エピソード5
初夏寧日。
百花の園は今日も天気晴朗である。
「爺、どうかな。どこか変じゃない?」
僕は姿見の前でくるっと回る。
「よくお似合いでございますよ。気品と知性と強さと優しさとカリスマが満ち、爺は今このときもキース様の内から溢れ出るオーラをびしびし感じておりますれば」
「うん? オーラ? ・・・・まあ変じゃないならいっか」
今日はいよいよ後宮を出て、城の居住区に移る日。
マミーとの顔合わせの日である。
人は見た目が八十%だからね。初対面の印象は大事にするに越したことはない。あれ、でもよく考えたらそもそも生後数時間のファーストコンタクトで失敗してたんだっけ。
・・・・いやいや、物事を悪く考えるのはやめよう。
大丈夫、今日は氷魔法で作った片仮面を着けてる。普段は緩く後ろで結わえただけの縹色の髪もちゃんと櫛を通してあるし、爺見立ての仕立てのよい濃緑のコートは子供らしくも凛々しさが漂う男前三割増し。・・・・若干オペラ座の影男さんっぽいのはお愛嬌だ。
ではでは仕上げにかかるとしますか。
「爺、あれを」
「はい。こちらに」
爺が差し出してきたのは海のような深い色をした上品な青のリボン。本日のお母様への手土産だ。
礼を言って受け取り、僕はそっと片手を広げて意識を集中させた。
「――――【歌え歌え、糸巻の歌】」
き、と微かに雪の軋むような音がしたかと思うと、細い魔素の糸がふわりと手のひらに集まってくる。
僕はそのうちの美しく丈夫そうな一本を選りすぐる。
「【銀の花輪を紡ぎ成せ】」
青いリボンが一瞬波打ったかと思うと、瞬く間に氷の花蔦に巻き込まれ可愛らしいリースとなった。最期に少し残ったリボンを蝶結びにしてやれば、プレゼントの完成だ。
うん、我ながら上出来。
僕はためつ眇めつ各所を点検し、頷いた。
魔法や魔術には基本的に属性というのはないらしくが、得手不得手は個人によりかなり分かれるものらしい。僕の場合水や氷系統の魔法は得意だが火や土系統の魔法は苦手、といったように。
魔法の基本はまずイメージ。
前世都会人、現引きニートの僕には実際の火や土は、大掛かりなものや凝ったものとなってくると、ちょっと想像しにくい。一方水や氷は爺の扱うところも見てるし、夏場は割と身近な存在だ。
呪文も工夫した。
あくまでワードはイメージを固める付加的なものに過ぎないので僕なりにいろいろ試してみた結果、例のモヤモヤを糸状にすることでコントロールがかなりしやすくなるようになった。
薄く繊細な花芯の一筋に至るまで、ちゃんと神経が行き届いている。
日本人は何でもかんでも小型化と季節毎のバリエーションの豊かさに魂をかける国民。細かい作業に凝りだすと、ああ自分が確かに日本人だったんだなあって納得する。前世と言っても自分の名前も思い出せない、今世に至っては姿かたちも完全なるアングロサクソンなのに、不思議なものだ。
まあそんなわけで爺のお墨付きまで頂いた氷の造形については、ちょっとした自信がある。
「流石はキース様。後宮のメスぶ・・・・いえ、貴婦人方にくれてしまうには勿体ないほどの美しい仕上がりとなりましたね。やはり他のお土産にしませんか?」
「綺麗な花は女性に捧げてこそなんだよ。僕が持ってたって仕方ないだろ」
「キース様の方が余程お可愛らしゅうございますよ?」
「ふふ、ありがとう」
いたいけな六歳児が花束を抱えた姿も確かにかわゆかろうが、そこは僕も男の子。
育て親の爺に恥じぬジェントルマンになり、どうせなら可愛いと言われるより言う側の大人の男になりたいのである。
僕はにっこり笑って爺の袖を引いた。
「さ、もう行こうよ爺。きっとお母様も待ってるよ」
「キース様・・・・」
そう、お母様もきっと待ち焦がれていて下さるに違いない。
なにせ今ならもれなく美中年執事が付いてくるんだからね!
