第4話『新しい友達?』
「裕志さん、もう朝ですよ。起きてくださーい」
「……んぐむ」
眠気が勝るいつもと変わらない朝…。
いや、今日は何か少し違う。何か頬に湿りを感じる。
「あ……裕志さん、よだれが……」
え?よだれ?
僕は頭の中で式を展開する。
よだれ=涎=唾液=口の中で分泌される=汚い=油断すると垂れる=垂らすのは恥ずべき行為(QED)
「え?」
口元に触れてみると、たしかに純水より粘りのある液体が……。
「あ、いやあの、その……」
「フフっ、ふきん持ってきますね」
白雪さんは一旦僕の部屋から去って行った。
今僕の脳内は、突然のハプニングによって見事に冴えてきた。
どうやら結局、あの二人の会話について考え込んでいるうちに、ぐっすり眠ってしまったようだ。
現に、二時間サスペンスで感じるあの戦慄みたいな感覚が払拭されている。
人間とは不思議なものだ。どんなに激しい感情を抱いても、寝てしまうとそれが軽減されてしまう。
だから僕は、改めて昨日あったことについて考えてみることにした。
「愛人同士じゃ助けられなかった?」
要は結婚しなくちゃいけない理由が二人にはあったということだろうか?
でもそれならばなぜ?
僕はあまり法に詳しくはない。だからそこから先は想像がつかない。
こんなことならもっと刑事ドラマや法律に関するバラエティー番組を見ておくんだった…。
「持ってきましたよ、裕志さん」
「うっひゃい!」
白雪さんが来たのに気付かず、僕は驚いて飛び上がった。
「きゃっ!」
と声が聞こえて僕は横を見る。
そこには尻餅を付いた白雪さんがいた。
「ああ!大丈夫ですか!?白雪さん?」
「は……はい。大丈夫です……」
よかった……いやよくないよくない!白雪さんが腰を抜かしたのは僕が驚いたせいだ。
「すいません、いきなり驚いて……」
「いえ、本当に心配ないですから……」
僕は白雪さんからふきんを受け取り、よだれと同時に羞恥の感情を拭き取った。
***
今日の朝食メニューは、鮭の焼き身に味噌汁、野菜サラダに漬け物(市販のものだろう)という、昨日とは打って変わって和風の献立であった。
僕は一つ一つの最高の味付けを味わった。
だがやはりもやもやする。
昨日のことがどうしても気になるのだ。
少し迷ったが、僕は白雪さんに、盗み聞きしたことがばれないように質問をしてみた。
「あの、白雪さんって……」
「はい?」
「……父さんのどの辺に惹かれたんですかですか?」
「えっ……」
白雪さんが硬直してしまった。やはりさしでがましかっただろうか。
「あ、やっぱ何でもないです、忘れてください!」
「はぁ……」
ダメだ。いざ聞き出そうとすると、つい緊張してしまう。僕の悪い癖だ。
父さんと白雪さんとの間にどんな関係があるのかはわからない。もしかしたら、とんでもなくドロドロな事情かもしれない。だけど、そんなことについていつまでも気にしてはいけない。それに今日は図書委員の集まりがある。あまりくよくよしていてちゃ久永さんに顔向けできない。よし、今日も一日頑張ろう!
***
昨日も通ったこの通学路。頭上から散りゆく花びらが、僕の全神経を躍動させた。
やはり桜は素晴らしい。ただアスファルトで足場を固めただけの道も、いとも容易く印象をがらりと変えてしまう。
正直、最高だ……。
だが、そんな思考をシャットダウンしなければならない時がとうとう来てしまった。
「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!」
後ろからひどいノイズが耳に入る。もちろん音源は、例によってアイツだ。
「おっはよー、ヒロちゃん!」
「お、おはよう……」
やはり、トモは場違いだ。とある青少年の至福の一時を、いとも容易く粉砕する。
正直、最悪だ……。
「昨日はマジで退屈だったぜ、ヒロちゃーん」
「……そうか」
「んで暇だったから一日中ゲームしてたぜ……」
僕ん家に来ても十割の確率でゲームしかしないだろう。
「ヤバい。呆れるくらい暇だったぜ……」
「そうか、残念だったな」
まあ僕は昨日、彰と白雪さんとで思う存分楽しんだけどな。
「なぁ、今日こそはお前ん家いけるだろう?」
「悪いが、まだまだ無理だ」
「ええーーー、またかよ!?」
朝っぱらから大声を出すのはやめてほしい。周りに迷惑だし、こっちはこっちで恥ずかしい。
「何でよ?」
「家庭内事情が悪化したのさ……」
これはある意味事実だ。まだ白雪さんの内部事情が分からない以上、むやみに客人(特にトモ)を招くわけにはいかない。
それに、白雪さんの行動パターンもまだ掴めていない。何らかの拍子に遭遇してしまえば最悪だ。
「ちぇ、お前の両親が恨めしいぜ……」
「親は何も悪くはないよ」
「だろうけど……」
「今度ファミチキおごるからさ」
「おお、太っ腹!!」
……単純すぎる。
***
ホームルームが終わり、早速身体検査という人生の恒例行事が始まった。流れを説明すると、まず体育館で身長や体重、その他様々なものを測り、最後に応接室で聴力検査をするといった具合だ。
体育館では、生徒たちはみんな「やった!」とか「うーわ最悪!」など言いながらはしゃいでいた。教師たちの注意など全く耳に入っていないようだ。
おもちゃ箱をひっくり返した様子とは、まさにこのことを言うのだろう。
「まったく、子供じゃないんだから……」
そう呆れる一方で、僕は極限に悲観していた。
身長が全然伸びてない……。中二の絶頂期から全く……。
ハァ、僕はこのままチンチクリンへの道を歩む運命なのだろうか……。
「どうしたの?ため息ついたりして」
僕は声のした方にふり向いた。そこには、一人の短髪少年がいた。
「えっと、君は?」
誰だろうこの人は?少なくとも僕の情報媒体には記録されていない顔だ。
「……そっか」
「え?」
「あ、いや、何でもない」
どうしたのだ?何か悪いことでも言ってしまっただろうか?
