第19話『雨の下で』
天気予報ではたしか雨のち曇りと言っていたけど、どうやら本当だったようだ。今は雨粒たちがまったく空から降ってこなくなった。未だに空は雲で覆われているものの、雨の匂いも薄まっている。傘を忘れないようにしないとな、と普段ならそれだけ心配すればいい。でも今日はそれだけじゃない。ついに迎えてしまったんだ。放課後を……。
緊張していないと言えば嘘になる。でも二週間という長さはそれに慣れるには充分だ。だから校舎裏へ向かう道中、そんなに不安になることはなかった。むしろ必ず成功させようというやる気の方が勝っていた。
校舎裏はその名の通り校舎の裏にあるので、迷うことなくたどり着いた。校舎裏には裏口があるけど、何らかの事情で今は封鎖されている。つまり、普通ならまず立ち寄ることのない穴場スポットとなっている。
まだ久永さんは来ていないようだったので、僕は壁にもたれかかりながら本を読むことにした。今読んでる本は、趣向を変えて現代の小説だ。現代作家の書く本を読んでいると、昔のものよりも親近感が湧くから不思議だ。片桐さんは気に入らないって言うだろうけど、そんなこと僕は気にしない。あの人が妙な偏見を持っているだけだ。
数ページ進めたあたりで、誰か人がやってきた。僕はしおりを本の中にはさむ。見てみると僕の予想通り、白い半袖のセーラー服に身を包んだ大和撫子だった(言い忘れていたけど今はもう夏服期間に入っていて、僕も半袖のカッターシャツを上に着ている)。
「梶田くん……」
「久永さん……」
まずい。緊張が今さらぶり返して、急に不安になってきてしまった。水島くんのこともあって、その気持ちは倍増してきている。
「あ、梶田くん新しい本読んでるの?」
「え?」
どうやら左手に持っていた本に気づいたようだ。
「ああ、まあね。ちょっと趣向を変えて現代の小説なんだけど」
「へえー。面白い?」
「うん。片桐さんなら気に入らないと思うけどね」
「片桐さん……それって誰?」
「え、ほら、図書委員の……」
「梶田くん、それは片山さんだよ」
「……?」
あ、そうだった、思い出した。たしかにあの人は『片桐』じゃなくて『片山』だった。今までこんなミスをしていた自分が恥ずかしい。
「あ、そういえば、そうだったね。あはは……」
「うふふ……」
僕と久永さんは互いに笑い合った。恥じらいはあったものの、別に嫌な気分にはならなかった。むしろ久永さんの笑顔も見ることができて嬉しい。心のどこかでつっかえていたものも無くなった気がする。
「ところで久永さん、時間の方は大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「そっか。わかった」
どうやら急ぎの用は無いみたいだ。これなら時間を気にしなくても済みそうだ。
「ふぅ……」
言おう。今度こそちゃんと誘おう。たとえ失敗しても、全て終わるわけじゃないんだ。よし……。
「あのさ、久永さん」
「何?」
「今日呼んだのは、ちょっと久永さんに言いたいことがあって……」
「うん……」
空気の流れが少し変わった気がした。それも、なぜか体感的に感じる。でも僕は気にせず続けた。
「えっと……もしよかったら、その……」
「……」
なぜだろう、口が動くだけで言いたいことが言い出せない。この期に及んで何を緊張しているんだ、僕は?
「どうしたの?」
「いや、なんていうか……」
もう気に病むようなことなんて無いんだ。これからのことは言った後で決めていけばいいんだ。早くデートに誘うんだ。あんまり待たせちゃいけない。
「久永さん……」
意を決して伝えようとしたその時だった。鼻先に水滴がピタリとついた。
「え?」
それからまもなく大粒の水玉が空から降ってきた。それは一粒ではなく、二つ、三つ、そして数えきれないほどの量になってきた。
「あ、雨……」
久永さんも気付いており、少し慌てていた。僕は少し落ち着いて久永さんに呼びかけた。
「と、とりあえず屋根があるところに行こう」
「うん」
雨宿りできる場所が校舎裏にはない。となると、雨宿りするためには必然的に校舎の中に向かうこととなる。でもこの際やむおえない。ひとまず雨に濡れないようにするのが先だ。
* * *
「急に降ってきたからびっくりしたね」
「そうだね……」
今僕たちは下駄箱のところまで来ていた。急な大雨で運動部たちも校舎内に避難してきているため、出入りが多くなっていた。
「久永さん、大丈夫だった?」
「うん。梶田くんこそ平気?」
「何とかね……」
まさか再び雨が降るなんて予想外だった。しかも朝の時より勢いが激しい。傘をさしても体のほとんどが濡れてしまうのは確実だ。やっぱり天気予報なんて鵜呑みにしちゃいけない。
「どれくらいでやむかな……」
「うーん……これくらいだと結構かかりそうだね」
事実、校舎周りにある排水溝では水が入りきらずに渦巻いている。こうなると完全にやむまで時間がかかるのは目に見えてる。
「……」
「……」
久永さんはふと携帯電話を取り出した。メールかな?
ちなみにこの学校では、授業中に使わないことが条件で、携帯電話の持ち込みが可能となっている。一応僕も持っているけど、入学してから二ヶ月間、校舎内では一度も使ったことはない。
それにしても……
「久永さんの携帯、かわいらしいね」
色はパステルピンクで小さめの形のそれは、一見地味に見えるものかもしれない。でも、デコレーションしすぎのものよりも、シンプルな方が僕は好きだ。何より久永さんらしい。
「そんなことないよ……」
否定はしているけど、顔は少し赤い。
「少なくとも僕のよりずっと良いよ」
僕のもポケットから取り出した。真っ白で何の特徴もない携帯電話だ。というのもこれ、デザインより機能性を重視したもので、しかも父さんに勝手に選ばれたものなのだ。僕は僕でほしいものがあったのに……。
「私はそういうの良いと思うよ」
「本当に?」
「うん。そういう飾らない感じ、私は結構すきだよ」
そう言われちゃうと、こんな携帯でも良かったかもしれないと思えてきた。初めて自分の携帯に愛着が持てた気がする。
すると僕は、突然あることをひらめいた。
「そうだ、メアド交換しない?」
と、ここまで言って僕は我に帰って焦った。
どうしよう、何も考えずに言っちゃった……。こんなこといきなり聞き出しちゃって、失礼じゃなかったかな?
あーあ、もしこれで変に思われちゃったら終わりだ。本当に僕って奴は……。
「うん、そうしよう」
え?
「いいの?」
「うん」
「……」
よかった。本当によかった。
僕の携帯には、父さんや彰、トモや優奈にコッキーのメアドがあるだけだ。家族内ならともかく、他の三人は向こうから交換を持ちかけてきた。だから自分から聞き出すなんて初めてだった。
どうやら心配しすぎてたようだ。なんだ、メアド聞き出すなんて簡単なことだったんだな。うんうん、よかった。




