壱の四
「オリオンは私のことを恨んでいるかな」
アルテミスはそう呟きながら、目に浮かんだ涙を自分の指で拭った。
しばらくした頃、事務所の仕事を終えたカグツチも自宅に戻ってきて、食卓テーブルの前に座った。勿論、アルテミスが泣いていたことなど全く気づいていない。
「悪いなアルテミス、今日も夕食の支度を全部やらせちまって」
「い~の、い~の、カグツチには鍋を熱くしてもらう仕事があるんだから」
「フッ、書類整理が終わったばかりなのに、休む間も無く仕事かよ」
そう言うとカグツチは、両手を耳の横に上げて、お手上げのポーズをとる。
「スーパーから帰ってきたときに言ったでしょ、忘れたの?」
「冗談だ。俺は約束忘れるほどズボラじゃねーよ」
膨れたような顔をしているアルテミスに対して、カグツチは軽口を叩いた。
「じゃあお腹も空いたし、早速鍋を熱くするか」
そう言うと、カグツチは丸いジンギスカン鍋に目を向けた。
鍋は、大き目の火鉢五徳の上に置かれている。火鉢の下にはテーブルが焦げないように鉄板が敷かれているが、加熱燃料などは置かれていない。
カグツチはその鍋の下に左手を入れる。すると、その左手から青い炎が出てきた。
「美味しく焼くから頑張ってね♪」
アルテミスはそう言うと、熱くなった鍋にラードをのせると、ゆっくりと鍋の上で動かす。
そしてラードを鍋の端に寄せると、野菜や肉をのせて焼き始めた。
「気楽なヤツだな。こっちの苦労も知ってほしいもんだぜ」
ジュウジュウと音立てながら野菜や肉が香ばしく焼けていくが、その間、カグツチの左手は同じ姿勢をとっている。
だんだんと左腕がだるくなってくるが、途中で止めるわけにもいかず、我慢をしている。
しかし、疲れで顔が強張ってくるのが自分でも分かった。
「カグツチ、お肉いっぱいあるから遠慮なく食べてね」
アルテミスは焼けた肉や野菜を取り皿に盛り付けると、焼肉のタレをかけて、カグツチの目の前に置いた。
「やっと、肉にありつけるぜ」
そう言うと、右手に箸を持って、皿の上の肉や野菜を食べ始めた。
すると、アルテミスが席を立って、冷蔵庫を開けると、何かを取り出した。
「焼くのを頑張っているから、これもどうぞ☆」
「お、サンキュー。気が利くな」
アルテミスが冷蔵庫から冷えた缶ビールの口を開けカグツチに渡すと、カグツチの顔が綻ぶ。
「あっ、グラスも出すね」
「いいよ、このまま飲むからさ」
席を立とうとしたアルテミスにカグツチは声を掛けると、右手に持っていた箸を皿の上に置き、缶ビールに持ち帰ると、グイッと一口飲んだ。