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第5話『裕志の青春』

中は驚くほど静かだった。と言うより、人がほとんどいない。


「早く来すぎちゃったかな?」


僕は小さく呟いた。

ふと目を奥へ遣ると、白い長テーブルがあるのを発見した。じっとしているのもなんだし、とりあえずそこに向かってみることにした。

するとある一つの席にだけ、光源も無いのにスポットライトが降りかかっていた……気がした。

ライトの下には一人の大和撫子の少女がいた。彼女は椅子に座りながら読書している。僕はしばし息をのみながら見つめていた。


「……」


久永さんが読書している。

その姿は、どことなく愛しく感じるものだった。ページをめくるという些細な仕草も、なぜか久永さんがすると輝かしく見えてしまう。

今ここにカメラがあったら、思わずシャッターを切ってしまっていただろう。それほどまでに永久にこの世に残しておきたいスペクタクルであった。

このままずっと久永さんを眺めていたい……。しかし、そんな願望は叶うことはなかった。

久永さんが僕の存在に気づいたのである。


「あ……梶田くん?」


久永さんは、優しくて控えめな口調でそう言った。


「えっ、あ…その、や、やあ、久永さん」


あまりにも唐突で一瞬冷静さを失ってしまったが、なんとか挨拶できた。

うん、やはりただ眺めてるだけでは駄目だ。「会話」という手段があるのなら、ちゃんと言葉を交わした方が良いに決まっている。

僕は久永さんのもとへと歩み寄る。


「今、久永さんだけ?」


「うん、そうだけど……」


「そっかー……」


相槌が妥当にも程があるなと我ながら思った。一瞬自分の心境を恨んだが、それは仕方がないことだろう。だって僕は、久永さんと面と向かって話しているのだから。


「……」


「……」


僕はプライベートゾーンを考慮しながら久永さんの隣に立った。

久永さん……。やはり近くで見てもかわいい。持ち合わせている奥ゆかしさと、おっとりとした雰囲気。それが限りなく愛らしい。まさに「可憐」の一言である。心のロウソクに火が灯った。


「先月の、卒業式以来だね……」


久永さんが言った。


「うん、そうだね……」


「……」


「……」


この感じ、今まで感じたことのないこの雰囲気。これが、青春というものなのだろうか?

だとしたらとてもすばらしいことだ。


「何読んでたの?」


少し緊張しつつ聞いてみた。


「源氏物語の原書……」


「え? 原書!?」


古文が苦手な僕は素直に驚いた。


「あ、もちろん後ろに解説とかは載っているんだけど……」


「へぇー、そうなんだ……」


中学時代、久永さんは休み時間にはいつも本を読んでいた。内容は近代や現代はもちろん、古文や漢詩など様々であった(というより女子たちがそう言っていた)。そのおかげなのか、国語の成績は必ず久永さんが首位に立っていた。このことから久永さんは別名「国語姫」と呼ばれていたほどだ。


「おもしろい?」


「うん。とっても」


「へぇー……」


「……」


「……」


まずい。いちいち話が途切れてしまう。僕は一時の緊張を振り払い、久永さんに尋ねた。


「ちょっと、見せてもらってもいい?」


「うん、いいよ」


久永さんは何の差し障りもなく源氏物語の本を貸してくれた。早速見てみると、そこには変換不可能な古文単語がビッシリ並んでいた。


「うわー……。こんなの辞書無しじゃあ、さっぱりわかんないや……」


決しておどけてることなく、ただ正直に感想を述べた。そもそも古文なんてもう日本語じゃない。日本語もどきの異国の言語だ。


「だよね……。私は、小さい頃から古文には慣れてはいるから……」


「え、そうなの?」


「うん。私のパパは、文学部の教授なの。日本文学の研究をしていて、うちにはこういう古典文学がいっぱいあって……」


「そうだったの!?」


この件については初耳である。

そうか、久永さんの父親は教授だったのか。しかも文学部の……。


「だから国語の成績が良いんだね」


「ううん。私、国語にしか才能がないようなものだから……」


「いや、それってとても素晴らしいことだと思うよ。天性の華ってかんじでさ」


「そ……そうかな……」


久永さんは徐々に頬を赤く染めた。

……かわいい。

まさに「天使のはにかみ」である。ずっと見ていたい。だけど、気が付くと他の生徒たちが続々とやってきていた。

僕と久永さんは、会話を中断せざるをえなかった。この時期は、男女が会話をしているだけでも浮くのだから、仕方がない。だけど、もう少しお話していたかった……。



***



顧問の先生や委員長の話を軽く聞き流た後、僕たちは図書室内を見てまわることになった。

この学校の図書室について一通り書いておこう。この図書室は、旧校舎にあった教室を六部屋分を取り壊して作られたものである。その広さは、床に敷き詰められたカーペットの方が書棚の占める面積より広かったほどだ。取り壊しと同時に内装もリフォームしたそうで、室内はかなり綺麗だ。最新型の据え置き型のパソコンもあり、ピカピカな自習専用机まで用意されている。

