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久しぶりの更新です。
よろしくお願いします。
久保田課長は、そうかい? と言ってから、ひと息ついた。
「昼間はありがとう。設計のみんなでたべさせてもらったよ」
たしか、設計は全部で十人いたはず。ケーキは、七つしかなかったのに、よかったのかな……。
聞こうかな、とも思ったけれど、めんどくさいのでやめてしまった。
「い、いえ。こちらこそ、ありがとうございました。えな様からぐたぐたと言われずに済みました」
「お役に立てたみたいでよかったよ。ところで、岩本さん」
「はい?」
なんとなく、課長の顔が真剣さを帯びていた。
「ここでは、岩本の分家……特に中級分家が叩かれやすい。味方を作っておいた方がいいと思うんだが……」
「え!?」
いきなりそう言われ、どう答えればいいのか戸惑った。
「入社したときに、工場長から渡された紙を見たかい? ランクが記載されていた」
「は、はい」
「いいかい? 岩本さん。今まで、何度も、中級分家の人たちが罠にはまって、ここを辞めさせられたり、苦い思いさせられてきたのを見てきた。筆頭分家や次頭分家の方々は、非道な手を使ってくる。君が女性でも、中級分家なら容赦なくね。わたしたちを手駒にしてね、大々的に仕掛けるんだ」
「課長も、その加担をさせられた、と言うことですか?」
「いや、わたしには頼もしい味方が付いてくださっていてね、大丈夫なんだか……。今は、君の身の回りのことだよ。今回、早速仕掛けられただろう。はっきり言おうか。仕掛けたのは、えな様。加担したのは、路尾さん。納期は延期出来たけど、仕事能力から見れば、岩本さんの評価が下がってしまっている。えな様は、ほくそ笑んでいるだろうね」
わたしがどう返答すれば悩んでいるのをみて、やや節目がちな瞳のまま、課長は話を切り出す。
「俊成様にお咎めなしにされたとしても、あの手この手を使って仕掛けてくるよ。以前は何人か事務課にも女性がいたんだけど、えな様にみんな落とされてしまってね。しかも、この事実を知るのは、わたしと彼女以外いないんだ」
「……え?」
それからほどなくして、課長の口から、衝撃の事実を聞いた。
「えな様は、気さくな人柄だと思われているけど、そうじゃない。そう演じているだけ。本来は、かなり陰険だよ。今回にように、姑息な手を使う。実はね、以前、事務課に席を置いていた。後から入って来たえな様に、当時、在籍してた中級分家の女性が気に入らないから協力してと言われたことがあってね。断ったら、その場で会社をクビになった」
「……そ、そんな」
「わたしの位は、中級分家。昔、岩本家の分家だったんだよ」
「へ!?」
言葉が続かない。
なんて、声をかければいいかも分からない。
「簡単に解説すれば、その後、家は崩壊。平民に位を落とされた両親は自害したよ。でもね、救ってくれた方がいた。会社に復帰させてくれた上に、位を戻してくれようとした。だけど、もう切に願っていた両親もいない。わたしはもう罠にはまって路頭に迷うのは、嫌だった。それならばと、その方はわたしに婚姻をすすめてくれてね。その結果、特級階級になれた。そう、わたしは特級階級の位の令嬢と結婚したんだ」
「どうして、こんなに大切なことをわたしに?」
「君と関係があるからね」
「え?」
「中級分家は、忌み嫌われているのは知っているいるだろう。元は、平民で使用人だった者が、本家の方と恋仲になり契りを結び、本家入りしたその血筋。それ故に、筆頭や次頭の分家の方々は中級分家を排除したい傾向が強い」
「知っています」
「わたしも元は中級分家だった。だからこそ、君の立場が脆いこともわかる。このまま過ごしていれば、十中八九、何度も罠に落とされる」
確かにそうかもしれない、毎日がサバイバルのように感じるのはもう慣れっこだし。だとしても、課長はこの状況からどうすればいいのかわかるのか、そんな言い方に聞こえる。解決策でもあるのかしらね。
知らない間にため息が出ていた。
課長は、少し苦笑いすると、また言葉を続ける。
「今は特級階級のわたしが、次頭分家のえな様に立てついても平気なのかわかるかい? 他の課の連中も、わたしに関わるのを極力避けている、その理由。簡単だよ、わたしを救ってくれた方が、他のだれよりも、位が高いから。その方から、岩本さんのことを頼まれた。助けてやってくれ、と」
わたしを助けて欲しいと頼まれた?
階級の高い人から?
