで?


彼の表情の意味が分からない。

困惑した私は席を立ち上がり、彼を見下ろした。その瞬間、強い力で腕を捕まれた。

「…っ!」

「…だ」

「え、」

能面のような顔に、僅かに走ったのは、何。

「…なんだよ、それ。別れる?ふざけんな…っ!」

目を瞬かせる間もなく、私はさっきまで座っていたソファに押し倒されていた。

頭上には怒りを含んだ双眸がある。焦げ茶色が飴色に変わるのが、綺麗だと思う。


どくん


心臓が大きく鳴った。

え…?今、なんで…

私の動揺を知ってか知らずか、藤吾は不機嫌さをそのままにぽつりと呟いた。

「俺は別れない」

「藤吾!」

「何が不満なんだ。香世子が俺を愛さなくたって、それを詰ったことはない。自由にして良いって言ってるだろう」

確かにそうだ。でもそれは本当に良いことなの?

「映人君…」

ポロリと零れた名前に、藤吾の眉間に皺が刻まれた。

「映人?」


室温が、下がる。


「誰、それ」

誰って…言って良いのかな。高校時代から好きな人です、なんて…言えない。というより言ったらまずいのではなかろうか。でも言わなきゃそれはそれで面倒だし。

考えているうちに、両手を一つにまとめあげられ、頭の上で括られてしまう。

「言えない?不倫相手だからか?」

侮蔑的な響きに、胸が痛む。予想外にショックを受けている自分がいて、更にショックを受けた。

「…違う…」

出てきた声は弱々しい。

「じゃあ何で言えない?言えないような関係なんだろ」

「言えるわけないじゃない!高校時代からずっと片想いしてる相手だなんて!…あ」

ついかっとなって言い返して、はたと思う。あぁ…なんてこと。

「へぇ…」

真上から落ちる声は低い。冷めた褐色の瞳とは対象に、唇の端がつり上がっていく。

私の手をまとめ上げる力が強くなって、鈍い痛みを感じた。

「じゃあ、何で俺と結婚したの。その、映人君とやらへの当て付け?」

「違うわ…」

「じゃあ」

「『一番最初にプロポーズしてくれた人と結婚する』」

「は?」

「映人君とは結婚できない。私の恋は叶わない。忘れたかった。でも私は誰も選べないのは分かってた。だから一番最初にプロポーズしてくれた人と結婚しようと決めたの」

映人君は、私が結婚する一ヶ月前に職場の女性と結婚していた。それが悲しくて、辛くて、想いから逃げようとした。

目頭が熱くなって、私はきつく目を閉じた。話していて、自分が惨めで仕方ない。

「…要は誰でも良かったわけ」

冷えきった声が耳に伝わるが、目を開けることができない。今開けたら涙が零れてしまう。

「俺じゃなくても、良かったんだ?」

「藤吾だって同じでしょ」

それはお互い様だ。

頭の上で大きな溜め息が聞こえる。


これで本当に終わりかな…。


愛もなく生活してきたけれど、一緒にいることが当たり前になった今、その現実に胸がツキンと痛む。

ゆっくりと手の拘束が解かれ、私の頭の両脇に藤吾が肘を付いたのが分かった。

「…ムカつく」

「え?」

「香世子、お前ムカつく」

その言葉に私は目を開けて、藤吾を見た。

なん、で…?

何で、泣きそうな顔してるの?

「藤吾…?」

私は無意識に藤吾の頬に手を添えた。その瞬間、痛みを堪えるように眉が寄る。

「お前は、俺だけ見てろよ。よそ見すんな」

藤吾の顔が近づいて、唇に噛みつくようなキスが落ちる。体が密着して、真冬だというのに暑い。

余裕のない、藤吾にしては珍しい乱雑な手で服を脱がしていく。

「ちょ、ちょっと…!」

慌てて体を離そうとするが、藤吾の腕が腰をしっかりと抱き締めて逃がしてくれない。

「香世子が悪いんだ」

「は?」

「お前の旦那は俺だろ」

「…戸籍上はね。要はただの家政婦よ」

都合の良い家政婦だと思ってるくせに。妻として、慈しんだことなんかないでしょうに。

睨み付けると、藤吾が苦虫を噛み潰したような顔をした。

「そんなことない」

「嘘。毎日、帰ってくるのだって遅いし。あなたこそ浮気してるでしょうに。私のこと、愛してもないくせに」

「…浮気なんかしない。するわけない」

「信じられないわ」

「浮気できるわけないだろ。香世子がいるのに」

「意味が分からない」

「なら、分からせてやるよ」

言うなり、また乱暴なキスが始まる。その後は有無を言わせないくらい、たくさん抱かれて私は気を失ってしまった。

夢の中でも、泣きそうな藤吾の瞳と、性急なくせにどこか優しい指先の熱が、私の胸を震わせていた。




目を覚ますと、ベッドの上にいた。隣には藤吾が眠っている。こうして改めて見ると整った容姿をしているのが分かる。少しだけ口が開いていて、若干間抜け面になっている。

「どうして、なの」

どうして、私を手放さないの。

それは…期待してもいいということ?少しだけでも貴方が私を特別だと思ってるって。

この整った容姿も、やや上から目線な所も、慣れてしまった。昨日まで感じていた不安は、昨日の藤吾の言葉で薄れたように思う。

『お前の旦那は俺だろ』

『家政婦だなんて思ってない』

『香世子がいるのに浮気できるわけない』

迷いのない言葉に、不安を拭われた気がした。

「あなたに向き合おうとしなかったのは、私だものね」

いつまでも報われない恋をして、すべてから逃げてきたのは私。逃げ切れるわけなかったのに。

藤吾のこともそう。

ずっとずっと目を背けてしまっていた。歩み寄ることもせず、気持ちを伝えることもせずにいた。


それでも、藤吾に別れるという選択肢がないというのなら。

私も藤吾も変わらなきゃいけない。

「変われる、のかな?」

藤吾の髪を撫でると、くすぐったそうに彼は私にすり寄り、そして幸せそうな寝顔を見せたのだった。

誰が見ても…という藤吾の態度は香世子に全く届いてません。藤吾が少し哀れな人になってる気も。

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