エピソード9
読書はあらゆる趣味の中で最もお金のかかる趣味であると僕は思う。
知識とは貴重である。かのアレクサンドロス大王が自らの名を付した図書館を各地に建設し、国中の知を集めたことからも分かる通り、国家の礎となるものだ。数学など元を辿れば学問というより宗教的存在であったのでは、とさえ言われている。
しかし、貴重なものは普及しづらい。
だって納める相手が馬鹿の方が、支配しやすいもん。
なにせ転生ネタの小説や漫画で四則演算出来るだけの主人公がヨイショされたりするくらいだ。誰だって蔑まれるより尊敬されたい。・・・・いや、敢えて蔑まれるのやお仕置きが好きな人もいるかもしれないけどさ。
叶うなら勉強なんかしないでウハウハ遊び暮らし、それでなおかつ人々の尊敬を集め美人のかみさんをゲッツ!! うん、その気持ちは分からんではない。
しかしいかんせん、識字率を上げなければ本を書く人は増えないのである。
だって考えてもみてよ。
俺様最高ひゃっはー! のおっさんの自画自賛自伝しかない本棚。そんなの読みたい? 読みたいか?
文字媒体の一番の利点は、色んな立場から見た景色がある、という点だ。でも朝から晩まで必死に働かなきゃ生きていけないような環境では、ただ座したままでは文学が生まれようはずがない。
そういうワケで、識字率の普及はともかくお金がかかる。
国家予算レベル、それも一朝一夕ではない。
つまり何が言いたいかって言うと。
読書を趣味と言うには文化的背景を得られる程度の内政の安定ありーの、広く読み書きが普及してるーの、という社会でおいて初めて成立する趣味であるということだ。
歴代の賢王たちの地味で果てしのない良政の現れなのである。
どうも皆さん、最近噂の図書館に現れる爬虫類少年ことキース君だよ!
パパ上様の許可をもぎ取ってきて以来、図書館に入り浸りです。まだまだ蒸し暑い日が続くもんだから噂を聞き付け、肝試しがてら覗きに来る輩が増えています。こらこら人の顔見て叫ぶこたねーだろ。どうせなら触っていけば良いのに。ひんやりスベスベでちょっと気持ちいいんだよ?
爺なんか最近、僕のふくよかなほっぺたをすりすりするのがお気に入りである。恍惚とした目をしていることからして鱗の感触が相当気持ちいいか、実は爺の内面が相当気持ち悪い人なのかのどちらかだ。
後者はまずない(と僕が思いたい)のでやはり掌に心地よい何かがあるのだろう。ひょっとすると魔力をマイナスイオンとかに変換して、発しちゃっているのかもしれない。
「えーっ・・・・あ、あったあった! 『ブリュノが教えてア・ゲ・ル♥ ~サルでも分かる魔力変換~』」
僕は目的の本を引っ張り出すと、梯子代わりに足元を支えていた氷の蔓をひと撫でした。心得たようにするすると地上へ僕を下ろし、キン、と小さな音をたてて蔦は空気中へと掻き消えた。
魔素の扱いも大分慣れてきたものだ。
今では本棚の上の棚くらい、爺に梯子を持ってきて貰わずとも自分で取れるようになった。勿論ビデこと【洗浄】もすでに修得済みである。
図書館といえど王宮の図書館はあくまで書庫としての役割が強いらしく、前世の市民図書館のような快適スペースな椅子や机はまるで見られない。
どちらかというと大学の書庫とかが近いかもしれない。
仕方ないから閲覧許可を貰って以来、クッション持参の直座りの乱読日和が続いている。そろっと痔になりそうだ。
さて、そんな僕が最近嵌まっているのがこの『ブリュノが教えてア・ゲ・ル♥』シリーズだ。
因みにブリュノさんとやらは典型的な識字率の恩恵を受けたさる東部の農村出身のおっさんである。現在はどこぞの研究教育機関で若手魔法研究者の育成のため教鞭を振るっているのだとか。
このシリーズ、ふざけたタイトルの割りに研究の要点を押さえた、ギャップばかりが無駄に素晴らしい隠れた名著である。