そう言われても、いまいちピンとこない。
「岩本さん、いや、言い直した方がいいかな」
久保田課長は、そこで一旦区切った。そして、真剣な瞳で私を見つめた。
「一恵様」
ドキンッ、胸が高鳴っていく。
やっぱり、課長はわたしが中級分家の娘じゃなく、それ以上の位だと知っている。
「!! あ、あの……ここは、会社ですので」
「そうだったね、失礼。わたしはね、岩本さん。クビになったわたしを課長として雇いいれてくれ、後ろ楯をご自分から引き受けてくださった、救いのお方のお嬢様である、あなたが落ち込む姿を見るのがつらいんだ」
「ちょっと待ってください。それって、つまり」
「そうだよ。わたしの味方は、岩本の本家の殿王子様であり、君のお父様の勇様だよ」
「っ‼」
一瞬、声が出なかった。
そっか、そういうことだったんだ。みんな、久保田課長を恐れていた理由。本家が後ろ楯になっていると聞けば、手を出せないよね。
「そのだからと言う訳でもあるんだけど、岩本さんさえよかったら、うちの課へ来てもらいたい。どうだろう?」
ぜひお願いしたいです。
嫌がらせは慣れたけど、どうにか出来るのならお願いしたいし、彼女の横暴振りに嫌気がさしまくっている。
甘い考えが浮かんできて、ついつい声を出してしまいそうだった。
『会社では甘えは通じないのよ』
路尾さんが、わたしに残していった言葉。
いくら彼女の陰険さを知っているとはいえ、久保田課長には高ノ居さんのこと言えない。そう思った。
けれど。
「そうか。やっぱり」
「え?」
わたしがなにも言ってないのに、課長は自分で納得しているようだった。
「日頃から、えな様になにかとぶつけられることがあるんだろう、と。岩本さんが辞めさせられることはないだろうけど、近くに居ればストレスも溜まる。近いうちに、工場長へ掛け合ってみるよ。どうも、貢様の目には、えな様が気さくな人だと映るみたいだけど、大丈夫。設計に移れるよう頼んでみるから」
「あ、あの」
「わたしのときもそうだったんだが、えな様絡みでやめさせられた人たちは、その場でクビになるからね。彼女から、粗相をされたと報告されれば、両者の話を聞かずにえな様だけの意見を聞いて、工場長はその者を辞めさせる。それだけ、えな様が信用されているんだ。理不尽なことにね。だからね、岩本さんが大打撃を受ける前に、うちの課に移れるように頼んでみるよ」
「え?」
にっこりと微笑む課長に、わたしもついつられて笑ってしまった。
願ってもないこと。
でも、甘えてもいいのかな。
いろんな考えが出ては消え、それを繰り返していた。
「設計の女性は、みんな平民の位だけど、筆頭や次頭分家の方々の駒にさせられることはないので安心だよ。岩本さんさえよければ、わたしから工場長に打診してみるから」
結局、課長の問いに答えられなかったけれど、わたしの気持ちを汲み取ってくれたみたいで、工場長に頼んでくれていたらしい。工程を歩いていたら、工場長に呼び止められて『設計課に行けるように準備しておくね』と言われた。
高ノ居さんの制裁イベント? から、少し経ったある日。
わたしは、彼女のおつかいで、別棟にある検査課に来ていた。
用事を終わらせて帰ろうとしたとき。
「岩本さん、待って」
わたしを呼び止める声がした。振り返ると、検査課の佐埜さんをはじめ、数人の男女がいた。みんな、高ノ居さんとなかよしの人たちばかり。
「なんでしょう」
「この前、小耳に挟んだの。岩本さん、ご迷惑かけたえな様にお詫びするのを忘れたとか? それなのに、対してなにもしていない設計課の課長にお礼したとか? お門違いなことしてはいけないわ」
「えな様は、おれ達のような平民に気さくに話かけてくれる寛大なお方なのに、今からでもいいから詫びなよ」
またこれ? わたしは苦笑いしてみせた。
行く課行く課で、こんな感じで言われるので、うんざりしてくる。えな様教かしら、ね。
そう言えば、経理課の同期の女の子が言ってたこと、本当だったんだ。
『知ってるかもしれないけど、筆頭分家や次頭分家の中で細かく系列があるんだって。岩本さんの課にいる、えな様は、次頭分家の中で上位で、筆頭分家に近い位みたいよ。だからと言って、何で、同じ次頭分家なのに、佐埜様や三津谷様達が敬称でえな様って呼んでいるのか理解できないけどさー』
