スケッチ2.我慢辛抱利かん坊
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そんな風な諸活動と、それに勝る非活動に寄って、人々は健やかに、その命を育み、そして死に、また還り、ぐるりぐるぐる螺旋を巡る様な確かな生を送ったという。
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世はなべて事もなし!!
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終劇
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けれど残念な事に、それはまやかしだった。嘘偽りであった。
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勿論、全てが全て、とは言わないが、取り零しは、何時の、何処にでもあるものだ。
その無意味さに気付く事無く、厄介な親切も無用の代物、ただ己が納得の為に、止せば良い疑念の追求が為に、我が道を歩む者が、ほら、其処にも彼処にも、チラリホラリと眼の前を通り過ぎて行く――無論、それは此処にも、のお話であり。
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そう、此処――在りし日にそうであり、在らざる日もそうであるもの――際限等無いかの様に今持って拡大し続ける居住区――砂岩より築かれた原初の構築物――本音を言えば、何処かの誰かが放ったらかしにして帰った後の様な砂場の中――生ける誰か何かと死せる誰か何かが折り重なって在る所――唯一にして無二なる全ての家々の有様――海なるものの次、天と共に形成したその双生たる大地と、時に同義と語られるもの――高みを目指して掛けられた橋、果てを目掛けて伸び行く階段――偉大なる太古の聖者の名を冠した地――或いは蒙昧なる太古の愚者の名を冠した地――そんな風な何か――即ち此処、聖方西斯哥にも。
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フェリックス・スコープツィッヒ――それが、その者の名前であった。
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齢二十五にして、産まれの星は蠍座の元、“B”なる血筋に宿したその男は、自分自身の事を、目敏き幻想的碩学者、或いは巧みな碩学式幻想家と名乗っていた――即ちそう、真理の探求者、と。実際の所、それは何処にでも転がっている真理なるものの一つに過ぎず、探求と言っても、専ら軒先で、道端で、酒場の片隅で、彼曰くの観察と推測に寄り導き出された考察を一丁打つのが日頃の諸活動なのだけれど、市井の評判はそれなりに上々だ。ろくでもない風説であっても、軽妙に、饒舌に語られるなら、音色として歌として耳心地良い――忌避鴉効果絶大な事甚だしい襤褸切れ同然の頭巾付き普遍外套を一張羅と、後頭部とべったりに撫で付けて後、一本に結って垂らしている、眼にも口にも鮮やかな桜魚肉色の髪を小気味良く揺らしながら、杜撰な六条の輝きを施された九月石細工の瞳も細く鋭く爛々とばかり、四方八方へ向けてその青褪めた視線を飛ばしつつ、今日この日この時この瞬間に浮かんだばかりの解釈をちょこまか述べて回っている姿は、殆ど無害な愛玩用――飛ばず刺せずの尻尾針は逆しまの星飾り、見た目は毒々しくとも、実際の毒の効能は、程良い酩酊を引き起こす程度の――と呼んで差し支えなく、実はそれなりに居る同族達の中でも、たかが知れているとは言え、一際多い日銭を稼いでいた。
例えば、そう、こんな風な具合で――
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さぁさぁ紳士淑女の皆々様!
お暇が有ればお耳を拝借!
もしか無くても問答無用!
今日、拝聴して頂きたいのは、殆ど常に彼の空を巡る、あの太陽とやらのその秘密!
この私、フェリックス・スコープツィッヒは、その解明に成功致しました!
光か孔かの声も大きいあいつは、しかして、そんなものでは無いのです!
それはチーズ!
そう、丸くて黄色い、巨大なチーズこそが、その正体なのです!
私が偶然に見つけ、今握っているこの断片こそ、動かし難い確かな証拠!
であればこそ、乳なる雲は太陽の至近に漂う事を許されず、天なる鼠はその匂いに、香りに飛び来たりては、時にそれを欠けり陰らせ、歪な姿を晒させているのであります!
