第1話『新しい午前』
「裕志さん、もう朝ですよ。起きてください」
なんだか、二次元の美少女のようなかわいい声が聞こえる。アニメ声…とは少し違うけど、聞いていて不快なものではない。澄んでいて、なんだか抱きしめたくなるような、そんな声だ。
でも僕は知っている。その声の主は、二次元ではなく三次元の美少女だということを……。
「……うーん」
まだ眠気が勝る朝だ。
頭がボンヤリするし、目も少しショボついている。おそらくひどい顔になっていると思う。
「あの、裕志さーん、起きてくださーい」
また先ほど聞いた声がした。一度聴いたら頭から離れない、現実離れしたキュートボイスだ。いわば天使の声といった表現が適切だろう。
眠気が体全身にまとわりつかせながら、僕はゆっくり横を向いた。
「あ、白雪さん……」
僕は力無く呟いた。
今僕の眼前に映し出されている景色について説明しよう。そこには一人の小柄な少女が立っている。雪のように白くてすべすべの肌。つややかでクセのないサラサラした黒髪。少女漫画みたいな黒目がちでキラキラした大きい目。筋の通った小さい鼻に、かわいらしい小さな口。青を基調とした白ウサギのワッペンが刺繍してあるかわいらしいエプロンを身につけている。身長は小柄だが落ち着いた雰囲気が少し垣間見れる。
そんな美少女が僕の目の前にいる。もちろんこれは幻なんかじゃない。
「えっと……ちゃんとお母さんと呼んでくださいね。大輔さんからもそう言われたと思いますけど……」
「ああ、そうでしたね」
大輔というのは僕の父さんの名前だ。なぜ彼女がそれを知っているのか。それは、彼女が新しい家族の一員だからだ。
「あと、敬語もです」
「だって白雪さ……お母さんも敬語だったから、つい……。そもそも僕ら、昨日初対面したばかりなんで……なんだから」
「そうですよね……」
沈黙……。某野球マンガで描写されているような沈黙だ。
「あっ、それより僕着替えますね。起こしてくれてありがとうございます」
沈黙を破るため、僕の方から切り出した。
「じゃあ、台所で待ってますね」
結局お互いに敬語を使い、少女は去っていった。
もうそろそろ彼女の正体を明かしてもいいだろう。ていうか、前置きの部分で大体は察していると思うけどね。
彼女は僕の新しい母親。継母である。
名は白雪という。
僕の名前は梶田裕志。今日から高校一年生。遠江田大学付属高校という私立校の生徒である。
制服は学ランだ。ブレザー着て通学していた中学時代に、少しばかり憧れていたスタイルではあったが、実際着てみるとこれが思った以上に動きにくい。ブレザーの方がまだスムーズに動けたかな。
得意科目は数学と英語、苦手科目は国語だ。だが理科もあまり得意ではないため、理系とも文系とも言い難い。
好きな食べ物はリゾット、嫌いな食べ物はトマトだ。ケチャップは大丈夫なんだけどね。
さて、自己紹介はこんなところにして早く話を進めよう。
着替え終えた僕は一直線に食卓へ向かった。ちょうど白雪さんが朝ごはんを作り終えたようで、テーブルにそれらを並べていた。
「どうぞ、召し上がってください」
入った瞬間僕は目を丸くした。テーブルの上には香ばしいベーコンエッグに野菜サラダ、しかも食パンは綺麗な焼き目をしている。まるでホテルのルームサービスのようだ。
「これ、全部白雪さんが?」
「はい。お口に合うかどうかわかりませんが……」
合わなくても完食しないと絶対申し訳ない。いや、合わないわけがない。僕も普段から料理はしていたが、こんなにも映える料理、僕には真似できない。それに母親の料理を、ましてや可愛い女の子が作ったものを残すなんて言語道断だ。
「いただきます!」
まずはベーコンエッグを一口……。美味しい。自分で作った経験はあるけど、それよりも断然おいしい。サラダも僕好みのイタリアンドレッシングがかかっていて、難無く食べることができた。
「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです!」
