クララは見た。2
こんな悲劇があるでしょうか。
いえ、もちろん王宮で蛇と疎まれる忌み子、それも実の兄に、想いを寄せてしまったマリー様の心情は推して測るべきでしょう。でも私はそれどころじゃありませんでした。
私の経験上男は皆、所詮羊の皮を被ったサルです。
毎度毎度下らないちょっかいを掛けてきてはサル踊りしてサル喜びしているサルなのです。無害そうな振りをして、その実、食事と昼寝、壮絶に下らなく傍迷惑でアホな悪戯のことしか頭にないサルなのです。
そんなサルどもの中でもとりわけ煮ても焼いても食えなそうな男を、私の女神は慕われてしまったのです。これを悲劇と言わずなんとしましょう。
応援すべきか、諌めるべきか。
それが問題です。
マリー様はその日より、お母上に内緒でこっそりと図書館に通われるようになりました。
片親きりの兄を物陰からそっと見つめ、切ないため息を吐くマリー様。
なんておいたわしい。
しかし、多少見た目が綺麗であろうと所詮は羊の皮を(以下略)。
突然指を振るったかと思うと、あっという間に魔法で私たちを捕縛してきたのです。
というか、溶けません。なんて高密度の魔素を込めてるのですか、この氷魔法! 逃げる隙すらないではありませんかサルのくせに!
「こんにちは、お嬢さん方。・・・・それで、君たちはこんな埃っぽいところで探検か何かかな?」
心の中の罵詈雑言を見透かしたように、腕を組んだ少年がちろりとこちらを見上げました。
瞳孔が針のように細くなり、赤い唇が笑みを浮かべています。
圧倒的上位者。
本能的に体が震え上がっていました。
しかし、流石はマリー様。
捕らわれてなお、臆すことなく堂々と胸を張ります。
「今更探検なんかしなくたって、城のことくらい何でも知ってるわよ!」
「へぇそれはすごい。それで、ここへは何のご用事かな?」
「お前の正体を暴きに来たのよ!!」
「正体、ね・・・・。周りの人には聞いてみなかったの?」
うん、照れを誤魔化し素直になれないあたりがマリー様。
そしてこちらの反応を試すように首を傾げる少年。
あざといのです。マリー様の純情な乙女心を弄ぶためか、わざわざ自分からは兄と名乗らないあたりが余計に。
「お母様は『呪われた蛇の子』って言っていたわ」
そうそう、そんな底意地の悪いことばっかしているから・・・・って、
「ちょっ、マリー様!!」
「良いじゃない、ほんとのことよ」
煽りすぎです、危険です!
流石にちょっと正直過ぎるお言葉に、私は目を剥いてしまいました。
こちらが言い返した途端、意味不明の逆上するのが男という生き物です。ましてやこの年で魔法まで習熟した絶体強者であるこの男は、どれ程の仕返しをしてくるかさえ未知数です。
い、いざとなったら私がマリー様の盾とならねば。
決意を固めたところ再び目が合い、無駄だと言うようにひらりと手を振られました。
人ならざる白皙がにっこりと微笑みます。
「ひとつだけ聞いてもいい? ・・・・君たちの口って、固い方?」
・・・・成る程、取引というわけですね。
私はマリー様共々頷いて了承の意を示しました。
少年に「ここで立ち話もなんだから」と促され、少年の部屋へと場所を移動します。
つまりは敵本陣。
私たちだけでは些か心許ないので道すがら猫たちに救援を募ります。これで城中の猫たちが集まってきてくれるはず。
数分ほどで早速早耳の猫王がやって来ます。
やって来たのですが・・・・・・陛下、何故その男の膝に乗っているのです?
使用人がお茶を用意してくる頃には集結した猫たちが集まっていも洗い状態で床を占拠していました。
初老の、しかしこれまた整った顔立ちをした執事は嫌そうに猫を跨いでいきます。
ここまでくると流石に異様に思えてきたのか、少年も顎を撫でております。サルどものあまりの無知さ加減に哀れを覚えられたのか、マリー様が祝福魔法について説明なさりました。
ま、マリー様、それは流石に褒め千切りすぎですぅ!
