第27話『人波に押されて』
現在位置はショッピングセンターの9階。目的地である映画館の入口まで来ている。そこでまず一つ言いたいことがあるのでここに記そう。
疲れた……。
まず、最寄り駅から手前の駅で人が大量に入ってきて大変だった。運よく座席に座れたとはいえ、電車内は見回す限り人、人、人で埋め尽くさた。備え付けのクーラーも電気代をケチっているのか弱冷房だった。こんな真夏日にこれじゃあクールダウンできるわけがなく、ちょっとしたサウナ状態になっていた。
ショッピングセンター自体は駅から出てすぐの場所にあるんだけど、中に入ると今日の人混みの理由がすぐわかった。ちょうどこの日はセールをやっていて、この不況の時代ではあり得ないほどの割引、そしてポイントが付いてくるのだ。セールは今日一日限りらしく、そりゃ人も集まるはずだと実感した。
店内は、電車と打って変わってキンキンに冷え渡っていた。体の火照りを取るには充分すぎる程にだ。むしろこの店一体を冷凍室に変えようとばかりに寒すぎる。
「大丈夫、久永さん? 寒くない?」
「私なら大丈夫。梶田くんこそ平気?」
「うん、大丈夫」
……なんて健気なんだ。
寒いのは久永さんも同じだろうに、こうして僕のことを心配してくれている。
こんな時、上着か大きめのタオルがあればかけてあげたかったけど、あいにく今は両方とも持ち合わせていない。タイムマシンがあったら無様に寝てしまっていた自分を速攻で叩き起こしてやりたい。
映画館のある9階までエレベーターで行こうと思ったけど、それは無理だった。常に満員状態で、これ以上入ってこないようにブザーを鳴らして嫌がっている。そもそも久永さんは人混みが苦手らしく、エレベーターに乗るのをためらっていた。だから、なるべく空いている場所を通って進むことにした。
だが店内は思った以上に迷いのダンジョンで、迷子のお知らせコールがたびたび鳴っている。気を付けなければ僕たちも迷える子羊になってしまうだろう。なんでこんな複雑回路にしたのか、この店の設計者の意図を疑ってしまう。
歩き続けること十分、ようやくエスカレーターを見つけた。空腹かつ睡眠不足の自分には正直きつく、スタミナゲージは四割ほど減っていた。でもそれ以上に女の子を長いこと歩かせたことの罪悪感の方が大きかった。まあ、仮に早くここに着いたとしても、あんな赤字まっしぐらなセールをやられたんじゃ、どのみちエレベーターには乗れなかっただろうけどさ。
そんなこんなでようやく映画館に着き、上映時間まで残り3分に差し掛かっていたところで現在に至る。時間に余裕を持たせたスケジュールで本当によかった。そうじゃなかったら今頃どうかっていたか……。
「ふぅ、やっと着いたね」
「でも、時間もあまり無いし、早くチケット買わないと……」
二人で受付の列に並び、席を指定してチケットを頼んだ。
「合計で二千円になります」
スタッフの愛想笑いを横目に、僕は財布から千円札を二枚抜き取り、手渡した。
「あ、じゃあ梶田くん、はいこれ」
横を見ると久永さんがザ・女子を代表するかわいらしい財布から紙幣を一枚僕に差し出している。
「いや、いいよ。僕の方から誘ったんだし、全部払うよ」
「ううん、それじゃ梶田くんに悪いよ……」
久永さんは本当に申し訳なく思っているらしく、目が少し潤んでいた。
やばいとてつもなくかわいい……。
そんな目で見られたら僕は、ボクは、ぼくは……。
「わかった。ありがとう」
受け取っちゃった。
結局割り勘になってしまった。
よかったんだろうか、これで?
この選択は本当に良かったのか?
そのままポップコーンと飲み物買ったけど、これもまたさっきと同じく割り勘だ。最近じゃデートで奢るのはNGなのかな?
