エピソード15
そろそろタイトル詐欺って言われそう。
どぽぽぽぽ、と下利便のようなファンタジーにあるまじき音が響く。
次いで、魔方陣が青白く浮かび上がるや手の下からぶわっと白濁が溢れ出てきた。成功である。
勢いよく吹き出る霧に僕は歓喜した。
この鱗ときたら剥がれても数日後には生え変わるもんだから、一時は固形化した魔力ではなく変性した皮膚なんじゃないかとも疑ったりもした。だが魔石の代わりとなるということは、やはり魔力変性の方向性で研究を進めるべきということで。
方針は定まった。
小さいがこれは大きな一歩である。
「おお・・・・なんか思ってたのより、威力がある、なあ・・・・?」
止まるところを知らぬ霧に、部屋はすでに白く濁ってきていた。どちらかと言えばまだ残暑の気配の残るラフォンだが、秋霜というほど薄ら寒い。
起動は魔力の注入でいいとして。
停止はどうするんだろう?
ゴボボボボッ、グボボオオォォオオ!!!
なんか段々凶悪になってる・・・・?
基盤を手で抑えるも、霧の勢いに押し返された。え、ちょい待てちょい待て。恐いよめっさ恐いよこれ!?
戸惑う僕を嘲笑うかのように基盤は忍者の七つ道具かという猛烈な勢いで霧を吐き続ける。
加湿器どころじゃない。窓を開けようにも自分の手のひらすら見えなくなってきた。
爺ヘルプミイイイイイィィ!!!
だが、やって来たのは爺ではなかった。
「あららん、これは凄いわねぇ」
誰もいないはずの部屋で、鼻にかかるような女の声がすぐ背後で囁かれた。
すっと白い手が基盤を浚い、真っ赤に塗られた爪を立てる。きい、と細い爪痕を付けたかと思った瞬間、あれほど馬鹿みたいに吹き散らしていた霧の噴出が止まった。
よ、良かった。止まった。
そうか陣を破壊するべきだったんだな。
そんな単純な手段も思いつかないとかどんだけテンパってたんだよ。僕ってばお茶目さん。
彼女がパチンと指を鳴らすや窓ガラスが砕け、吹き込む外の風に室内の霧が薄れ始めた。山あり谷ありのないすぼぢーが次第にはっきりとした形をなしてゆく。
安堵の溜め息を吐いて額を拭っていると、くすくすと笑い声が響いた。
「やあっと見つけたわぁん。『竜の目』」
蕩けた蜂蜜のような目が笑みの形を描く。
その瞳孔は僕と同じ・・・・爬虫類ちっくな三日月型。
「竜・・・・・・?」
「あらあら、賢い子は好きよん」
屈まれたことでぐっと押し上げられたたわわなお胸の連峰が強調される。昨今の日本男児はとみに性的退行をしているというが、後ずさった僕は悪くないと思う。
カチカチという音がした。震えて歯が鳴っているらしい。
気後れとかそういうのではない。――――ただ単純にこの人が恐い。
「ウフフン、用心深いこと。流石、ここまで隠れおおせてきただけはあるってことかしら? まったく、すんごい探すの大変だったのよぉ。もしこれで薄汚い豚みたいのが自分の魔力量に慢心していたのなら噛み殺してやるつもりだったけど・・・・よく見ればアナタなかなか可愛い顔してるじゃない」
全身が毛羽立つように鳥肌が立っていた。
波打つプラチナブロンドにうりざね顔の美人さんである。しかしこの威圧感はどう贔屓目に見ても人間じゃない。
覇気と纏ってるんでねーのこの人。この世界剣も魔法もあるファンタジーだし。蛇に睨まれた蛙って多分こんな気持ちだ。
逃げろ今すぐ逃げろと第六感が叫び散らしている。
「ホント、――――食べちゃいたいわぁん」
「・・・・・ッ!!」
その瞬間。
ルージュも引かれてないのに赤い唇が某都市伝説の妖怪のように裂けた。
「良い子だからそのまま大人しくしててね。痛いのは嫌でしょう?」
ばさりとコウモリのような皮膜の張られた翼が風を起こし。糸を引く顎には見るからに頑健そうで、並んだ鋭い牙は多分僕くらいなら骨ごと美味しく頂けるだろう。髪と同じプラチナブロンドの鱗が硬質に輝く。
絵本を始めこの国の誰もが知っている。けれど、とうに姿を消したと思われた、最も強く賢き審判者。
――――竜だ。
呆けた頭がようやく機能できたのは、咄嗟に獣臭い息から顔を背けることだけだった。
生暖かい感触が体を包み込み、ああ、こりゃあ死んだなと思った。
***
「少年~! 初めての空の気分はどぉ?」
「・・・・強いて言うなら風圧が凄いですね」
「そうよねん。この風を切る喜びは翼あるものの特権よぉ。んもう、少年ったら分かってるじゃない!」
うん駄目だ、この人話が通じない。
そしてふがふがと喋る度に口に加えられた腹部に牙がぐりぐりと刺さる。本人(本竜?)は甘噛みのつもりなんだろうけど地味に痛い。
眼下を猛スピードで流れ去る景色はすでに王都を示す城壁を抜け、ブロッコリーのごとき緑の森を抜け、合わせ屏風のように岸壁切り立った渓谷に差し掛かっていた。
落ちたらもれなく挽き肉である。万が一助かったとしても、子供の足では到底城・・・・というか人里にすら戻れないだろう。お腹に刺さる牙は痛いが、この場では唯一の命綱だ。
噛まれ過ぎてもアーメン、弛すぎても南無阿弥陀仏。お姉さんのお喋り具合に僕の命がわりと懸かってる。
出来るだけ口を開けてくれるなと念じつつ、話しかけられたら短く、会話がつまらないと思って頂けるようなぶっきらぼうな口調で返す。
「少年は無口ねぇ。それともシャイなのかしらん。ママの代の『落とし仔』はやたらと自己主張の激しい坊っちゃんだったって言ってたのに。お姉さんもっとお喋りしたぁい」
・・・・勘弁してください。
女性の誘いを無視するなどジェントルマンにあるまじき会話力なんだろうが、落とされては僕も一貫の終わりなのである。享年をわずか十歳で散らしたくない。
取り敢えず、貴女は誰とか、どこへいくのかとか、僕は食べられちゃうのかとか。訊きたいことは色々あるが目的地に着いてからまとめて訊くことにする。動かない地面にさえ着いたら話し相手だって喜んで努めよう。
だから今は喋らないで欲しい。切実に。
ちらっちらっ。
が本来の効果音なんだろうけど、僕の位置だと大人の拳大の眼球がぎょろりと動くのが間近で見てとれて(眼筋の動きまでわかる)ただでさえそこはかとなく感じている被補食感が半端ない。
ほんと、何でこんなことになってしまったのでせう。