聞いてはいたものの、こうもあっさりそれがわかるとは驚いたわ、そんなことを思っていると、いつもと違う雰囲気が漂った。
「ごきげんよう、岩本さん。わたしのこと、ご存知?」
「えっと、知っていると思います?」
「ちょっと、なぜ疑問文なのよ!」
「あ、えーと……申し訳ありません。材料課の高藤智世子様ですよね? たぶん、筆頭分家だったような」
「そうよ、ちゃんと覚えておいて」
わかりましたと返すと、高藤さんはにんまり微笑んだ。
確か、工場長の遠縁の叔父様の弟の娘だと自分で言ってたような。いまいちよくわからないけど、ここではかなり発言力がある人だと思う。でも、もう適齢期だというのに、婚約者もいないまま、なんでこの人いるんだろう。
噂しか知らないけど、ここまでわたしが深くこの彼女のことを考えることもないか。
そう思って、彼女の方を見ると不気味なくらいにほくそ笑んでいた。
「わたし、あなたのこと嫌いなの。えっちゃんに失礼なことしても、なにもしない。それなのに、姑息な手を使って、岩本本家の殿王子様を味方にした設計課長に、ごますりして生菓子なんてあげてんの?」
「筋を通しただけです」
「は? なにいってんのよ。寝ぼけるのもいいかげんにして!」
寝ぼけて言ったつもりではないです、そう言いたい気持ちを、グッと抑えた。
要は、仲の良い高ノ居さんが不憫だからわたしを成敗してやるって感じかしらね。
これって、階級の上になる高藤さんに、白々しくも高ノ居さんが涙の訴えをして助けを求めたのか、周りの状況をみて、高藤さんから助けに入ったのか、皆目もつけられないけど。
どっちにしろ、この状況はよろしくない。
意を決して、わたしは周囲を見回した。
ざっと数えて十人以上。そのうち、筆頭分家がひとり。次頭分家が二人? 勝ち目ないよね、これ。久保田課長が言ってたのは、こういうときに味方が必要だから、作っておきなさいだったのかな。どうしよう。
「今から、えっちゃんに詫びなさいよ。あなた、天羽生菓子店に知り合いがいるんでしょう? 詫びの品を買うとき、わたしたちの分もお願いね。もちろん、岩本さん持ちよ。わかっているわね? 早退して、今すぐいきなさい。命令よ、いいわね」
「え?」
「なにしてるのよ、早くいきなさい」
高藤さんは、細い目を一段と細くして、ピシャリといい放った。
理不尽すぎ。なんで、関係ないこの人たちの分を買わないといけないわけ。でも、逆らうこと出来ないし。
「仕事に関係ないこと話しているのは、感心しないな」
「え?」
「う、うそ‼」
口々に驚いている、えな教の面子。
うん、でもわたしも驚いているんだ。心臓がバクバクしてる。
「あ、あの……どうしてここにいらっしゃるのですか?」
代表して、高藤さんが質問した。
「君の名前は?」
「な、名乗らず、申し訳ございません。わたくしは、高藤智世子と申しまして、筆頭分家の地位を賜っております」
「わ、わたくしは、高藤の次頭分家で、佐埜弓子と申しましてです」
「右に同じく、高藤の次頭分家の三津谷忠次という者でございますです、はい」
高藤さんを筆頭に、すべての人たちが自己紹介する。
何か、語尾が変な言い回しになっているのは、この際スルーした方がいいかしら。
全員聞いたあと、こうを描いて宣言した。
「そうか、なら君たち全員、平民に落ちるか?」
「お、お待ちください! こちらの方はまだ、名乗っていませんが?」
「知っている」
「え?」
その言葉に、みんながわたしに注目する。
とそこに、長身のサングラスをかけた初老の男性が姿を表わし、周囲をざわめつかせた。みんな、その男性が灘国最高位の専属護衛頭と知っているからだ。その人が今、中級分家ごときのわたしに、最敬礼をしたのを見て、石のように固まっている。
「お嬢様、こちらに」
「ちょっと、み、宮置?!」
「一恵、宮置と一緒に帰りなさい」
「は? おじ……じゃなくてっ」
「まあ、今回は仕方がない。もう一度言うぞ、一恵、今日は帰りなさい。上司には、伝えてある。宮置、護衛を頼んだぞ」
「御意」
お祖父様、これは一体どういうこと?!
わたしが本家だとばれてもいいの?
行き場のない疑問を持て余しながら、わたしは宮置のあとに続き、その場から離れた。