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その夜、お祖父様に呼ばれた。
「一恵の周りに、護衛を置いている。安心しなさい」
「そう言うことではなくて、どうしてあのようなことをしたんですか? お祖父様自ら、わたしを中級分家と発表されたのに、これでは本家だとわかってしまうのでは?」
「大丈夫だ。今日はもう遅い。寝なさい」
「お祖父様?! お答えしてくれないなら、もういいです。……お休みなさい」
結局、なぜ、検査課に来てわたしを家に連れ戻したか、問うても、お祖父様は、説明もしてくれなかった。まあ、結果的に助かったから、良しとすることにした。
それからまもなくして、わたしは設計課に移動した。と同時に、あの日何故、お祖父様が入らしたのか、答えが解った日でもあった。
「岩本さん。もし課内で困ったことがあったらなんでもいってくれな。それと、君が三津谷様達から何かされるかわからないから、勇様に事前に伝えておいたんだ。まさか、俊成様がお越しになられるとは思わなくて、すまんな」
設計に転属された日、自分の席にわたしを呼び寄せた久保田課長はにっこりと笑った。
あとでわかったことだが、実は、久保田課長が率いる設計課に、中学時代同級生だった、可奈こと、山丘可奈が所属していた。
彼女のあとに入った期間社員の子がすぐにやめてしまったので、課長がそれを理由に設計の補充要員として、わたしを招きいれてくれたのだ。
「岩本さん、今いいかしら?」
久保田課長の話が終わるのを待ってたのか、わたしが席へ戻る前に、手招きして呼ぶ女性がいた。美濃比呂子さん、三十代の独身で、工場長のお気に入りという噂がある。
「はい、何でしょうか」
「あのね、これお願い出来ないかな? 設備課の三津谷様に渡してもらいたいの」
「三津谷様ですか? わかりました」
よろしくね、美濃さんに背中を押されるように、設計課をあとにする。
三津谷さんは、高ノ居さんを擁護する、えな教のうちのひとり。あまり話したくないけど、渡された書類はわたしが事務課にいるときにミスをした修正版のものだから、きちんと対処しないといけない。
設備課に行き、三津谷さんに書類を渡すと、案の定、彼はわたしに文句を言おうとその口を開こうとした。でも、それよりも早く、彼の近くにいた人物が声をかけてくる。検査課の佐埜さんだった。
「なんでしょう?」
「このまま帰るなんて虫がいいわね」
「どういうことでしょうか?」
憤慨している気持ちを抑えているのか、佐埜さんは鋭い目でわたしを捉えた。
「美濃さんから頼まれて、三津谷くんに渡した書類、再提出の設計図でしょう? 岩本さん、自分がみんなに迷惑かけている自覚があるのかしら。あなたが事務課にいたときに計算ミスした影響で、設計図が間違えたまま出来上がり、それをもとに作ったものは破棄するしかない。そして、修正後の設計図で、工程の撚り線課から従来の工具型では電線が撚れないことがわかって、設備課にその工具の発注を依頼。今ここよね? 電線が出来上がって検査して、完成品を納入出来るのは、納期後約十日後。こんな状況の中、岩本さん、あなたは何をのんびり構えているのよ」
「おれもそれを言おうとしていた。知っているか? えな様は、岩本さんのミスは自分のミスだって言って、設備課や検査課、工程内の関わっている課をまわって頭を下げているんだよ。ミスした本人がするべきだろう?」
二人から捲し立てるように言われ、わたしは二、三歩、後ずさりする。確かに、わたしのミスで他の課に迷惑かけた。だけど、そのミスを知ってもなお、そのままにして高ノ居さんと事務課長は他の課にまわしてしまった。ミスをしたわたしがいえる立場じゃないけど、それを隠蔽しようと、画策していることをつい最近、久保田課長から知らされた。
二人のこれも、たぶん、嫌がらせの一種だろう。まだ何かを仕掛けてくる。そう思っていると、部屋の外側に高ノ居さんと思しき影が見えた。
「あっ、え、えな様!」
ノックもせずにいきなり現れた高ノ居さんをみた三津谷さんは、慌てて席を立つと、彼女に向かい、一礼した。それに習い、設備課や検査課の面々が頭を下げる。芝居地味た演出に、わたしは笑いたくなった自分を戒めた。
「みなさん、忙しいのにごめんなさい。岩本さんは仕事が出来る人よ。だから大丈夫だと思って課長に提出をしてしまったのは、あたしなの。課長も岩本さんのこと優秀な人だと知って、同様にそのまま次の課に出していたのよ。だからね、ミスに気づかないでそのまま提出してしまったあたしの責任よ。お願い、責めないであげて」
少しわざとらしく、言葉を紡ぐ高ノ居さん。みんなは、さすがえな様と絶賛するけど、口許が嗤っているのを見逃さない。
