第24話『純粋な気持ち』
二人で担当した夢のような受付タイムも、ついに終わりの時を迎えてしまった。窓から差し込む光は、切ないほど赤みがかっている。
「梶田くん、お疲れ様!」
「うん、お疲れ様!」
この「お疲れ様」のやり取り……。何とも言えない感覚が僕を陶酔させ、心地好い。
「すっかり日も暮れてきたね」
「うん……」
夏を迎えて太陽も照りつける時間が長くなった。こうして夕暮れをじっくり見るのもずいぶん久しぶりな気がする。いいものだな……。
「それじゃ、暗くなる前に帰りましょう」
久永さんは鞄を肩にかけ、出入口へと向かった。だが僕はというと、そのまま動くことができなかった。理由はただ一つだけだ。
以前は、優奈の協力を得ながら言えず終いになってしまった。それまでにも言う機会があったにも関わらず、言い出せずにどんどん先延ばしにしていた。水島くんに先を越される前に、いい加減言わなければならない。今この図書室には、僕ら二人しかいない。絶好のチャンスだ。やるなら今しかないんだ!
「どうしたの、梶田くん?」
僕がずっと固まってるのを見て不審に思ったのだろう、久永さんはいつの間にか目の前にいた。その不安げな顔を見てハッと我に返り、そしてドキドキした。
まったく、女の子に心配かけさせちゃうなんて、僕は罪な男だ。
「……」
「?」
この場に邪魔者は一人もいない。完璧なシチュエーションだ。だから、今度こそ成功させる。絶対に、久永さんをデートに誘ってみせる。
僕は意を決した。
「久永さん……」
「何?」
「あのさ、その……。来週の日曜日、何か予定ある?」
「ううん、特にないけど」
「本当?」
ここでちゃんと言うんだ。今度こそ、絶対お誘いを成功させるんだ!
こんな僕にだって勇気があるってことを今こそ証明してみせる!
「じゃあ、よかったら……その……あの、えっと……」
遊びに行こうと言うだけなんだ。なのに、どうしてこの期に及んで、言葉が喉の奥でつっかえてしまうんだろう?
胸が張り裂けそうになり、つい俯いてしまう。
「どうしたの?」
久永さんは少し微笑みながら尋ねてきた。そんな様子でいられたら、ますます照れてしまう。
「だから、あの……」
家で何度も練習したのに……。噛まないように丹念に反復したのに、なぜか言い出せない。
どうしてなんだろう?
駄目だ、緊張する……。
そして、なぜか失笑してしまった。グルグル回る何かが頭の中を押し寄せてくる。
「梶田くん、大丈夫?」
正直に言うと全然大丈夫じゃない。今にも押し潰さそうな気持ちだ。
「直接言えないことだったら、後でメールで伝えてもいいよ?」
久永さんが助言してくれた。確かにその方が緊張が軽減されると思う。
だけど──
「いや、今伝えるよ……」
ここで直接伝えるんだ。こういうものはちゃんと自分の意志を見てもらうんだ。久永さんに、僕の純粋な気持ちを表示するんだ。
僕は顔を引き締めた。
「えっと……」
「……」
簡単なことなんだ。伝える言葉はすごく単純なはずなんだ。なぜ緊張してしまうんだろう……。右手で左胸を押さえてみる。勢いよく、とても早いテンポの振動を感じる。
「その……」
そして僕は右手を胸から離し、久永さんの顔を直視した。
「その、……来週の日曜日、もしよかったら、どっか遊びに行きませんか?」
ついに言ってしまった。ああ、言ってしまった。
これで恥をかいてしまっても、もう後戻りできない。だけど、思えばお誘いという行為こそダメ元のアクションなんだ。そうさ、うん。そう考えれば苦ではない。もうこの際卑屈になってもいいや。
窓辺の影の、黒の色が濃くなった。そして夕陽は、煌めきを増しながら明るく照りつけた。
「うん、いいよ」
久永さんは言った。今まで見たなかでも、最高の笑顔で……。
「あ……」
僕は嬉しさのあまり、顔がほころんだ。
これはつまり、お誘いは成功したってことだよね。うん、お誘いは成功だ!
やった! やったぞ! 僕はついにやったんだ! 人生15年生きて、初めて女の子を遊びに誘えた! これほど嬉しいことは無い。やっと言えたんだ。成功したんだ!
「それで、どこに行くの?」
心の中で舞い上がったのも束の間だった。そういえば、まだ明確にどこに行くのかは決めていなかった。遊びに行こうという旨を伝えることだけしか考えてなかった……。
「あ……それは、えっと……。それについては、また後で言うよ。うん」
まあ何にせよ、今日行くわけではないのだ。時間はまだあるから、家に帰ってからじっくり考えよう。
「うん、わかった」
日の光が、僕たち二人を包み込むように窓から差し延べた。
「あ、待たせちゃってごめんね。それじゃあ帰ろう、久永さん!」
「うん!」
僕は今幸せ者だ! それ以外良い表現が思いつかない。だって、こんな僕でもついに青春の道を一歩進むことができたんだ!
