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高ノ居さんの一件から数ヵ月が経ち、わたしが中級分家と発表されてから、今日で十五年が経過した。と言っても、中級分家の家に住むわけでもなく、生まれ育った本家の邸宅に今も変わらず住んでいる。岩本分家のお家騒動は、これといった解決策もなく、ただ時が過ぎていくだけに思えた。でも、それは突然進展し、新年を迎える頃には、中級から次頭分家に位が昇進、いいえ、改められた。
そう、あれは冬の月の初日。
灘国中のほとんどの人たちが、あちらこちらと動き回る、忙しい時期。
ここ灘国は、春の月、夏の月、秋の月、冬の月があり、それぞれ八十三日間。三百三十二日で一年間になる。年間通して、寒い日が続く。
今、年間のことを言ってる場合じゃなくって。そうよ、あの日、中学の時の友達、可奈とミルクティーが美味しい店に来ていたんだっけ……。わたしは知らず知らず思い出の海に入っていった。
◆ ◆ ◆
「一恵ちゃんって、わたしと似てる部分あったんだぁ。大発見、かな。……あ、あれ?」
「どうしたの?」
「麗子様だよね? ほらあそこ」
可奈の目線を追うと、店内の奥に一人の女性が座っていた。
「ほんとだ。珍しい」
唯一、彼女は本家の娘と発表されている。
土岐島本家の人間は、あまりイベントを行わず、表に出て来ることが滅多にない。
外に出てくるとすれば、ほとんど岩本か高藤のサポートや合同イベントだけ。
「今日、イベントあったっけ?」
「高藤は知らないけど、岩本は半日デートイベントがあるわ」
「半日デートじゃ、岩本をサポートしないよね」
「そうね」
話しているうちに、彼女の周りが騒がしくなった。
「うわっ、一気に囲まれちゃったね。麗子様……あれ? 千世子さん」
突然、店の入口付近に座っていた女性が、わたしたちのテーブルに来て戸惑う。
「あれじゃないでしょ、可奈。用があったから来たのよ。それに、あたし中級から筆頭に位が格上げになったのよ? ちゃんと言い直してほしいわ」
「あっ……すみません。千世子様」
可奈に言い直しを命じながら、わたしを見下した。そして、彼女はふふん、と笑った。
なんだか、感じの悪い女性だと思った。
最悪な第一印象。
中級分家から、筆頭に昇格?
あり得なくはないかも、だけど、あまり前例がない昇格の仕方に、わたしは疑問を抱く。
けれど、そんなことはおかまいなしに、彼女はわたしに質問を投げつけた。
「で、あなたが……岩本一恵さん、よね?」
「え? えぇ」
「岩本の分家って聞いたんだけど、あなた、筆頭分家?」
「……何が言いたいの?」
この場合、わたしも可奈と同様、彼女に対して敬称で対応しなければいけないけど、敬称を略してしまった。いけないんだろうけど。
「はぁ? あたし、葉山千世子。さっきの話、聞いてなかったとは言わせないわ。筆頭分家の娘が質問しているんだから、さっさと答えなさい」
案の定、彼女は眉を吊り上げて、戦闘態勢モードだ。
灘国では、本来、国のトップである、高ノ居、岩本、高藤、土岐島の本家、筆頭分家、次頭分家の地位の者に、敬意を示し、公式の名か、敬称で呼ぶことが義務付けられている。ここまでの地位が上位階級となり、中級分家と発表されたわたしは、特級階級や平民と一緒なので、どんな人物であろうと敬称敬語で対応しなければならない。
「千世子様、そんないい方ないと思いますけど……」
「可奈は黙ってて。あたしは、岩本さんに聞いているの」
「筆頭分家じゃないわ」
あぁ、やばいわ。まずいわ。
警告音が鳴り響くけど、この千世子という女性には敬語で話したくない。
「言葉、改めてもらえないかしら? 筆頭でもないなら、あたしの方が上なのよ。もしかして、あなた……法律知らないの? 筆頭と言えば、本家の次の位よ。格下のあなたが対等に話せる立場じゃないことわかっているの?」
眉間にしわを寄せ、かなりのご立腹だ。
「お止めなさい、千世子。楽しそうにお話してらっしゃるのに、中に入るなんて、失礼よ」
「れ、麗子様……でもっ」
「ねぇ、……あ、違った。あのレイコサマ。コチラノカタ、ホントウニ筆頭分家ナンデスカ」
あ、なんか、棒読みになっちゃった。
目の前に座っている可奈が笑いを堪えている。
麗子さんが、ぷっと噴出す。
だけど、相変わらず、千世子という人は怒りを露わにしていた。
「一恵さん、いつものようにして。このままだとわたし、お腹痛くてたまらなくなりそうだから」
「そう? わかった。……じゃあ、改めて聞きたいんだけど、こちらの方は本当に筆頭分家なの?」
「ちょっ、ちょっと、岩本さん?! あなた、麗子様になんて口しているのよ」
「え?」
「知らないなんて言わせないわっ。麗子様は、土岐島本家の姫王女よ!!」
「千世子、一恵さんはいいのよ」
「え? で、ですがっ」
一呼吸おいて、麗子さんは可奈に話しかける。
「可奈さんはご存知なんですよね?」
「一恵ちゃんのことですよね。……はい」
「一恵さん、この場合、仕方ないと思うわ。それに、千世子にはあなたのことを教えたいのよ」
「わかったわ」
最後は、なんだかお願いっぽかったけど、わたしもこれ以上つっかかられるのも嫌だから、了解した。
「公式発表されてないけど、わたし、岩本の本家なの。岩本勇の娘」
「うそつかないでよ! 勇様に姫王女様がいるなんて発表されていないわ」
「だから、発表されてないって、最初に言ったわ」
「千世子様、本当なんですよ。わたし……」
言いかけたところで、可奈の後ろに座っていた男性客が立ち上がる。
その人を見て、わたしは息をのんだ。
み、宮置?!