お疑い? 勿論お疑いの事でしょう!
ですが事実はほうらこの通り、この手の中にちゃんとあります!
良く良く眺めて見てください、こいつの此処のこの辺りをば!
ちゃんと齧った痕があるでしょう? 見えないって? 貴方の眼は節穴ですか?
まぁ怒らないで、ならばどうぞご賞味あれ! 遠慮なんていりません、思い切って一齧り――嗚呼駄目です! そこも鼠が齧った所! そう、反対側、そう、そこら辺、そこなら何も問題無く、えぇ怯えずとも毒等は――嗚呼。お味の程は如何でしょうか? 美味しい? 普通に? 他と変わらない? でしょうとも! チーズの道こそ黄道にあり! 殆ど常に彼の空を巡るなら、嫌味無く飽きも来ない――それこそ正に太陽でありましょう!
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善き哉善き哉――彼が本気で語っている点を抜かせば、そう言う事も出来ただろう。
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人々が俄に信じようとしない事実。
フェリックス・スコープツィッヒはそれらの戯言を本心から語っていた。
そう、彼は一種の病人だった――極々僅かの取り零し、隠匿されているが故により苛烈さを増させた知的好奇心の狂った発露、この行為こそが真に世の為人の為己が為だという、見当違いも甚だしい幻想――真摯性熱中症候群が彼の純粋な精神を苛んで居たのである。
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当然に出て来る始まりの問い掛け。
何故か、には六つか四つか、さもなくば五つ位の諸説が上がる。
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環境がその存在を定義するという割合に一般的な風説に従えば、その出自が、聖方西斯哥内の大多数を占める地域、末広がる衆人区域であるのは大きいだろう。
都市の果てとは最早大地の際に達しようとしており、そして住まう人々の数は余りに多い。全てに行き渡らせるには、そもそも偏った財産も尊厳もまるで足りず、どちらかを求めるならば、どちらかを諦めねばならない。それが普通であり、だからこそ、両方を欲する為には、それに見合った人となりを披露する事が不可欠となる。
奇妙奇天烈である事が、近寄り難くも眼を逸らせない聖痕保持者である事が。
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しかし真理が真面目に問われていた時代等、今やかつてであり、世に溢れる貧者の尽くが、フェリックス・スコープツィッヒの様な者である筈も無い事を考えるなら、環境は、一般論は、どれも所詮は限度があり、更に、これに関しては実の所、当の本人にも言い分がある――既に諦められ、封じられ、忘れられた探求の道程を、何故彼が目指しているかと言えば、その名前、その頭文字にこそ理由があり、それは皆が慣れ親しんでいるあの風習、馴染み深いあの本能に根ざしてのものだった。
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即ち――“S”と“F”の連なりを、或いは、逆しまなる“F”と“S”を、その片割れを、人々は有象無象の中に何故か見出してしまうという、御存知の通りの奴である。
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それは誰であれ彼であれ、余りに当たり前であるが故に、その訳を示す風説らしい風説も殆ど無く、概ね二つの、実質は一つの考えにこそ集約する――この世界を産み出した某の名を無意識に敬ったものか、反故を込めて逆しまに当て嵌めたものか、だ。
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その読み方が上からであれ下からであれ、実際の所がどうであれ、大本が造物主へと繋がっているのは間違いなく、故に、彼の者の御業を褒め称える下僕乃至は、白痴無能の愚者への反逆者、つまりは真理の探求者として、なかなかどうして、フェリックス・スコープツィッヒは相応しい名前ではあるまいか――大きな姿見を傍らに置いた彼は、己が動機の説明に、良くそう言ったものである。鏡の中で廻ったり逆立ちしたりを繰り返しつつ。
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だがしかし、と、越に浸る当人を尻目に、ここでもう一度翻ろう。
