エピソード6
「愛」とは。
・・・・なんて出だしを使うと、巷の三文小説かよ! と真顔でこんなこと言っちゃった自分が痛々しくなるので、今日はその定義ではなく日本語的「愛」の変遷について話す。
前述に、「うっわ、こっ恥ずかしい奴だな」と思ったそこなお方。あえて言おう。
いわゆる英語のラブや、フランス語のアモルが砂を吐き散らしながら遥々海を渡ってきた頃、要するにロマン主義小説の恋愛至上主義での「愛」の概念が入ってきたのは、明治以降ごく近年になってからだ。それしか思いつかんお前がむしろこっ恥ずかしい。
それ以前の古語にみられる日本的「愛」は「かなし」。相手を愛おしい、可愛い、守りたいという想いを抱くさまを指したという。
現代感覚で言うならむしろ「愛でる」に近いだろうか。
分かんなければイベント会場とかでその辺の大きなお兄さんお姉さんとっ捕まえてきて聞いてみてください。きっと熱く語ってくれることでしょう。
閑話休題。
当たり前のことだが、マルグリードさんは僕の母親である。
男児出生はどんな事情があれ確実に公式記録に残るから、これはもう現王家の治世が続く限り証明されることになる。
でも、証明はあくまで記録に過ぎず、それは決して人の心を強制するものではないし、出来ない。
母子であってもそこに愛情を受けとることができるかは、「当たり前」という言葉とはまったくの別物で。
この人が生まれてくる子を選べなかったように、僕も姿形や生まれてくる場所を選べなかった。
少しだけ、彼女の愛を得やすい姿ではなかった。
だから僕は人より少し努力をしなければ、この人を振り向かせることが出来ない。
そう、思っていた。
***
「で・・・・」
あ、喋った。
揺れる瞳孔に気づけもせずそんなことを思った僕は、改めて考えてみれば甘かったのだろう。
甘々だ。モンブランに蜂蜜をかけて砂糖漬けにしたところへシナモンキャラメルでコーティングしたくらいに甘い。お前お母様の手を握ることしか頭になかったのかよ僕の馬鹿ちん。
「・・・・・・・来ないで化け物ッ!!」
ぱん、と跳ね上げられた彼女の腕が確かに見えたはずなのに、抵抗どころか何のアクションも僕は取れなかった。・・・・多分、それが何かすらよく分かっていなかった。
カシャン、と氷の花が床に落ち、砕け散った。
仮面を弾き飛ばして頬を裂く爪が呪いのように、真白な肌に赤い線を残す。
その場の痛みはほとんどなかった。
その代わり、かっ、と沸き上がった熱が渦を巻いて皮膚の下をうねりだした。咄嗟に頬を抑え、早口に魔素の糸を集めて傷口を塞ぐ。――――魔力が、蠢いていた。
仮面を弾き飛ばす瞬間、爪は鱗を一枚、掠めていったのだ。実際は剥がすほどもなかったけれど、突然穿たれた僅かな出口に反応したのであろう。
――――結構、いやかなり、拙い。
「ッつ、キース様!!」
「平気だから。・・・・少し、落ち着くまで待ってて」
心の内では「鎮まり給え―!!」と叫びつつ駆け寄って来ようとする爺を片手で制し、鱗代わりの魔素の密度を上げていく。
大丈夫だ、落ち着け。爺と散々やってきた魔力コントロールだろ。
感情に惹かれて今更のこのこ出てくるんじゃないよ。
「あ・・・・」
一瞬だけ、マルグリードさんは狼狽えたような視線を向けた。
貴族らしからぬ振る舞いをしてしまった己への悔恨か、「化け物」に対し歯向かったことへの恐怖か。・・・・はたまた感情に任せて「我が子」に手を上げた自分への戸惑いか。
近づきすぎてしまったのは、僕の失態だ。焦りは禁物だったのに、この阿保ちん。
じくじくと痛む頬を隠すように片手で覆い、僕はにこりと笑った。
「大丈夫です。でも今日はお母様のお加減もよろしくないようなのでこのくらいにして帰りますね」
部屋を出ると同時に、堪えていた何かがどっと肩を滑り落ちていく気がした。
転生したのが僕で良かったと思ったことがある。もしこの状況を何の盾も知識もなく放り込まれたのがキース君なら辛かろうと考えたからだ。
「何て言うか・・・・これは思った以上に、・・・・」
きつい。
正直な話、僕は彼女からの拒絶にショックを受けている「自分」がいることに驚いていた。
僕は転生者だ。虐待児童の存在も、それでも彼らが親を切り離すことの出来ない悲劇も、知識として知っている。・・・・その心的外傷の回復には、まず親から受けた影響を理解し「自分の望むように愛してはもらえなかった」と認める過程が必要なことも。
転生という事態が何故この身に起きたのか、何のために起きたのか。その理由は今だ判然としない。
だが今回の一件で少なくとも一つ、分かったことがある。
僕は転生者であると同時に、「キース」の心――――その幼さも内容している。
これまでは見た目は子供、頭脳は大人の某探偵気分じゃないが単純に「 前世年齢 + 今世年齢 = 精神年齢 」と考えていた。
だがそもそも肉体と心の乖離は、そんな単純な話なのだろうか?
たまたま思い出した前世の記憶の影響を受けているが、今ここにいるのは紛れもない「キース」だ。
愛してはくれなかった母を、自分がどんなに努力してもあの人は自分を傷つけただろうとは思えない・・・・思いたくないと縋る幼い心。
冷やかに見つめるもう一人の自分がいる一方で、僕自身が手を伸ばし続けている。それはバラバラに分かれた個人のようで、分かちがたく融け合ってしまった一つでもある。
「一度部屋に戻りましょうか。美味しいクッキーを焼いてありますゆえ」
「・・・・・・うん」
気遣うように爺がそっと背を押した。
こんな妙な雰囲気につき合わされて、さらに気を使わされて。爺にはちょっと悪いことをしてしまった。この結果を予想していたからこそ、あれだけ反対していたのに。結局甘えて付きあわせてしまった。
やはり鱗を消す手段について考えねばならない。「キース」の心が取り返しのつかない爆弾になってしまったとき、僕の理性は「キース」を止める盾にはなり得ない。
いや悪堕ちとかホント冗談じゃないから。勘弁してください。僕平和を愛する小市民なんです。なのになまじ魔力がある分ロクな最期にならないのは目に見えているのが怖い。
「参ったな」
ラブ&ピースって、別に万能な言葉じゃないんだね。
帰ったら今度は図書館に入れるようにお父様に面会を申し込まなきゃ。
もっと早く、強く、僕は大人になりたい。・・・・そう願うこの気持ちは、どちらの僕のものなんだろう。
ストックが空になったので毎日更新はここまでです。
出来るだけペースを落とさないように書いてくつもりですので、今後ともよろしくお願いいたします。