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何を言いたいのか理解出来ず、高ノ居さんはきょとんとした表情になっている。
「一恵、もういい。わかったから」
「高ノ居さん、今ならまだ後戻り出来る。一恵ちゃんの位が戻ったら、いやその前にこの件を知った岩本の親父が、君らの位を剥奪する……お、おい、勇。早まった真似をするな」
工場長の隣にいた父は、懐から携帯電話を取り出すと、誰かに繋ごうと番号を押そうとしている。それを見た工場長は、慌てて制止させた。
チラリと、その様子を目で追う高ノ居さん。
「……ここでの特別な位は、効かないのですか?」
「おれは、この工場で働いていない。関係ないだろう?」
「工場長があなた様をお呼びした本当の意味がわかりました。勇様、この件はあたしが仕組んだ芝居のようなものでございます。慎んでお詫びを申しあげます。……岩本さん、あたしはもう、あなたと仕事以外で関わらないことを誓いますわ」
最後のわたしへの誓いを聞くと、父は眉をひそめる。
「なんだよ、その中途半端な詫びはっ。一恵のことなんてどうでもいいような振る舞い、許せないな。まあいい、どうせなら、潔く辞めないか?」
「申し訳ございませんが、もう少しだけ在籍させてください」
「高ノ居さんはもう少ししたら、恵那国の何だっけ? 国王の弟だかの息子と婚姻する予定だ」
工場長が思い出したとばかりに、付け加えた。
恵那国は、灘諸国の一つ。広大な高原があり、自然が豊かなところ。主に、畜産物に力をいれ、天然温泉、天然ガス、天然水天然石、と色々なものが採れる国で有名だ。
先代の国王が天真爛漫だったらしく、好きになれば身分も関係なく行為をしていたため、誰の子供が世継ぎになるのかと国内扮装まで起きたらしい。このため、現在の王は自分より先に結婚した、弟王の子供に王位を継がせる気だと聞いた。
と言っても、弟王の子供は双子。上のお兄様は人望もあって、有力候補みたいだけど、弟君の方は……うん、近づかないで欲しいくらい。兄弟どちらにも優先権があるらしいから、血を見るのかと思いきや、弟君の方は王位に興味ないと聞く。
「こんなどす黒娘が、か?」
「勇!」
「お父さんっ。言い過ぎよ。……あっ」
「……岩本さん、あなたの身分わかってますから、いいですわ。それと、気にしていませんし。あたしの婚約してくださった方は、高貴のお方。ゆくゆくは、お国の王位を継がれる弟君ですわ」
「ん? 弟君の方!?」
「どうした? 一恵」
「いえ、えな様。弟君とご婚約されたんですか? あの方、自分は王位継ぐ気はないとおっしゃってましたけど、お気持ちの変化があったのですね。あの方、ある意味嵐ですよねぇ。さすがは、えな様。すごい方とご一緒になられますね」
「え? ……どういう意味?」
「あ、でもえな様は次頭分家ですから、弟君が即位しても側室ですし、うん、波瀾にもならないはず」
あのときは焦った。あいつが隣にいたお陰で、何とか事が収まったけど。今、会いなさいと言われたら、絶対に全力でお断りする。そのくらい、強烈な人だった。あれで、一つ歳上だと思えない。
「一恵ちゃん、何か知っている?」
「……中学の時、顔を合わせたことがあって、いきなり婚約させられそうになって」
「ああ、あのバカ王子の方か」
「お父さんっ」
「ま、まあ、がんばれよ。物産の娘」
「は、はい」
あまり状況がわからないまま、高ノ居さんは生渇きの返事をした。自分の婚約者は、将来、王位を継ぐ。だから、今回の責任は後々何も言われなくなる。いくら、気に入らないわたしが本家に位を戻したところで、何も出来ない。その頃には、王位を継ぎ、自分は王妃になっているのだから。そう言われたわけじゃないけど、自分優位です的な顔をされると、そんなことを思い描いているのでは、と思ってしまう。