重きを置かれているならば、そんな頭文字等、珍しくも何とも無く、その名を有する尽くが、フェリックス・スコープツィッヒ然としている訳が無いのも御存知の通りであり。
彼の事を比較的良く知っている人間――行き付けの店々の主とか、何処か誰かの人妻とか同業者とかは、これらとは全く別の風説を採用し、それを以って真実と断言している。
つまり、彼を突き動かすのは、彼の身体、その背丈に置いて他ならない、と。
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フェリックス・スコープツィッヒの実際の身長は百四十センチ程度しか無く、これは聖方西斯哥が成人男性の平均と比べて頭一つも二つも低い数字だった――勿論数字等気にするのは碩学者とか幻想家とか呼ばれる輩位だが、それは傍目に、動作に色濃く反映される。彼が周囲からどの様な扱いを受けて来たか、現に受けているか想像するのも容易ければ、それが諸活動に影響している様を思い浮かべるのもまた簡単だろう。靴の底には何も無いと言い張っても、秘密の音は甲高く耳障りだ。そう、 謂わば、殆ど無害の殆どすら取り除く為の、ちょっとした一塩。耳心地良さも、時に限度を超えるならば、腕力を以って黙らせればいい。だからこそのお目こぼしは、例えば、そう、こんな風な具合で――
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その様にして、聖方西斯哥は遂に誕生し、今へと至る道を、と、痛てて、嗚呼嗚呼、ちょいとお待ちを、いやぁ煩わしいのは御尤も、っ、真に御尤も、とぉ、ですがしかしこれは真実、真実でありますれば、どうかどうか、危っ、そう、どうか心安らかに、然と聞き入れ、これからの貴方の人生の縁と、うぉっ、嗚呼畜生、分かった、分かった、分かったってっ、あんたの言う通りさ、全く、以ってその通りっ、猛々しきベスプッチなんて居る訳無いし衆愚の国なんて有り得ないとも、神掛けてだ、☆☆☆☆!
あ。
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神掛けて――然り、だが、それこそが問題だった。神、という部分が、だ。
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嗚呼被創造物よ――人々は、少なくともその大多数は、彼の事を侮っていた。その識閾の下に根ざした小人の反骨を――選ばれし民であると口に出して言える程度には、そうと自覚出来る事の歓びと戒めを――特別であれ非凡であれ、と、群衆の中から抜け出そうと藻掻く心の奥の切実さを――今やかつて、先人達が一度は辿り着いた正真正銘の真実、やがて訪れる布告を怖れない所の結末を鑑みれば、フェリックスの行い等、正に取るに足らないと言う事が出来たとは言え――想いを行動へと変えるその脳髄の煮え具合を。
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折角なので、もう一度繰り返そう――嗚呼被創造物よ――だからこそ人々は、少なくともその大多数は、彼の事を見逃したのだ――週の終わりの待ち遠しき土曜の、いや、まだそちらに成り代わってはいない金曜との境の深き夜――月、即ち、太陽と相対する形でその正体に関する諸説を持った何かの光から逃げる様躱す様に――行きつ抜き足戻りつ差し足、勿論居ない傍から見る者が居れば滑稽な程に大仰な、大仰な程に愚直な挙動の忍び足を駆使して、闇から闇へ、影から影へ――進み、昇り、進み、曲がり、また進んで、それから辿って――向かう先は、世界の中心のその周縁が、試みなかった孤人区域――今やかつてより、恵まれた者達だけが暮らし住まう都市の残りの極小数――その一角の――その最奥の――省みられる事なんて殆ど無い礼拝堂の中――幾重にも渡って張り巡らされた『☆Forbidden★』の封印も古めかしい大扉の前――あえて浮かべた顰め面も限界に――懐より取り出したるは、小母様手塩の、恭しくも禍々しき球体であり――器用な手付きで付属の器具を操作すれば、小気味良い駆動音と共に装置が稼働し――振り上げる手――その後に数えるのは、六か四か、間の五でも構いやしなず、零、と同時の口先には煎胡麻を一振り――そして。
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衝突。
瞬光。
衝撃。
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