スケッチ3.御遊戯にこそ律儀なる処女
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正確に言うと、フェリックス・スコープツィッヒにそれ――懐に収まる程度の大きさの、球体という括りの中に、あれやこれやの器具や装置を取り付けた、詰まる所の爆発物――を渡したのは、彼と親しき仲にあった、何処か誰かの人妻であり、より正確に言うと、彼女にそれを渡したのは――諺に曰く、金之路子にはキンノジコが寄り添う――碩学者とか幻想家とか呼ばれる輩、同業者であり――だからかどうかは知らないが、その効果、その威力は、封を破る目的に対して、些かなりとも大袈裟な代物だった。
鼓膜が震え上がる程に!
お陰で可視世界は不可視と変わり、修繕には少々の時間が掛かる算段だ。
★★★★……とはまぁ言うまいて、まぁ言うまいて。
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と、これはこれで良い機会なので、元に戻るまでの間に、注釈を一つ入れておこう。
内容は、先程から散見されている☆乃至は★へと込められた意味合いについてだ。
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☆か★か、即ち星に纏わる諸説に関しては、先に触れた通りであるが、例えて説明を出した様に、それらの風説、中でもヒトデに纏わるそれの出処は遥かに古く、その起源は、実しやかに語られるあの吹けない管楽器にも似た風説――他の声音が大き過ぎて、大概虚しく掻き消されてしまう――聖方西斯哥前史時代にまで遡れるとも時に言われる程であり、だからかどうかは知らないが、人々は星乃至はその魚を、似ても似つかないのに何故か眷属とされる彼の化石を、五芒の向きに角突き出したこの書き易い記号を、物事の仕組みの出鱈目さ、自然の成り立ちに対するいい加減さの、ある種の象徴としていた。
例えば、そう、こんな風な具合で――
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☆☆☆☆
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それはまた魔除けとも呼べるもので、聖方西斯哥の住人は、自身の心の安寧を護るが為、何かしらの嘘偽り、まやかし――彼等がそうと思えば、そうなのだ――の気配を感じた時にはそれを御指でさっと描き込み、余程であれば実際に刻むのが習わしだった。
例えば、そう、こんな風な具合で――
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★★★★
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だからもし、紳士淑女の皆々様が、この形象をご覧になった際は、どうか注意して頂きたい――それが存在する所、眉毛に唾液を塗るべき事象が存在するという事だからだ。
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勿論、縦令見えなくても、見えるものとして対処した方が良いのは言うまでもない。
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所で、それ自体が余り主流では無い為、省みられる事も乏しい、戯言を聞くに際して眉毛に唾液を塗る行為が、一体何処から出て来たのかも、フェリックス・スコープツィッヒとその同業者達が思案するに値する話ではないか。一説によれば、狐なる獣に対して有効とされているが、そも、狐とは如何なる存在なのか? 変幻自在の姿形を持って羊を追い立てる――この羊なる存在もまた、人に寄っては解釈の分かれる所である、主に何を動力とするかについて――四足獣とされているが、何処まで受け入れて良いものか。
ヒトデを書き足して置いた方が適切では無いか――☆☆☆☆だろうが★★★★だろうが、その混在だろうが、お気に召す侭、如何様にでも。
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等と言っている間に、漸くと修繕が完了した様である。
さぁお目々の蓋をパッチリと開け、次なる主人公へ向けて恋慕しよう――果て無き虚無は暫しの忍耐、無意味な絶叫はどうか御勘弁を――彼方の霧の彼方を超えて――星乃至はその魚か、はたまた、それ以外の何かの群れを通り越し――太陽、即ち月で無い某の横を、月、即ち太陽で無い某の横を尻目に――染み一つ無い青空に対して面と向かえば、出迎えるのは、東西に細く長く、山と聳える聖方西斯哥が墨褐色の全景であり――土壌剥き出しの、底の見えない断崖を駆け上り、縦横無尽と犇めく路地を迷わず進もう――軒を連ねる店々の、屋台の、出店に並ぶ品々から、意を決して顔を背け――継ぎ接ぎ仕様に合間合間の、田畑か工房か、その両方かの施設をそっと過ぎって――人目に付かぬ隠れ家の屋上で、安堵の午睡に耽るフェリックス・スコープツィッヒを今は無視し――俄に斜面厳しくなる坂を苦労して上って――仰ぎ見る遥か彼方の天の頂も、とりあえず見なかった事に――反比例するかの如く小奇麗となる街並みへと、吐きたくなる唾液と悪態をぐっと堪えるなら――辿り着くのは、外なる静謐と内なる放蕩を綯い交ぜとした、試みなかった孤人区域――その一角の――その最奥の――省みられる事なんて殆ど無い礼拝堂――その、成れの果て――瓦礫が崩れ落ち、柱や扉が床に倒れ、それでも尚、辛うじて原型を保っているそこに、六人の――四人の――五人、の――いや、やはり六人の、そうとも、嫌味の無いのが実に嫌味な淡麗藍染の礼儀典服をきっちり着込んだ、六人の奉公人が佇んでいる。
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彼等の自称は、愚賽の使徒――そう、彼等こそ、思い煩った末の虚構、挙句の根気篭った偽証――周知の事実を広める為の諸活動と、そして現に行う者達。