彼は、お祖父様がわたしに付けた護衛のうちの一人。
なんで?
宮置は表に出てきたためしがない。それなのに、こんなに近くにいて、しかも、人前にでてくるなんて。
「山丘様。あとはわたくしがご説明しますので」
「! は、はい」
「突然、失礼しました。当主様のご命令により、一恵様の護衛についている、宮置と申します」
「え……っ。それではこの方は、本当に……」
「はい」
麗子さんの言葉にも、そして、わたしの言葉にも偽りがあるという態度してしてしまった彼女は、もういなかった。
呆然と立ち尽くす彼女を、麗子さんがやさしく諭す。
「千世子、一恵さんに詫びなさい」
「数々のご、ご無礼……お、お許し下さい。し、失礼します!」
最後は涙目になっていた。
まあ、そうだろうけど。格下だと思って偉そうな態度していたら、本当は最上級の位だったわけだし。
「ごめんなさい、一恵さん。彼女の家、今年、筆頭分家に認定されたの。同時に、高藤の本家子息の花嫁候補になったものだから」
本当にごめんなさいね、と申し訳なさそうに麗子さんはあやまってから、自分が座っていた席に戻った。
「お嬢様、少しの間、お傍を離れます。俊成様に葉山千世子のことをご報告致しますので」
「そう。……そのまま帰っても平気よ?」
「そうはいきません。では」
そういうと、宮置は一礼して店から出て行った。
たぶん、宮置からお祖父様にこのことが伝えられ、土岐島本家の耳にもはいるだろう。
まあ、今回は注意だけで済むだろうし、彼女だって、わたしが本家だと知らなかったから、ああいった態度を取ったわけだし。
「一恵ちゃん」
静観していた可奈が、遠慮がちにわたしを呼んだ。
「どうしたの?」
「彼女ね、普段はとても面倒見がいいお姉さんみたいな子なの。ただ、けっこう自慢したがりな面もあって。……千世子さん、筆頭分家から降ろされちゃうのかな?」
「それはないと思うけど、たぶん」
「そっか。よかった」
不安な瞳から、可奈は安心した表情に変えた。
その日は、ここで可奈と別れた。
今思えば、可奈の不安が的中していた。
そして、新年が明け、会社の休暇中、わたしは幾度となく可奈と遊んでいた。
その日は岩本本家の近くにある、ケーキを扱っているレストランで軽く食事をして、他愛もない話で盛り上がっている。
「そろそろお開きにしない?」
時計を見ると、もうすぐ午前様だった。
店内は相変わらず、騒がしいけど、閉店のメロディーが流れている。
「そうね、今日はとても楽しかった」
「わたしも。……ねぇ一恵ちゃん、また遊んでくれる?」
精算して別れ際、可奈は遠慮がちに聞いてきた。
「もう、何を言うのかと思えば……当たり前よ。これからも、お誘いしてほしいわ」
「ありがとう、一恵ちゃん。また電話するね」
「ええ。……あっ、待って。伝えたいことがあったの」
そうだった。すっかり忘れていた。
以前、可奈が案内してくれたミルクティーのおいしいお店での一件。わたしに横柄な態度を取った葉山千世子の処遇を、可奈は心配していた。
「何を?」
「うん、葉山千世子さんの件」
名前を出すと、可奈の顔が曇った。
「彼女のこと、知っているの?」
「ニュースで取り上げられていたから。まさか、あんな処遇になると思わなくて。……ううん、彼女の養父や実父のことがあればしかたがないよね」
そこで、可奈はため息を零す。
「いい人なの。わたしが困っていると、文句言いながらも助けてくれて」
「うん」
「だから、なんていうんだろ。悲し……あっ、ご、ごめんなさい」
途中まで言うと、可奈はあわてて謝った。
「いいのよ。なんて言うか、彼女とはあれが初対面だったし、第一印象は最悪だけど、わたしとしては彼女に何を言われてもなんとも思っていなかったし」
「……え?」
「可奈は彼女と友達だから、色々と弁解したいのはわかるから」
「う……ん」
「でもね、最初に言った通り、わたしは彼女のことを何も思っていないし、何をする気もない」
「そっか」
「淡々としてごめんなさい。でも、これがわたしの本音」
「ううん。わたしこそ、友達だからと言って被害者の一恵ちゃんに情けをかけてもらいたいみたいな話をしてごめんね」
すこしだけ、可奈は笑みをみせてくれた。
と同時に、そう言えば、と話を切り出した。
「分家の養父母の件、解決したんだよね?」
「え? まあね」
「わたしが言える立場じゃないのはわかっているんだけど、でも質問させて」