「僕の名前は小笠原光貴」
「おがさわら……こうき……」
こうき……。何だろう?体の中がふわっと熱くなる。この感じは、そう、相手が気になるような、そんな感じが……。
「君は、梶田裕志くんでしょ?」
「あ……あぁ、うん」
名前をフルネームで呼ばれたのには驚いたが、慌てることはなかった。何せ昨日の件で僕は、良くない意味でクラス中の男子に一目置かれてしまったのだ。知ってて当然だろう。
「次は聴力検査でしょ?一緒に行こうよ」
その誘いに一瞬戸惑ったが、冷静に考えてみると、拒否する理由はない。トモは他の同世代男子と騒いでいて、どの道一人で行くはずだったのだ。
「……うん、いいけど」
「よし!それじゃ行こう!」
小さくガッツポーズするまで喜ぶ理由がわからなかったが、あえて咎めなかった。
***
聴力検査は応接室で行われる。体育館でやらないのは、当然だがやかましいためだ。だが体育館から応接室までは結構距離がある。面倒くさいと思いながらも一歩一歩前進している。
「ねえ、中学はどこだったの?」
そんな最中、小笠原くんが聞いてきた。
「一ノ宮だけど……」
「あー、あそこかぁ……」
一ノ宮中学。そこが僕やトモちゃん、久永さんや優奈の出身中学だ。私立だが偏差値はさほど高くない。なにせ猛烈なバカだったトモまで受かったんだから……。
あの時は自分から受験を志願したとはいえ、勉強が苦痛で何度も投げ出しそうになった。
「楽しかった?」
「うん、まあね」
最終的には後が引けなくなり、年明けになると脳から煙が出そうなほど猛勉強した。そして、唯一受かったのが一ノ宮だった。
四校受験したなかでは偏差値が一番低かったが、後悔はしていない。優奈に、そして何より久永さんに会えたのだから。
「それじゃ、小学校は?」
「小学校?えっと、白川……」
「じゃ、幼稚園は?」
「え?幼稚園?」
この質問はいくらなんでも無いだろう。小学校ならまだしも、そこまで気にするものだろうか?
現代は未だに学歴が重視される社会だけど、どこの幼稚園出たかは問題にはならない。
「聞かせてほしいんだ」
そう頼む小笠原くんから、どこか真摯なものを感じる。まるで、何かの願望を待ち望んでいるかのように…。
そんな小笠原くんを見ていると、答えなくちゃ悪いような気がしてきた。だから僕は、答えることにした。
「……海星幼稚園だけど?」
「……」
小笠原くんが黙って僕を見つめる。それも、真剣な眼差しで……。
「……?」
待ってくれ、そんな目で見られたらどう対応すればいいかわからない。僕は首を傾げてみるが、一向に硬直した空気は変わらない。
……が、それも長くは続かないようだ。
「あ、着いたよ」
丁度、応接室にたどり着いたのだ。
「出席番号は小笠原くんが先だから、お先にどうぞ」
「うん、じゃあ……」
小笠原くんは肩を落とし、がっくりしながら入室していった。その姿を見た僕は、なぜかちょっぴり悲痛な気持ちになった。
***
必要価値が見出だせない終礼があった後、僕はお待ちかねの図書室へと向かった。現在僕の心拍数は一秒に二回の勢いだ。だって、久永さんともっと近くにいることができるのだから。そう思うと、自然と早足になった。鼻歌まで歌ってしまった。我に帰ってすぐやめたけど……。
図書室は旧校舎にあり、そこへは渡り廊下を利用すれば近道なのだが、それを探すのに10分かかってしまった。何せ校舎全体が広すぎるのだ。
一応、校舎の至るところに全体の見取り図はあるけど、そんなものただのへんぴな図形にしか見えない。
まあ、まだ集合時間までに余裕があるから問題無いけどね。
かくして、僕は旧校舎にたどり着いた。
ここまで来たら図書室は目と鼻の先である。
僕は様々な期待を胸に秘めながら、図書室の戸を開けた。