その、末裔だった。
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観測者の観測者として、探求者の追求者として――真実へと到達しようとする者目掛け、忍び寄り、捕らえんとする彼等は今、その吉兆を目敏く察知し、この場所へと集ったのだ。
何事かを成しつつある――それが何なのかは現在調査中だが――無謀なる何者かを――それが誰であるかは現在調査中だが――その役目通り、先代が行って来た通りにする為に。
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つまりこうである。その肩にポンと手を置いて、寄って集って忠告するのだ――諦めなさい。君が目指しているその場所は、掘っても切り無い底無しの底だから、と。
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実際の所、この大地の遥か下方、聖方西斯哥の底の底がどうなっているかなんて彼等が知っている筈も無く――他の人間に取ってもそれは当然の事、底の其処ならば、幾らでも風説や証拠の化けたる石、象牙に逆鱗、甲羅に鰓や鰭が出て来るが、その更に下と来れば、彼方の霧の彼方程に観測を許さない――そして無論の事、許されたいとも思っていない。
そう言う事だ――それこそ解釈に関しては、面子の数程在るけれど、基底の所は変わらない。何故自分達を愚賽の使徒と呼んでいるかも解らなったが、想う所は同じなのだ。
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繰り返そう、我々は決して孤独では無い――少なくとも、奴等よりかは。
数の問題等端から無く、一人ひとりが、同じ目的地の違う道を進んでいる。
だから、我々は、彼等とは違うのだ――違うのだ。
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と、そんな風に語る舌の根も乾かぬ内に水を差し込むのは気が引ける所だが――熱中している所には、それも必要な行為であるとは言え――誰も気にし無くとも明白な事実、真に使徒としてその役目を行う使徒は、ここに見える四、六人の信頼出来る仲間で、殆ど全てと言って良かった。元々が、今やかつてに諦めを知らなかった極小数ならばこそ、そしてその本懐である肩叩きを、余りに熱心に行なって来たからこそ。
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それは要するに、この事態に関心を抱いている人間の殆ど全て、と言い換えても良かったが――故に、使徒達の瞳に宿る輝きは、それはもう立派な真摯性熱中症候群の兆しを見せていた。肩を叩きたければ、同じ高さに立たなければならない。当然だ。その相手が、虚無の如く昏い穴蔵に居るならば、自らもまた降りて行く。何の躊躇が居るのか?
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だから見るが良い――決して大きくは無い一処に集まり、時に何人かその場を離れつつも、淡々と、黙々と、こればかりは絶対に繋がっていると解る犯人の証拠を見つけようと、指差喚呼し続ける彼等の姿を。周囲の大気すら影響を与えそうな、その真剣な様子を。
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瓦礫重点。
床板重点。
天井重点。
門扉重点。
三壁重点。
祭壇重点。
この窪みは?
詳細不明。
失伝している。
棒状の物が?
或いは武具か?
この臭いを?
恐らくは器具か。
もう殆どしない。
同上。
風説重点。
成果は?
不首尾。
詳細重点。
音を聞いたと。
爆発を?
爆発を。
それと笑い。
それと笑い?
それから光も。
詳細重点。
眩しかったと。
太陽の様に?
太陽の様に。
月の様にでは無く?
月の様にでは無く。
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その外では、一羽の小さく黄色い鳥が、愛らしい調子で鳴きながら飛んでいる――一目出来る者ならば、大概理解出来るであろう事実として、時に濃霧に見舞われる事もある聖方西斯哥も、今日こそは雲一つ無い、それは見事な快晴だった。
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所で雲と云えば、砂糖なのか塩なのかそれ以外なのか、証拠に到達したにも関わらず、まるで決まっていない事象である――吸う者に寄って、味が違って感じられるからなのは勿論だが、珈琲には何を入れるべきかという大問題と関わっているのが主な理由だった。
或いは何も入れざるべきか、とだ。
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そんな白くてサラサラフワフワした、甘いのか塩っぱいのか何なのか良く解らない何かに遮られる事無く光――何からの、に関しては、今はもう置いておこう――差し込む中、カツン、コツンと、誇らしげな靴音も高く、礼拝堂へ向けて歩いて来る一つの影。