「本当ですか?良かったです」
今まで朝ごはんは惣菜パンで済ませていたから、これほどの量を朝に食べたのは修学旅行以来だ。だけど白雪さんの料理は星五つ付けたくなるほど絶品で、休むことなく手が進んだ。
「白雪さんって、いつから料理教わったんですか?」
「実は私、孤児院にいたときに毎日お手伝いさんの支度を手伝っていたんです」
「あっ……そうだったんですか」
やばい、話を切り替えなければ…。
「ところで、彰あきらはどこにいるんですか?」
彰とは僕の弟のことだ。普段から早起きだから既に学校に行ってるだろうけど、話をそらすために咄嗟に聞いてみた。
「もう学校に行きましたよ」
「あぁ、そうでしたか」
「はい。『新たな情報を入手してくる!』って言ってました」
なるほど、アイツらしいな。
彰についても説明しておきたいけど、話が長くなるからまた今度にしておこう。
僕は白雪さんが用意したのであろうコーヒーをゆっくり飲んだ。
「白雪さんの髪って、クセが全然ないですよね。羨ましいです」
「いいえ、そんな羨ましいようなものではないですよ」
またまた謙遜しちゃって。白雪さんみたいなどこから見ても完全なサラサラの髪は、女子の模範である。
「自分なんか、クセで前髪が勝手に別れちゃうんですよ。ほら……」
僕は自分から見て左側の前髪をまっすぐにしてみた。しかし指を離すとまた左側へ流れてしまう。僕の最大のコンプレックスであり、濡らして注意して乾かしてもなぜか直らない。
「でも裕志さんの髪型、私はすごく好きですよ」
「そうですか?」
「ええ。凛々しい感じがして良いと思います。学ランとも似合ってます」
「ハハ……ありがとうございます」
親子の会話というより、同世代の異性とのトークみたいな感じで、ちょっとおかしな気分だ。
「ところで裕志さん、昨日言ってた八時まで後五分ですけど、時間は大丈夫ですか?」
僕はそういわれて時計を見た。
そして驚愕した。
「ヤバイ! 急がなくちゃ!」
父親の言い付けで僕ら兄弟は、必ず八時には学校に行かなければならない。とにかく急がなくては……。
大急ぎで台所を出た僕は、二分で身支度を済ませ、カバンを持って玄関へと行く。
「いってきまーす!」
白雪さんに聞こえるよう、なるべく大きな声で言った。
「いってらっしゃい」
かすかにそう聞こえた。
桜の木が立ち並ぶ道を、僕は今自転車で走っている。どうして桜ってこんなにも綺麗なんだろう。
「はぁ……」
風に吹かれてちらほらなびく姿が何ともはかなくて切ない。
桜はそんな思惑を知っているかのように、さらに美しく舞っていた。…と感慨にふけっていたのも束の間。後ろから殺気にも似たような気配がする。
「ヒロちゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!」
天然パーマの少年が、猛スピードで自転車をこぎながらそう叫んだ。まったくあのバカ、朝っぱらから大声を出さないでくれ……。
「ヒロちゃん、おっはよ!」
「おはよう、トモ。相変わらずテンション高すぎ……」
「おうよ、ハイテンションに越したことはねぇからな!」
必要以上に大きな声で話しかけてくるこの男は山口智弘。小学生の時からかれこれ十年近くの付き合いになる。
もずくを盛ったような天然パーマ、糸のように細い目に団子っ鼻。基本的にハイなテンション……。変化というものがまったくうかがえない。変わったと言えば声の高さくらいしか思いつかない。
「それよりよーヒロちゃん。学校終わったらお前ん家行っていいか?」
「え……?」
「今日なんもすることねえからよ、遊ぼうぜ」
おそらく僕は隠し事がバレそうな時にする独特の焦り顔をしただろう。そして事実僕は、白雪さんという立派な隠し事をしている。
「どした、都合悪ぃか?」
「い、いや、別に?」
「じゃあ決まりだな!」
「あああっ、いや、ちょっと……」
「どうしたんだよお前、なんか焦ってねえか?」
これが焦らずにはいられるわけがない。我が家には新しい母親がいるんだぞ?