それだけで、僕は最高の気分だった。
* * *
久永さんと一緒に帰り道を歩いている最中、僕は自然と笑顔になっていた。周りの人はみんな、急に笑いだす僕を見て気持ち悪がるかもしれない。けどそんなこと今はどうだっていい。人生で初めて女の子をデートに誘うことができたんだ。これほど嬉しいものなんてそうあるものじゃない。
「梶田くん……」
「ん、どうしたの?」
今まで見せたことないほどハイテンションに返事してしまった。しかも笑顔で……。
ちょっと自重しよう。
「来週どこに行くのか決まってないんだったら、今からでも少し決めておかない?」
「あ、それもそうだね。そうしよっか!」
普段は冷静なことを自負している僕が、やっぱり今日ばかりはテンションが高くなってしまう。久永さんに変に思われてないか心配だ……。
「私は梶田くんの行きたいところならどこでもいいよ」
「うーん……そうだなー」
女の子と一緒に遊びに行ける場所……か。やっぱり定番といえば映画館だな。でもいくらなんでもベタすぎるかな?
他には、水族館、遊園地、ショッピング……。でも新しいゲーム買ったばかりだからあまりお金は使えないんだよなー。遊園地みたいなアミューズメント施設は無理かもしれない。
──となると
「映画館はどう?」
「映画?」
「そう。どこかショッピングモールの映画館がいいかな。映画を見終わったら、お買い物も楽しめるし。どう?」
「うーん……」
久永さんはしばらく考え込んだ。これはちょっと選択ミスだったかな?
やっぱり王道中の王道は抵抗があるのかな?
「そうだね。そうしよう!」
長い髪を風にたなびかせながら久永さんは言った。
「よし、じゃあ場所は決まりってことで!」
「うん!」
よかった。ここで却下されちゃったらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていたけど、要らぬ心配だったみたいだな。
「あ、もう駅まで着いちゃう」
久永さんの言葉で僕は気付いた。とうとうここまで来てしまった。ここからはそれぞれ別々の道を進まなきゃいけない。テスト期間では久永さんと一緒に帰るどころか、話しかけすらしなかった。だからかなり名残惜しい。
他人から見れば何てことのない会話だろうけど、僕にとってこれは素晴らしく輝かしいものだ。久永さんと一つのことを考え、一緒に笑いあう。これがどれほど幸せなものなのか、理解することは誰にもできまい。
「それじゃあ、何の映画にするか僕が調べておくよ」
「うん、わかった」
今週はテストの日以外は休日で、 しかも図書部(図書委員は文芸部を兼任しているからまとめてこう呼ばれている)の活動もない。しばらく会えないのは寂しいけど、また必ず会えるから文句は言っていられない。
「それじゃ日曜日、楽しみにしているね!」
「うん!」
「それじゃあまたね、梶田くん!」
「じゃあね!」
僕は手を振った。久永さんもまた手を振り返している。僕たちは互いの姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
* * *
さーてと、どんな映画を見ようかなー。やっぱ最近有名な新作ディズニー映画にしようかな。でもあのアクションものも捨てがたいな。そもそも久永さんがどんな映画が好きなのか聞いておくべきだったなー。何にせよ最近どんな映画が上映されているのか調べておかなくちゃ。
「裕志さん?」
聞き慣れたかわいらしい声に呼ばれて、僕はハッと気が付いた。僕は今、白雪さんと彰の三人で夕食を摂っていたところだ。すでに食べ終えた二人に対して、僕はまだ三分の一程度しか手をつけてなかった。
「何か考え事ですか?」
「いえ、別に……」
僕はまだ半分以上残っている料理を食べ進めた。
「ところで裕志さん、来週の日曜日に何か予定がありますか?」
来週の日曜日……。その日は久永さんと初デートの日だ。
「はい、ありますけど?」
「実はその日、大輔さんと一緒に外出するんです。出かけるときには戸締まりに気を付けてからお願いしますね」
「あ、はい、了解です」
ちなみにどこに行くんだろう?
そう思って尋ねようとしてみたけど、彰の乱入によってさえぎられた。
「……ってことは、日曜日は家に誰もいない状態になるってこと?」
「えっと……そう、ですね」
白雪さんは戸惑ったように言った。
「何か問題でもあるの、彰?」
「いや、別に。ただ、そうなるんだなーって思って口にしただけ」
素っ気ない態度を取り、彰はそのまま二階へ行ってしまった。
「どうしたんでしょうか、彰くん?」
「さあ……」
この時僕は思いもしなかった。あれほど楽しみにしていた日曜日が、一瞬にして悲劇の日曜日になることを……。みたいな?
そこまで大袈裟なことは起こらないか。まあ何にせよ、日曜日には一波乱ありそうな予感がする。