「それにしても、どう見ても多いよねそれ……」
「僕もそう思う……。映画終わるまでに全部手を付けられるかな?」
僕が両手で持っている映画のお供たち、これが想像以上にデカい。頼んだのはMサイズのはずなのに、僕が知っているそれと明らかに違う。ポップコーンの箱なんて掃除に使う小さなバケツくらいあるし、飲み物の容器もビールジョッキくらいある。まさかアメリカンサイズを採用してるなんて思いもしなかった。
「重くない? 私も持つの手伝った方がいい?」
「いや、大丈夫。これくらい大したことないよ」
奢ることができなかったんだ、ここはせめて男らしいところを少しでも見せたかった。
「さ、行こう。早くしないと始まっちゃう」
僕は足取りも軽やかに……とまではいかないけど、歩を進めた。
* * *
スタッフクレジットが終わり、館内にオレンジ色の照明がつき始める。やっと終わったんだなー、としみじみと感じる。
「すごく面白かったね、梶田くん」
「うん、本当に……」
正直まだ眠気はあるものの、不思議と体はだるくない。襲いかかる眠気を押して全部見たにも関わらず、だ。
寝ずにいたのも、久永さんと映画の話題をシェアするためだ。映画館デートの醍醐味は、映画から話題を広げて会話を楽しむことだ。ていうか、むしろ今回のデートはそこがメインだ。そうでもなきゃ、寝たいのに寝ない半分拷問みたいなこと自らやるわけがない。
「映像も綺麗だったし、音楽も本当に素晴らしかった。映画で感動するなんて生まれて初めて!」
「たしかにすごかったもんね。僕もずっと鳥肌立ってた」
寝るまいと必死になってる途中でも、ゆったりとしたシーンで意識が飛んだりもした。けど、ダイナミックなシーンではちゃんと目を覚ましたし、とりあえず話の内容はちゃんと理解してある。口コミが良かっただけあって、映画の出来はたしかだった。絵も音楽もストーリーもキャラクターも、かなり良かった。この映画を選んだのは正解だったな。
「それじゃ、一旦外に出ようか」
「うん。ポップコーン全部食べてくれてありがとう」
「いやいや、これくらい軽いよ」
映画のお供たちは既に全部空になっていた。ポップコーンに関しては本当は軽くない量のはずだけど、昼ご飯を抜いて滅茶苦茶お腹が空いてたので、上映中ずっとムシャムシャ食べていた。久永さんの十倍くらいは食べたんじゃないだろうか。
「それから、あのシーン覚えてる?」
久永さんは少し興奮気味で再び映画の話をし始めた。よっぽど面白かったんだろうな。普段じゃお目にかかれないかわいらしい姿に、僕は飾り気のない純粋な笑顔になっていた。
* * *
映画館から出た僕たちは、エスカレーターで下の階に降りた。映画館の他にレストラン街や駐車場しかないこの階にはもう用はないからだ。
下の8階は置物や小物を中心に取り扱うお店がメインで、人はそんなにいない……かと思ったけどそうでもなかった。ここにはさらに本屋やCDショップにゲーセンもあり、かなりにぎわっている。
映画を見終わって一時間以上は経ったのに、未だにセールによる影響は続いているみたいだ。これじゃあ全部の階をまわる前に閉店になってしまう。
「本当に今日はすごい人だかりだね……」
「このまま人波に押しつぶされちゃいそう……」
全く同感だ。はぐれちゃったりでもしたら面倒なことになるだろうし。
僕たちは離れないようにゆっくり歩いていく。…のだが幾多のトラップが僕たちを邪魔をしてくる。床にこぼれた飲み物で危うく転びそうになったし、後ろからベビーカーを押している母親に接触事故も起こしかけた。極めつけはチビッ子たちだ。周囲の状況を考えずに走るからかなりギリギリの間隔まで迫ってくる。この迷いのダンジョン、前だけじゃなくて周囲にも気を付けないと危ない上級者向けだったとは夢にも思わなかった。
と、そんなことを考えていたその時!
「きゃっ!」
僕のちょうど斜め後ろにいた久永さんが後ろにのけぞろうとしていた。いや、何らかの拍子で背中から倒れようとしていた、と言った方が正しいか。
「あっ!」
久永さんが転んでしまう、そう考えるよりも先に体は動いていた。
僕は咄嗟に久永さんに向かって手を伸ばす。そして、何の確証も無くなにかを握りとるように手を動かした。
すると見事命中!
久永さんの手首をつかむことに成功した。僕はそのままゆっくりと久永さんの手を引いた。
「大丈夫、久永さん!?」
「あ……」
呆然としているようだけど、とりあえず無事なようだ。僕はほっと一安心する。
「あ、ありがとう、梶田くん……」
「いや……どういたしまして……」
よかった、久永さんがケガをしなくて……。それにしても、我ながらよくやったと思う。目にも止まらぬ速さってこういうことなんだろうな。事実、僕の目にも自分の手の動きが全然見えなかったし。
「えっと……梶田くん?」
「どうしたの?」
「その……手……」
「え?」
勢いのままに行動して気にしてなかったけど、僕はまだ久永さんの手首を握っていた。
「あ……」
まずい、冷静になってみるとちょっと恥ずかしい。同い年の、それも思春期真っ最中の女の子を触るなんて生まれて初めてだ。
つかんだ手に久永さんの感触を思い出す。とても細くて、しなやかで、思い切り握りしめたら簡単に折れてしまいそうな、そんな感じ……。
それでも僕は手を離さなかった。ていうか、離したくなかった。
「あ、あのさ……」
僕は久永さんを見つめる。
「また転んじゃったらいけないし、その……このまま、手をつないでおかない?」
言い終わると同時に全身が燃え盛るように熱くなった。冷凍庫状態の空間にも関わらず、僕の体は蒸発しちゃいそうだ。
「……」
返事がない。ただのしかば……じゃなかった、いくらなんでもこれは行き過ぎたお願いだったか?
「……そうだね。手……つなごう」
「え?」
思わず声をもらしてしまった。
「いいの、久永さん?」
「うん……」
僕は手首に込めた力を緩め、久永さんと手のひら同士を合わせた。そしてそのまま、僕と久永さんの手は……つながった。
「……」
「……」
久永さんの手、温かくて柔らかい。
僕は久永さんを直視できずにいた。