***
初めて、という訳ではないが、僕が私室を出たことは本当に数えるほどしかない。
はい今「なんだただの引きこもりね」と思った奴、そこで正座してなさい。僕が良いというまで足を崩しちゃいけません。
そもそもこの部屋自体が広いし、風呂もトイレもばっちり完備されている。使用人用の次の間には小さいが給湯スペースも設けられている。
ここまでくるとそうそう出る理由がないのだ。
一度ドアから廊下の様子を窺っただけでメイドさんに睨まれ、子犬を蹴飛ばすような調子で厳重注意された。よっぽど爬虫類がお嫌いらしい。
まあ冗談はさておき。
お日様の光を浴びないとビタミンDの生成が阻害され骨軟化症、いわゆるくる病なんかにかかりやすくなってしまう。日向に手足を出してちょこんと佇んでみたりとこまめに日光浴モドキをしているのだが、マルチビタミンはない日サロもないこの世界では、僕のお肌はますます雪のように白くなりつつある。白いアスパラガスみたいなもんだ。
色白美人なんて言葉、男には通用しない。なまっちろいと言われて舐め腐られてお終いである。何より色白だと鱗が余計に目立つ。
後宮を出次第、可及的速やかな対応検討が必要だ。なんだかやらなきゃいけないことがどんどん増えてきている。
僕の母上様ことマルグリードさんは、はっきりした目鼻立ちに健康的小麦色の肌が魅力的なラテン系美人だったらしい。その倅が屋内育ちのアスパラガスでは母上様も肩身が狭かろう。
「やっぱり、ドーランでも塗ってくれば良かったかな?」
「お言葉ですが・・・・恐らく仮面との取り合わせが悪しゅうございますよ」
「駄目か」
「おすすめは致しかねます」
沈痛な表情で首を振る爺。
これは彼的「ないわ~」の意思表示である。公式の場ではそんなにアウトなのかな、ドーラン。
さて、僕らが今立っているのはエリアボスのもとへ続く扉・・・・ではなく、小麦肌のラテン美人のプライベートスペースへと繋がる魅惑の扉である。
ちなみに面会依頼はすでに出してある。今日の今日までとうとう返事はなかったけれど。
緊張に汗が滲む手をズボンで拭い、僕は大きく深呼吸してドアを叩いた。
「お母様。キースです」
・・・・・・・。
返答はない。
でも入るなと言われたわけじゃないから、普通に入ります。爺も後から続く。
仮にも王の寵を得た一国の妃ともあろう人の部屋は、僕にも分かるほど高価な家具を置きながらその反面、驚くほど人の暮らす気配とでもいうべきか、そういう暖かみに欠いていた。
匂い立つような初夏の日差しがレースのカーテンを揺らしていた。
窓際に置かれた椅子に腰かけていた女性が、ゆっくりと振り向いた。
マルグリード・ラフォン。
この世界へ僕を産み落とした、僕にとっては二人目の母親。
憔悴し、落ち窪んだ眼をしていてもなお、美しい面影の偲ばれる人だった。
「えっと、・・・・はじめまして、というのも変ですね」
まずは自己紹介を、と思ったがよく考えたらこの人は母親だ。今更自己紹介も何もない。んなこと知っとるわいってとこだ。
自分のコミュ力の低さに泣けてきた。
と、取り敢えず笑顔だ笑顔!
「今日はお母様にお会い出来て嬉しいです。あなたにずっと会ってみたいと思ってたんですよ」
「・・・・・・・」
方向を転換して「会いたかったよお母さん」三千里アピールをしてみるも、変化なし。まあ、流石に会ったばかりでいきなり「母さん!!」「息子よ!!」と抱き合うのはまず無理だろうと分かってたのだが。
「あの・・・・お母様?」
・・・・なんかさっきからずっとぼんやりした目でこっち見てらっしゃるんだけど、まじで大丈夫なんだろうか?
ちょっと心配になってきた。
というか無言が若干怖い。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
こ、言葉のキャッチボールが続かない・・・・!!
「・・・・お母様これ、僕からのお土産です」
会話も続かんしでチキンな僕は早くも最後の手段、アイテム「氷のリース」を使用することにした。
どうせ今日のところはリースを手渡し、が目標アベレージである。
・・・・あれだけ大言抜かしておいてお前何文字肉声発したよ? てか目標低ッ!! とか言わないで。
これはいわば戦略だ。
こう、渡す拍子にさり気なく相手の手に触れ、意識を少しなりともこちらに向けるための布石である。
女性はこういうさり気ないアピールの積み重ねで転がすのだという、爺直伝の四十八手である。母子の再会というこの場においては激しく何かが違う気がせんでもないが、折角の気遣いなので参考にしてみることにした。
ちらりと爺を見て、頷く。
オーライ僕。やることはわかってるな。
持てる子供らしさを全面に展開。オヤジ臭くなく、かつ自然に、ママンの手をそっと包み込むように握るべし。強く握るのではなく、あくまで触れるか触れないかくらいの柔らかさがポイントだ。大丈夫、爺の手で何度も練習したじゃないか。
一歩間違えばセクハラになりそうなことを考えながら、僕は窓際に距離を詰めた。