「物産の娘、どう思うかわからねぇがこれだけは伝えておく。仮に、お前が恵那国の弟王子と婚姻し、王位を継いだとしても、灘国の身分が本家以外の場合、王妃になる権利もない。側室にはなれるが、二十枠あるうちのせいぜい十三番手くらいだ。あの王子のことだから、側室じゃなくてのちに王妃に据えてやると言われたかもしれないが、いくら最高の位の王でも、側室を簡単に王妃にはできない。それをやるのには、灘諸国の最高位のものたちの同意が必要だからな。この意味がわかるだろう」
「……意味? お気遣いありがたく思いますが、お約束していただいておりますわ。ご心配なく」
勝ち誇った表情のまま、高ノ居さんは父を見たあと、わたしに視線を落とした。彼女の中では、すでに自分が王妃になると確信しているみたいだ。そして、この件は闇に葬れる、そう思っているのだろうか。
そんな彼女の様子を見て、工場長はため息をつく。
「もういいだろう。そろそろ終わりにするか。一恵ちゃん、何か希望はあるかい?」
「え? あ、わたしは、ミスをしたなら、それをきちんと教えてくれるようにしてもらえればいいと思います。だけど、えな様のひと言で解雇され、苦い思いをされた方がいたたまれません。どうか救済してあげてください。そして、出来るのなら、会社内の独自のランクシステムを修正してほしいです」
なんですって‼ と、声に出さないけど、高ノ居さんの憤りが聞こえた。
「なるほど。一恵ちゃん、わかった。おれにも責任はあるからね、今まで解雇された人を再雇用出来るように約束する。……高ノ居さん。君は雑用の部下を持つことを退職するまで禁止。荷担をした全員に、減給。設備課長と検査課長は、あとで伝えるけど、今日を持って、課長職を返上。定年までの間、昇級はないものとする。高ノ居さん、いいね?」
高ノ居さんは、毅然とした態度で、工場長に首を縦に振った。
「それと、今回の一恵ちゃんのミスの件だけど、これは高ノ居さんと事務課長も責任がある。二人は、ミスに気づいていたのにも関わらず、そのまま次の工程に渡してしまった。よって、このミスは一恵ちゃんではなく、二人の責任とし、半年間の減給と工程勤務を義務づけることにする」
「いいですわ。半年間もここにはおりませんし」
「工場長、わたしも工程にいきます」
「いや、一恵ちゃんはいいよ。表向き、君は責任を取って、事務課から設計課に配属になっているからね」
減給でもいいんだけど、これ以上、工場長に抗議しても意見通らないと思うし、わかりました、と伝えた。
「あと、ここでのことは、自分の胸にしまってくれ。他言無用だ。社内報告で、一恵ちゃんが無実だと伝える。もし今後、高ノ居さんから頼まれて、一恵ちゃんを陥れるような行為をしたら、減給すると伝えておく。これで解散。各自、自分の職場に戻ってくれ」
社内放送が流れ、高ノ居さんのまわりは相変わらず、彼女を擁護するえな教たちがたくさんいた。ただ、彼女からの嫌がらせは、この日を境に無くなり、設計課以外でも、ちらほらと友だちと呼べる人が出来るようになった。
しばらく経つと、あのランクシステムは改善され、それに伴い、少しずつ、高ノ居さんの周りから人が去っていき、なぜか彼女はわたしの近くにいるようになった。
改善されたランクシステムは、課ごとの競争になり、年三回開催され、成績がいいと、位が低くても、本家が出入り出来る食事部屋で一緒に食べられるシステムになった。
数ヶ月経ち、高ノ居さんは恵那国の弟王子の元へ嫁いだ。その数年後、弟王子が王位を継いだ。しかし、彼女は側室のまま、王妃になることはなかった。側室の地位も、嫁いだときのまま、十三番手。子供には恵まれたけど、その子供に王位を継がせる権限もなかった。そう、彼女は会社で働いていた時の悪事がばれ、王妃になる夢が断たれてしまったそうだ。
……これは、まだ彼女もわたしも知らない未来のお話。