偉そうですが、実際は世の中を下半身から見たような低俗なゴシップを延々と傍らで聞かされるだけの能力なんです。嘘は好まない精霊たちも関わるんで信憑性はそれほど低くはないらしいのですが、基本的にマリー様にお聞かせするのは憚られる下世話な内容ばかりなんです。
「・・・・成る程。それで未来のドラゴンライダー殿がいらしたって訳か。正体を暴きに来たっていうのも?」
「ええ。だってお母様は蛇、でも猫たちは竜と言ってるのよ。気になるじゃない」
「竜の目・・・・っていうのは確かな話なのかな? 竜の存在を、精霊たちは知ってるの?」
いきなりこちらに向けられた金の目にビクッと体を震わせつつも私は頷いた。
「そ、その、はい。当代の猫の王は建国期の頃産まれたそうなので、まず間違いないと思います」
「その理由は?」
「一番最初に肝試しに行ったのが、その、猫の王で・・・・・・因みに今キース様が膝に乗せてらっしゃる子です」
予期せぬ告発にビクッとヒゲを震わせた猫王。裏切り者ォ! と叫ばれた気がするが黙殺します。
抱き上げられた猫王はプライドをかなぐり捨てたのか、持てうる愛嬌を総動員して愛想笑いをを振り撒いていました。猫の癖に尻尾を振るとは器用な奴なのです。
「・・・・・・・・猫の王って長毛種なんだとばっかり思っていたよ」
遠回しに、思ってたより威厳がないと言われてます、猫王。
ともあれ、これで私たちの手の内はすっかり明かしました。次は少年の番なのですが、ここにきて彼は出し渋るようにふっと胡散臭い笑みを浮かべました。
「正直な話、僕自身にもこの鱗は何なのか分からない。図書館に入り浸って調べているけれど、手応えすら得られていないんだ」
それは答えになってません。いや、この男は初めから答えないつもりだったのです。
しかし私が抗議の声をあげるより一瞬早く、口を開いたのは彼でした。
「僕はね、この鱗と目を無くしたいと願ってる。――――これがある限り、君らは人間として見てくれないだろ」
マリー様の顔が、ざっくりと刺されたように歪みました。
咄嗟に自分は違うと、私たちには言うことができませんでした。
羨望と、諦感。
蛇か竜かって問い自体どうでもいい。彼はそう言って苦笑します。
恨みすら覚えない無関心が、一人の少女の心に紙を引いたような薄く疼く細い傷跡を作っていくのが分かりました。
青ざめたまま、マリー様はとうとう弁解すらしませんでした。
***
「・・・・・・ねぇ、クララ」
キース様の部屋を辞してから、マリー様は長いこと何か考え込んでいました。
顔をあげたマリー様の目は、強い光に満ちておりました。
「私、剣の稽古だけじゃなく、もっと勉強するわ。無知が人を傷つけて良い理由にはならないと思うの」
人間になりたいという、異形の我が身を疎む少年。
私たちの見えないところにも世界は回っていて、無責任な言葉や行いが知らず知らずのうちに誰かを傷つけていることがある。それは彼に向けられてきた視線や悪意を集約したような寂しい言葉でした。
「もっと知りたい。ううん、知らなくちゃいけないのよ。自分の好奇心だけじゃなくて、もっともっと・・・・」
マリー様は前向きで真っ直ぐで、強くて優しい。そしてどこまでも駆けてゆく人です。
この方が言葉にした決意は、いつも必ず実現しそうな、遠くない未来のような不思議な予感があります。光と影のような、未完成で向い合わせの彼らのこのやり取りを、多分私は生涯忘れないでしょう。
恐れ多くも友人として私に手を差しのべてくださったマリー様。
私はどんなときだってマリー様の味方なのです。
ならばすべて受け入れ、共に走り抜いてこそではありませんか。
「・・・・・・心から応援いたします。私も是非一緒に学ばせてくださいませ」