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百八十センチを超える恐るべき巨体にして、明朗な凹凸に乏しい痩躯の上に貼り付ける様に纏うのは、キュッとしっかり結び付けられた緋色の首帯との対比も実に映える、サクソン氏垂涎の青の、良く糊効いた礼儀典服であり、と、なればこそ、その素性が如何様か等とは、言わなくても解かろうものだけれど、想像の根拠は、他にもたっぷりと目に留まる――それとは別の、一見では難しい方と諸共に――程良い長さに切り揃えられた蔦茂る髪は在り得ざる常緑色に色付き、左右へ分けて開かれた額からは揺るぎ無い真実――つまりは巡り廻った星と同義である――の象徴、魔除けの一つとされるΞを堂々と覗かせている。それは四角四面に定規杓子な眼鏡越しの、鋭利に長い街灯蟲石の瞳と重ねて、濃密な単一さ、均一さが示す生真面目な具合を、これでもとばかりに見る者に伝えており、自然なままに整えられた眉の太さも、端正を台無しにする常の顰め面も、足取りに合わせて腰元に打刻される片指使いも、あえて添えてやる必要が無い――殆ど全ての殆どを埋める七人目が、実質なる胴元が近づいて来たのに気付いた六人が、徐ろに顔を上げ、信頼と敬意と一抹の畏怖、そして明白に密やかな好意を視線に込めて投げるまで行ってしまえば、これはもう、収穫過多の車輪と称すより他には無いだろう。
そこに付随する諸々の知識――齢二十五にして、産まれの星は射手座の元、“A”なる血筋に宿した女と言う点まで与するなら、車輪で宇宙が埋まってしまうというものだ――あえて他に言い伝えて置くものが在るとすれば、それは最早名称位のものに違いない。
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セネティアス・フィドゥシアン――それが、その者の名前であった。
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目線と日差しを一身に、顔色一つ所か汗一滴垂らす事無く、坂を超えて同志達の元へとやって来た彼女は――そう、彼女なのだ、ちゃんと見ようとするなら、首を痛める羽目になるのだとしても――腰元に添えていた片手を鼻の上へと持って来、眼鏡の弦をくいと押し上げると、やや猫なるものの背骨気味な筋をぐるり円弧に、礼拝堂だった場所と、六人の使徒の様子とを伺ってから、紅薄い唇をそっと開いてこう問うた。
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遅くなりました。
憐れむべき犯人の手掛はもう見つかりましたか?
謝罪を、未だ確たる物は、何一つ。
区域住人も、音と光以外は、何一つ。
この場所に何が在ったのかも、何一つ。
それが何か解らずともそれは封じられるに足る何かだったのです。
世に解き放ったままにして置いて良い訳がありません。
故に誰もが恐れを成して良く見る事も聞く事も忘れたとしても。
我々だけはその者を追い掛け追い詰め己が無意味さを覚えさせねばならないのです。
使徒としてのそれこそが私達の役割なのだから。
各員引き続きの探索を抜かり無くお願いします。
地を這ってでも誰かへと繋がる何かをきっと見付けましょう。
御意に。
御意に。
御意に。
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その声音は凛として静かで、穏やかな響きが篭っていたが、忙しの無さに揺るぎの無さもまた宿していて――セネティアス・フィドゥシアは胸、平坦な事紐の様な胸をぐっと張って、己が期待されている命令を出し終えると、そのひょろり長い脚を半ば大儀そうに折り曲げてから、床板の上へと掌を付いた――口にした事の変わり様の無さ、或いは例外等無い事を告げるべく、自ら四つん這いとなって証拠の品を探し始めたのだ。
一拍の間を置いて、他の六人もそれに追従する――傍から見たその光景は、クンカクンカと、牧なる獣が迷える獲物を探している姿にそっくりであり、そんな風に姿勢を変える時、使徒達の視線は一瞬だけ、屈む事で形動き、それなりに明朗な凹凸を、丸みを帯びた部位へと注がれた訳だが、彼女は気にもしないし、気付く事も無い。
そのくすんだ銀色の瞳の中では狂信的な熱意が淀み無く渦巻き、この中で一番、水を必要としているのが誰なのかを、逃れ様も無くハッキリと浮かべている――そして、今頃になって顔を見せる、始まりの問い掛けに関しても、解り易過ぎる位に解り易ければ、あえて触れぬ事無く、成すが侭としておこう――首も、から上も、自ら痛める必要は無い。
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嗚呼被創造物よ――外では相変わらず金之路子が羽撃いて、辺りを巡っている――少し暑いが、良い散歩と昼寝日和である聖方西斯哥で人々が何をしているか等、鳥の眼からは明々白々だ――飛ぶ事こそが確とした証であれば、何かを痛める事なんて当然無い。
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そんな風にして小一時間が呆気無く流れた後に、今一つの確とした証、主演の片割れへと至る物を手にしたのは、最も肥満な一人の使徒であった――これは、と、『☆Forbidden★』の封が張られていた欠片、頭文字とその次のそれの間の部分をヒョイと退かした先に挟まっていたものをもう一度ヒョイとやれば、ずるりずるり這い寄って来た五人と一人の全員が、そうやって指先に摘まれたものへと視線を向ける。
細く、透ける様に細く垂れているのは、この場に居る誰のものよりも尚長く、そして誰のものでも在り得ない、獣の噛跡多し彼の魚色の頭髪であり――
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同じ頃、その髪のかつての持ち主、総じて某の如何を追う者、迷える獲物と呼ぶには些か殊勝さに欠ける男、つまりもう一人の主演、フェリックス・スコープツィッヒはと言うと、先程少間見えたままに優雅な午睡の真っ最中だったが、これはまぁ致し方の無い事である。
時は未だ至っていなければ、蒸気だか発条だか何だかで兎にも角にも駆動している、数え切れぬ程の羊達もまた、善き哉善き哉と、夢見の中で謳っている最中なのだから。
善き哉善き哉。
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