よくもここまで、白々しく話せるかと思うと、笑うどころか尊敬しちゃいそうだわ。ただ、この状況思わしくないよね。前には、お祖父様直々に助けてくれたけど、毎回は無理だし。護衛がどうのこうのって言われた気もするけど、出来れば自分の力でなんとかしたい。と思ってみたものの、解雇させたいなら、それでもいいや。この会社、ランクの低い人には厳しいし、なんとしてもここに居たいなんて気持ちにはなれない。どうにでもなれ。
なげやりな気分のまま、わたしと高ノ居さんが対峙した形になる。それを見計らうように、佐埜さんと三津谷さんが動く。チラリとその動作を確認したのち、高ノ居さんが嘲笑うかのようにわたしを見据えた。その直後、わたしの背後から鋭利な検査器具が彼女に向かって飛んでくる。
「え?」
「えな様、危ない‼」
「避けてください!」
一瞬、何が起こったのか、わからなかった。飛んでいった検査器具は、高ノ居さんを助けようとして入った、三津谷さんの手に刺さって止まった。彼の手から、少し血が滲み出た。
そして、みんなはわたしを見ると、憎悪を向ける。代表するように、わたしの背後にいた佐埜さんが口を開く。
「岩本さん、何したのっ。えな様を傷つけようとしたなんて、最低‼ えな様は、あなたがミスした件で奔走されているのに、何やってんのよ‼」
「いいのよ、佐埜さん。それより、三津谷さんを保健室に連れていってあげて」
「は、はい」
高ノ居さんがそう促すと、しぶしぶと佐埜さんは三津谷さんを連れて出ていった。
それを見計らい、設備課長がおずおずと高ノ居さんの前に出て、話を切り足す。
「え、えな様、ご無事でよかったです。驚きのあまりに、心臓が停まるかと思いました……。わたしたちも見ておりましたが、岩本さんがえな様に危害を加えておりました。これは由々しき事態です‼ と、ともかく、一刻も早く工場長に伝えたいので、ご足労ですが、一緒に来てもらえませんか?」
「え? ええ、わたしも……。そうですね、わかりましたわ。行きましょう」
「ほら、岩本さん。なにぼーっとしているんだ‼ 君も早く来なさい」
計られた、そう思ったけど、時すでに遅い。ここの棟、設備課長や検査課長を始め、課のみんなは高ノ居さんの駒だった。これは、大掛かりなヤラセだ。
「もう逃れられないわ、岩本さん。これでさようならね、いくら、本家のバックアップ持っている設計課長でも、お手上げでしょう。だってほら、あなたからあたしに凶器を投げつけたんだもの」
他の人たちに聞こえないように、小声だけど、はっきりとわたしにそう伝えた高ノ居さんは、勝ち誇ったようにわたしを一瞥する。そのあとを、わたしはやるせない気持ちで歩いていた。
工場長室には、人が溢れかえっていた。わたしと高ノ居さんの一件を見ていた人たちが、工場長に抗議しに来たみたいだ。
「その件については、わかり次第、社内放送で伝えるから。関係のない人は、退室してくれ。一恵ちゃん、高ノ居さん、検査課長、設備課長……あ、比呂も残って。話を聞きたいから。あと、佐埜さんに三津谷くんの調子がいいなら連れて来るように言ってほしい」
工場長の指示に従い、名前を呼ばれた人以外、出ていくと、高藤家の使用人兼秘書の女性がゆっくりとドアを閉めた。
適当に座ってと工場長が言うと、高ノ居さんが最初に腰掛け、続いてその近くに、課長たちが座った。
「岩本さん、君は座るなよ? マナー違反の行為はやっちゃいかん」
座るなって、そんな気分になれないけど、そう言うのどうかと思う。
それに対し、工場長と秘書の女性が眉を顰めた。
検査課長は、特級階級らしいけど、世間一般をみて中級分家よりも格が低い。にもかかわらず、見下している話し方をする背後に、あの社内限定のランク表があるんだと推測した。まあ、設備課長は、高ノ居さんと同じ次頭分家らしいけど。
続いて工場長が、二人の課長からそれぞれ見たことを教えてと言うと、口を揃えて、わたしが工具を投げたと報告する。
「失礼ですが、検査課長」
「何でしょうか、秘書頭殿」
「そちらの方に、そのようなお申し出をされると、後で後悔なさいますよ」
「秘書頭殿は冗談がお好きなようだね」
「……本当に知りませんから」
「きよ、こちらの方はもういいよ。あいつ、呼んだから迎えに行ってきてくれ」
「かしこまりました。みなさま、一度失礼させていただきます」
きよ、と呼ばわれた、秘書頭の女性が出ていったあと、工場長はわたしともう一人を呼び寄せた。
「一恵ちゃん、それと、比呂」
「はい」
「何でしょうか、工場長」
どうにでもなれ、と思う自分と、高ノ居さんにガツンと言っておきたい自分がいて、考えがまとまらない。そんなわたしのこころを惑わすように、疑問がばら蒔かれた。
あれ? なんで、美濃さんが来ているの?