はっきり言ってこの図書室、市内の図書館よりも使い勝手が良さそうだ。


「そして、これが閉鎖書庫」


そう言って顧問が見せてくれたのは、時代を感じさせる小窓付きのさびれた扉であった。


「普通この部屋は、図書室の関係者しか入れない。だが図書委員でさえ、滅多なことがなければ入ることはまずない」


ということは、その滅多なことが起これば入れるということだな。じゃあ、その「滅多なこと」って何なんだろう?

僕は様々な想像をした。

──とその時、扉にある小窓から青っぽい光が一瞬ピカッと光ったような気がした。


「ん?」


僕は小窓を凝視した。

何ださっきのは? もしかして……火の玉? いや、そんなことあるわけ……。



***



かくして、図書室の案内が終わった。正直、顧問の話は無駄な知識や自慢話が多くを占めていたので、半分くらい聞いていなかった。


「じゃあ次に、文芸部としての活動について、委員長と部長を務める片山くんに説明してもらうとしよう。片山くん、前へ……」


そう言われて片山と呼ばれた男は、背筋をシュッと伸ばし、顧問の横に立った。


「図書委員兼文芸部に入った新入生のみんな、我が部を志したことに感謝する」


なんだあの人……。この集団を自衛隊か何かと勘違いしているのだろうか?

ヒョロヒョロな体型だが、これでもかというほど鳩胸だし、黒ブチ眼鏡にテクノカットという時代遅れのスタイルだ。第一ボタンもしっかり閉じているところも見ると、まさに絵に描いたようなガリ勉だ。


「文芸とは、文字を一つ一つ並べることでは成り立たない。感性の中から生まれる文章を並べるものだ」


そんなことくらい百の承知だ。


「若者の文学離れが進んでいる昨今、現代社会は特にそういった能力に欠けている」


そっちだって若者なのに、何を偉そうに……。


「最近流行っているというライトノベルは、ただただ会話文を羅列させているだけであって、あれでは立派な文学ではない!」


この委員長、全国のラノベファンを敵に回したな。ラノベだってれっきとした小説なのに。


「例えば、夏目漱石や森鴎外、日本人に限らずO・ヘンリーやアーネスト・ヘミングウェイ、その他多くの天才的な知識を積んだ者の文。これこそが本物の文学だ!」


四人ともほぼ同じ時代の作家だ。自分の趣味を押し付けるのもいかがなものかと思うが……。


「だから君たちには、多くの知識人の文学を読んでほしい。そして、その知識と自分の経験を生かし、秋の文化祭には最高の文学を生みだしてほしい」


紙に書いた綺麗事をそのまま読んでいるようなセリフだが、委員長の目は真剣そのものだった。どうやらこの人、本気で言っているようだ。こういう性格の人は非常に厄介なタイプだ。言葉には気を付けよう。


「それでは、説明を終わる。みんな、本をいっぱい読むように」



***



その後、様々な説明があったが、僕にはそんなものどうでもよかった。それよりも、一分一秒でも多く久永さんと一緒にいたい、お話ししたいという思いでいっぱいだった。そんな一方で久永さんは背筋をしっかり伸ばして、話を真面目に聞いていた。僕も一応そのようにはしているのだけど、やっぱり久永さんには敵わない。普通にいても彼女は輝いているのだから。

こうして集会は終了した。次の集合は来週の土曜日とのことだ。

束縛からの解放に似た感覚を覚えた。久永さんはというと、とっくに他のクラスの女子と楽しそうに談話している。そんな光景を見るだけで、僕は幸せな気持ちになった。だけど、この胸の中にあるモヤのようなものは何なのだろう……。

なぜか納得できないものを抱えながら、仕方のないことだと自分に言い聞かせ、僕は一人で廊下に出た。すると、見覚えのある男子がまさにすれ違おうとしていた。


「あ、小笠原くん」


「……梶田くん?」


その男子は、身体検査の時に僕に絡んできた短髪の少年、小笠原光貴くんであった。


「どうしたの? こんなところで?」


僕は小笠原くんに問いかけた。


「いや、ちょっと野暮用があって……。梶田くんこそどうしたの?」


「図書委員の集まりがあって、それが終わったとこ」


僕は嘘をつくでもなく、正直に本当のことを言った。

小笠原くんは「ああ……はいはい」と言いながら考え込む動作をした。

そして──


「梶田くんって、久永さんのこと好き?」


「っっ!?」


脳内で稲光が貫いた。

口に飲み物をふくんでいたら、思わず吹き出していたところだろう。


「なな、なっ、何言ってんの小笠原くん!?」


「やっぱりね。久永さんのことが好きなんだ」


そんなこと一言も発してないぞ?

