エピソード12
蛇と竜。
元日本人からすればこの二つは近いように感じられるが、ラフォンでは限りなく遠い。
どれくらい遠いかというと福島と福岡くらい違う。別にどっちが偉いとかいうわけじゃないけど。
竜が武勇と叡知を兼ね備えた畏敬をの念を集める特別な存在である一方、蛇は地を這う醜い生き物という認識がなされている。諺でいうならば『月とすっぽん』というヤツだ。
「・・・・正直な話、僕自身にもこの鱗は何なのか分からない。図書館に入り浸って調べているけれど、手応えすら得られていないんだ」
夏の日差しはすでに西に傾き、細い金色の筋を造り窓から差し込んでいた。
僕は飄々とした外面を保ちながらマリーに目線を合わせ、腹のうちで慎重に言葉を選んでいた。
「僕はね、この鱗と目を無くしたいと願ってる。――――これがある限り、君らは人間として見てくれないだろ」
怯えたようにマリーが息を飲んだ。
「あなたは、自分のことが嫌いなの・・・・?」
「まさか。確かにこの鱗も目も、僕が望んだものじゃないよ。でも、生まれる姿形が選べないから、騎士たちだって弱点を克服するために訓練をするんでしょ? 僕にとっての鱗はもそれと同じ」
「・・・・・・」
醜くとも美しくとも、それは所詮言葉の形。きっと両者ともその本質はもっと透徹で同じくらい尊い。蛇も竜も、それぞれ過程の末辿り着いた形に過ぎなくて。
――――だから僕は、僕が生きやすいように生きるだけ。
ただの人間になれば誰からも愛されるなんて思ってはいない。
それでもただ理不尽に拒絶される自分の運命を呪うより、必死に足掻いて立ち向かうことを選んだ。
「だから誰がどんな噂をしていても構わないし、蛇か竜かって問い自体どうでもいいんだ」
僕は僕だ。
蛇でも竜でもない。『人間』になるための通過点。
無条件に、とは言わないが親や周囲に愛され望まれるマリーやクララ嬢より、少しだけ回り道が必要だってだけ。
僕はぐにぐにとよく伸びそうなカイゼル陛下の温かな喉を撫でた。
***
「随分と彼らを気に入られたようですな」
茶器を片付けながら爺が唇を尖らせていた。いい大人が普通ならかなりウザイところだが、無駄に麗しく有能な執事さんがやると何故か絵になる。
これがイケメン補正か。女性はこういう時折見せる少年っぽさにきゅんとくるのだろうか。
気まずい雰囲気のままお帰り願った僕とは大違いである。
「折角の女の子の客人だったのに、紳士にあるまじき追い返し方をしてしまったね」
「マリー様を介して将軍を味方につけようとは思われなかったのですか?」
「やだよ。僕屋内大好きだもん。あの子の遺伝子オリジナルなら絶体無駄に熱い筋肉マッチョだと思うもん」
適当に誤魔化して読書に戻ろうとしたが、横から伸びてきた腕にさっと本を浚われてしまった。
「キース様は継承権を持つ尊き御身。将軍の助力を得られるなら王位も届かぬものではございません。蛇よ蛇よと陰口を叩く者共を、見返したいとは思われないのですか?」
哀しみとも憤りともつかない感情に眉間を寄せる爺は、我が身の事のように僕の立場を憂いてくれる。
「いずれは継承権も放棄して手に職つけて、静かに暮らしたい・・・・そう言ったら、爺は失望する?」
「いいえ。わたくしはどこまでもキース様にお仕えいたしますよ」
「ありがとう」
彼の返事にホッと緊張を解いた。
「爺がいてくれるならもうなにも要らない」とか言うと若干例のピンク小説っぽい感じがせんでもないので口にはしないが、彼が大切な家族であることには変わりない。後ろ背を押してもらうのは爺が良かった。
「僕は王位は継がない。僕はそんなに器用じゃないし、きっと厄介事の方が多い。僕みたいな半端な立場では国に混乱と沢山の犠牲がでるよ」
跡継ぎなら他にもいるし、僕一人の我慢と民の平和、どっちを選ぶかなんて分かりきったこと。
たとえ僕が王になれたとしても、それは周囲に愛してもらえることと同義ではない。きっと虚しいだけだ。
得られるものがわずかなら、そんな物騒なことはしたくない。僕はひ弱で繊細なグラスハートの引きこもりなのだ。
「キース様はお優し過ぎます。貴方様に流れるのは人の上に踏み立つべき血統ですぞ」
「踏み立つって・・・・望みが小市民的すぎて向かないだけだよ」
向き不向きはあります。
もしナマケモノが百獣の王とか言われたら、「チョロいぜ」とばかりにあちこちの大型肉食獣が反旗を翻すだろう。
余計なフラグは建設したくないのである。
『竜の目』かぁ。
そこはかとなくちゅうにちっく。
その夜、僕は潜り込んだベッドの中で久々に祟り神様を召喚してみた。
うねうねと蠢くコバルトブルーが目に眩しい。
シックスセンスで何となく捉えるしかない人間と違い、僕には魔力は明確な色と形をもって存在する、触れ得るものだ。この事はまだ、爺にすら話せていない。
何となく、前世で初めてMRI画像を見たときのことを思い出した。
真っ白い鰻の寝床のような空間で、いっそグロテスなまでの人体の断面図が撮影されてゆく機械。死を司る物質を垣間見てしまったような恐ろしさがあった。
顕微鏡しかり、レントゲンしかり。単純に見える範囲が変わっただけで、パラダイムは劇的に変わる。
ぶち陛下の言う『竜の目』とは、恐らく魔力の流れを見る能力のことだ。上手くすればこれまで伸び悩んでいた魔術のあり方は爆発的に発展する。
平和的に、心穏やかに過ごしたい今世なのに、この上王位なんて明らかな厄介事フラグではないか。やだやだ、早期隠居希望。晩年は田舎でのんびり畑でも耕しながら暮らしたいよ。
――――ドラゴンライダーになりたいの!
強く輝く瞳を持つ、腹違いの妹。
マリーは自分の立場が巻き起こす影響すら省みず、ひたすらまっすぐに走ってゆくのだろう。人を惹き付ける素質だなぁと思う。周りは振り回されながらも無難な今より、彼女の見る世界に触れたくて、一緒に走ることを選ぶのだ。
今日だって、マリーは相対する二つの噂に際し、自らの目で「僕」そのものを確かめに来た。この年頃の少女が、周りの雰囲気にただ流されず己れの判断力を恃むなどなかなか出来るものではない。
そう言う意味では、僕はこの思い込んだら一直線の猪娘が、気に入っていたのだ。
ここからしばらく実習ラッシュになるので、ゴールデンウィークごろまで更新が遅れます。