わたしの疑問が解かれることもなく、そのまま工場長は話を進めている。
「さっき佐埜さんから連絡があって、三津谷くんは大事を取って早退したらしい。二人には、あとから聞くことにしたから。まず、一恵ちゃんに聞こうか? 設備課長や検査課長、そして高ノ居さんが言ったように、一恵ちゃん自ら、検査工具を彼女に向かって投げてケガさせようとしたのかな」
え? と女性の小さい声が、うしろから漏れた。高ノ居さんしかいない。たぶん、今回の件で、わたしに何も聞かず、彼女の言い分だけを聞き、そのまま、わたしが解雇されると、そう思ってたのだろう。うしろを向けば、混乱している表情をしていた。
わたしもびっくりして、声に出すところだったけど、うん、これってある意味チャンスだよね。解雇させてもいいやって思ったけど、濡れ衣着せられるのは癪だもの。
そう心に決め、ふたたび前を向くと、わたしは工場長の目を見て、はっきりと答えた。
「いいえ。工具は、わたしのうしろから飛んできました」
「な、何を言ってる‼ わたしや検査課長の目はごまかされないぞ。あれは、君が手をうしろにしたまま工具を投げつけていただろう!」
「設備課長、今は一恵ちゃんに聞いている。君に発言権はないよ」
「も、申し訳ございません」
「一恵ちゃんの言い分はわかった。比呂、見ていたね? どうだった」
「はい、彼女が正しいです。工具は、三津谷様ご本人が投げておりました」
「そうか、わかった。設備課長、検査課長。改めて紹介しよう。この女性は美濃比呂子。元高ノ居本家にいた使用人で、当時、本家にいた……都子付の侍女だった。今は……いや、前まで工程の仕上げ課の事務をしていたけど、今月から設計課に移動になった。表向きはね」
そう言って、工場長は話をいったん区切った。やっぱり、お母さんの名前を出すのをためらっている。でもどうして、お祖父様がお母さんと工場長の奥様の名前を……ううん、お母さんたちの存在を隠そうとしているのかわからない。何か訳がありそうだけど。
あれ? 今、工場長、なんて言った? 美濃さんが、お母さんの侍女? ……表向き?
設計課になっただけで、表向きでも裏でもないと思うんだけど。
「どうぞよろしくお願いいたします」
美濃さんは優雅に微笑んだ。
工場長が改めて彼女を紹介した裏には何かある、そう思ったけど、わたしにはその意図がよくわからない。ふと、課長たちを見ると、お互い顔を見合せ震えている。
「課長たちはもうわかっただろう。比呂は、岩本の親父から頼まれた、一恵ちゃん専属の護衛なんだ」
「へ?」
かなり素っ頓狂な声を出してしまい、わたしは頬が火照りはじめるのを感じた。
「一恵ちゃんが知らなくて当然だけどね」
なにをおっしゃられてますかと言いたげに、設備課長が口を開く。わたしに向けられた瞳は、敬うことすらない。
「護衛をつけたとしても、中級分家だろう? わたしやえなくんのように、位の高い次頭分家には足元にも及ばないさ」
「設備課長、やめてください。岩本さんが本当に中級分家だというなら、いいえ、あたしたちや筆頭分家でも言えることです。会社に護衛を連れていけるのは、本家の方々だけですわ」
「設備課長、何度も言わせるな。発言権ないよ。……もういい、君らの処置はあとで伝えるから席を外してくれ。高ノ居さんもやめなさい」
わかりました、と渋々と承知すると、課長たちは工場長室から姿を消した。
高ノノ居さんは、課長たちを見送ってひと息つく。
「はい、申し訳ありません。ですが工場長、これだけは言わせてください。そのお話が本当だとおっしゃるのなら、なぜ、岩本さんを中級分家にされているのでしょうかっ」
やや憤ったように、高ノ居さんは工場長に質問を投げた。
専属護衛。
この会社に勤めている高い位の人なら、誰でも一人は必ずいるだろう。但し、例え護衛がいても、勤務中は同伴不可能という規約があるので、いくら位が高くても、護衛を伴うことは出来ない。そう、ここで専属護衛がいるということは、例外として連れていける本家の人間だけ。
高ノ居さんの顔が青ざめていくのがわかった。
「訳がある、それだけのことだよ」
高ノ居さんを冷ややかな目で見たあと、工場長は静かにつぶやいた。