いやほんと。
この前なんか自己顕示欲ばっかの自伝集めた棚があって、どの本取ってもページめくってもめくっても・・・・いや、これ以上は止そう。失った時間は戻っては来ない。
まあともかく、ブリュノさん著のシリーズは入門書からかなり専門的な内容に至るまで網羅しながら、図も文も分かりやすいのでとても重宝している。
鱗は魔力変換の一種であると、僕は見ている。
ブリュノさんの専攻は、主に人体と魔力の関わりに関する「魔法生理学」というもの。
魔力は基本的に血管と並列して存在する。しかしその働きは「魔術」という形以外、実際あまり分かっていないことの方が多いのだ。
なんか魔素と似たような働きをしてくれる物質が、人体にも流れてるっぽい。
精々その程度。
蛇足ながら、爺やその他の人には魔素や魔力は見えないようだ。最近知った。視るのではなく、あくまでシックスセンス的なので感じるものなのだとか。
そもそも魔力についての認識も、魔素とごっちゃになっていることが多いらしく、両者の定義付けが成されたのも、ここ五十年の話らしい。
「えーと、なになに・・・・『竜たちはあらゆる魔法と魔術を扱い、その力は人間のそれを遥かに抜きん出ていた。記録や伝承に残る多くは誇張も交えているが、その一方で非常に興味深い事例も多く、彼らの魔力精製機関が変成したものこそが竜魔心と言われる。知っての通り、竜魔心は最高級の魔石の一種だ。魔力変換に長けた竜たちは自らの体内で魔力を安定的に保管するため、体内に魔石を持つようになったと言う。だが、私はこの魔石こそ変換された彼らの魔力ではないかと推察する。下記のグラフをみても分かるように・・・・』」
・・・・このシリーズ読むたび毎度思うんだけど、タイトルと前文とあとがきだけ驚くほど別人格なんだよなブリュノさん。
以下つらつらと読み飛ばして、要するに。
竜、という種は膨大なその魔力を変換し、にょろにょろ状態からもっと使いやすくて保管しやすい魔石という形にしていたのではないか、という話だ。
僕は無意識に自分の頬を――――毒々しくそこを彩る鱗を撫でていた。
石と言えるほど厚くはないが、可視化するほどの魔力の固まりである。
魔力変換により出来たものがこの鱗ならば、やはり魔力変換によって消滅させることが出来るかもしれない。
そこらも含めて一度竜に会ってみたいんだけど、やっぱ無理かねぇ。もうお伽噺でしか見られない存在だし。
「イヤよ! 私は絶対にドラゴンライダーになるんだから」
「で、でもマリー様・・・・」
うんうん、ドラゴンライダー格好いいよね。分かるよロマンだもの。僕も憧れたな。
廊下をどすどすと踏み抜きそうな勢いで走る足音その一と、慌ててそれに付き従う足音その二。
でもね、メイドさんがそんなに騒がしく廊下を走ってきたら叱られちゃうでねーの?
いや、様ってつけてたからメイドじゃないのかな。まあどっちでも良いけど。
――――なんてことを呑気に考えていた時期が僕にもありました。
「たのもーう!!」
ばんッ! といきなり図書館の扉が蹴破られた。
いやさ、廊下を通り過ぎる人は多いけど中まで入ってくる人は少ないんだよココ。肝試しの人くらいだよ。
突然の闖入者に、僕は氷の仮面を作ることも忘れてぽかんと口を開けた間抜け面を晒したまま眺めてしまった。
典型的な金髪碧眼フリッフリのドレスアップしたお姫様のようなお嬢さんと、赤毛の長い前髪の下でおろおろと辺りを窺いながらお姫様の腕を掴むお嬢さん。
お姫様の目がこちらを捉えるなりキランと光った気がした。
「ふっふっふ、噂は本当だったのよ・・・・これは私にドラゴンライダーになれという神の思し召しに違いないわ!!」
・・・・あ、嫌な予感。
「おい、そこなお前! このマリー・ド・ラフォンが乗りこなしてやる!!」
妹様、見参。