「えぇ」
「どうして、本家に戻らないの?」
やっぱり、そこが気になるのかな。
「なんでだろうね?」
「一恵ちゃん?」
フゥー、とため息をつく。
そうなのだ。分家両親の件が、スピード解決した。可奈の友達の葉山千世子によって。
彼女の本当の父親は、わたしの分家の父、岩本海里の腹違いの兄だということが判明した。生後まもなく、彼女の母の実家に養女に出されていた。それが、葉山家。土岐島本家に所属する、中級分家だ。この葉山家は、彼女の母の弟が家督を継いだらしいのだが、子宝に恵まれないため、千世子さんを養女にし、本家にふたり男性がいる、高藤家の花嫁候補に推していたらしい。
結果、候補に選ばれ、晴れて葉山家は筆頭分家となり、分家父の腹違いの兄の企みが成功した。そう、彼は娘を使って自分の嫁の実家を成り上がらせようとし、見事、法律違反を回避した。
だけど、喜びもつかぬ間、彼女が捕まったことにより、養女に出された葉山家は没落した。土岐島の分家から除名され、平民になることを、本家に強要されたのだ。そして、彼女の本当の父で、岩本の次頭分家当主はその位を没収され、葉山家同様、平民に落とされた。
彼女もまた、高藤本家の花嫁候補から外れ、自分の行為を恥、浅はかさに涙したと聞いた。
「えっと、一恵ちゃんの分家のお父さんは、格上げされたのよね?」
「えぇ。本来の次頭分家当主になれたわ」
「よかったね。……じゃあ、えっと、元々は分家のお父さんたちを救済するために、一恵ちゃんが中級分家になったんだよね?」
「うん、そう伝えたわね」
「じゃあどうして、本家って発表されないの? そのまま次頭分家になっているの?」
「それは……色々あったの」
「い、色々?」
「えっと、お祖父様に楯突いてしまったのが原因かと」
「へ?」
「だって、本家って発表したら公式イベントに出すなんていうのよ? 岩本はほとんど毎月催されているのよ! あんなの絶対いや。なんで、知らない人とデートとかしないといけないの? いやったらいや!」
わたしは力強く叫んだ。
それを見た可奈は、苦笑している。
「そっか。じゃあまだ、次頭分家のままだから、当分は公式イベントでなくてもいいんだね」
「いつまで持つかはわかんないけど。今のお祖父様はわたしの行為に怒っているけど、冷静になったら、問答無用で位を変更させられそうだけどね」
「そうな……あっ、勇様!? え、えっと、一恵ちゃ……一恵様、わたし、これで失礼しますね」
いきなり、家の扉が開き、お父さんが顔を覗かせた。
それを見て、可奈が慌てて帰ってしまい、わたしは内心ムッとする。
「お父さん……どうしたのよ?」
「親父が来てるぞ、一恵」
「げっ。なぜ、お祖父様が来ているのよ?」
「お前が断固拒否した件で、話があるそうだ」
「今日はもう寝たいのにぃ」
「年頃の娘が、午前様になるまで遊び歩いてってすごい剣幕だぞ」
「そんなの今時、当たり前でしょ。お祖父様は古すぎよ」
「ったく、しっかり俺に似てしまったな」
「? 何か言った?」
「いや、なんでもない。さ、行くぞ。待たせると機嫌悪くなる」
「……はーい」
以前の明るい自分を取り戻せてきたかな、最近、そう思うことが多くなった。
やっぱり、可奈の影響だと言っても過言じゃないと思う。
彼女の友達の葉山千世子さんという人物は、正直、あまり好きじゃないし、これ以上関わりたくもない。
けれど、可奈はわたしの大切な友達。彼女は自分の話したくない過去を話してわたしを立ち直れせてくれた恩人。その彼女の悲しい顔は見たくなかった。だから、わたしが出来ることをしようと思った。
と言っても、千世子さんだけでも土岐島の分家に戻せないだろうか、とお祖父様にお願いするのも、違う気がする。
それなら、可奈からの遊びの誘いを断らないことにすればいい。そんな結論に達した。なんだか、すごく些細なことかもしれないけど、可奈のために、わたしが出来ることはこれしかないと思うから。
「一恵、どうしたんだ? 早く入りなさい」
「あ、うん」
いつの間にか、雲が切れ、月が顔を出している。
家から見上げた月は、とてもきれいだった。
こうして、岩本分家のお家騒動も収まり、お祖父様はわたしを何度も本家の位に戻そうとした。けれど、自分の意見を貫くわたしを見て、「あと半年だけ多目にみる」と言い残し、お祖父様は帰って行った。