でも事実だから反論の仕様がない……。


「梶田くん、告白するなら早い内が良い。長くても今年中にはね……」


今日初対面した人が優奈と同じことを言っている。何だか眩暈らしきものを感じる。


「ど……どうして?」


「あれ、知らない? 僕たちのクラス、二人の関係の話で持ち切りになってるよ?」


まったく知らない……。

そういえば、クラスメイトの女子たちが僕を方を見てはヒソヒソしてた気がしたけど、彼女たちの対象はやはり自分だったのか。

……何てことだ。


「だから忠告しておくよ。他の男子に取られないように、長くても今年中には告白した方がいい」


そう言いながら小笠原くんは、真剣な目で僕を見据えた。


「あ……あのさ、小笠原くん」


「コッキーでいいよ」


「いや、いきなりそう呼ぶのは……?」


何なんだろう? 身体検査の時から感じる、この引っかかるものは……。

何というか、懐かしい?

それに、コッキーってどこかで聞いたことあるような……。


「そう……。それで、どうしたの?」


「あ、うん。小笠原くんはどうして僕の味方をしてくれるの?」


人のプライバシーを追求する失礼な奴はこの世にいくらでもいる。でも彼の場合、なぜか初めて接する人とは思えない感覚がする。


「そっか……。まあ、そりゃそうだよね」


「え?」


「さすがに、覚えてないよね……」


さあ……。日本の領土に小笠原諸島っていうのがあるのは覚えてるけど。


「僕のことなんて、覚えてないよね……」


どういうことだ? 僕のメモリーの中に「小笠原光貴」というワードは見当たらないが……。


「じゃあこれなら知ってる?一人ぼっちのコッキーって」


「……?」


うーん、どことなく懐かしい響き……。


「あ、思い出した! 確か幼稚園の時にいた」


「その通り!」


ああ、そうだ! 綺麗に思い出した。そういえばそんなのいたなぁ……。

国旗が好きなことから、名前と掛けて「コッキー」と呼ばれたあの内気な眼鏡ボウズ。

でも、なんで小笠原くんがコッキーのことを?


「そのコッキーっていうのは、僕のことなんだ!」


へぇー、小笠原くんがコッキー……。コッキー……。

って──


「えっ!? 君があのコッキー!?」


「そう! 久しぶり、裕志くん!」


嘘だろ!? 今、僕の目の前にいるのは、眼鏡をかけておらず、髪の毛もスポーツ刈より少し長く、何よりフレンドリーな態度の同級生だ。にわかには信じられない!

だが言われてみれば、たしかにあのコッキーの面影がある。何というか、雰囲気が似ている。


「どうしちゃったんだよコッキー!かなり見違えちゃったじゃん!」


「人間、10年もあれば色々変わるもんだよ」


うん。神様はやはり気まぐれなものだ。当時からこの性格だったら、独りぼっちなんかにならなかったのにさ。


「今でも国旗は好きなの?」


「もっちろん!国旗サイコーだよ」


僕ら二人のまわりには、なつかしき海星幼稚園が建っているようなかんじがする。懐かしいと同時に楽しい感覚がした。


「覚えてる? あの時、僕とまともに話してくれたのは裕志くんぐらいしかいなかったこと」


「うん、覚えてる。どうしてみんながコッキーを避けるのかわからなかった」


確かにあの時のコッキーは少し無愛想で、なんとなく近付きがたい雰囲気があった。

でも僕は違った。コッキーが語る国旗の知識に、目を輝かせて聞いていたのを覚えている。


「その……恩返し? って言ったら少しおかしいけど、僕、裕志くんの力になりたいんだ」


うん、コッキーなら信用しても大丈夫だろう。昔から嘘はつかない良い奴だから。


「裕志くんの恋、僕は全力でサポートするよ!」


僕らは固い握手をした。


「わかった、ありがとう!」


良心ではなく、本心で僕は言った。

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