美少女コンテストでも優勝できそうな女の子が、彼女いる歴ゼロ年の少年の家にいたら、変な誤解を生んでしまうのは確実だ。ことに極度に思い込みの激しいコイツに知られたら一貫の終わりだ。
「もしもーし、ヒロちゃーん?」
「な……何?」
「どうなんだよ?」
「え?」
「お前ん家」
「あっ、ああ、悪い。今日はちょっと無理!」
「ええー、なんでだよ?」
「あの、何て言うか、その……。家庭内事情ってやつだ、うん」
「何だよ、つれねえなぁ……」
こんな口の軽すぎるやつにだけは絶対に白雪さんを見せられない。見つかったらすぐクラスの噂になるのは目に見える。それだけは絶対に避けたい。白雪さんと自分のためにも。
学校に着いた僕らは、外に貼り出されたクラス表を見ようとした。が、掲示板の前には人が大混雑しており、もはや遠くからではよく見えない。なので僕たちは仕方なくガヤガヤと騒がしい人だかりの中に分け入ることにした。
「ちょーっとごめんよー」
トモはブツブツ言いながら生徒たちをやや強引に押しのけて進み、僕はそれに付いていった。
ここでこの学校のクラスについて説明しよう。クラスは選抜、普通科、特進科の三つに分かれていて、全部で八クラス存在する。僕とトモが受かったのは特進科だから、六組から八組のどれかである。実はアホそうに見えるトモだが、なぜか成績は結構良い。人は見かけによらない。
しばらくしてようやくクラス表が見えるところまで来た。
「ヒロちゃん! 俺ら7組だぜ!」
「え、俺らって……」
「おう、また一緒のクラスだぜ!」
マジかよ……。なんでいつもコイツと同じクラスなんだ、十年間も。春の矢先に早速悪運がふりかかったようだ。
「それにほら、お前のだーい好きな久永さんだっているぜ」
えっ、久永さんと同じクラス?
「トモ、それ本当?」
「ああ、見てみろよ」
クラス表の七組を確認……。
本当にあった……。信じられない。
前言撤回。春の矢先に早速『幸運』がふりかかってきたようだ。あの久永さんと一緒のクラス……。
「よかったな、ヒロちゃん」
「うん……」
久永さんとは、僕が今恋している女子だ。中学で初めて会って以来、僕は彼女に完全に一目惚れをしたのだ。実はこの高校を選んだのも、久永さんが行くというたったそれだけの理由である。だから一緒のクラスになったことは何よりも幸福な知らせだ。
嬉しさのあまり思わず顔がほころんでしまう。夢なら醒めないでほしい。
と、その時──
「なーにニヤケてんのよ!」
という声が聞こえた次の瞬間、左肩に「ドスッ!!」と超越的な衝撃が発生した。
「うおっ!」
予期せぬ衝撃に、思わず自分のものかわからない声を上げてしまった。
「一体どんな嬉しいニュース?」
「ゆ、優奈……」
彼女は僕と同じ中学出身で、数少ない僕の女友達『工藤優奈』である。
男女の分け隔てなく接する活発な性格は、この高校でも発揮するつもりだろう。
「よう優奈、馬鹿力は相変わらずだな!」
トモの手が優奈の肩に乗った。
「どうもありがとう…ね!」
目にも止まらぬ速さで優奈はトモの腕をねじりあげる。
「あいててててててててててててててててててて!」
「んっふっふ~。衰えてないでしょ?」
出た、おなじみの潜在能力。
優奈は護身術が得意で、僕もよく良いものを喰らっていた。しかも大して特訓もしてないのに習得したというのだから恐れ入る。
「ちょ、優奈、ギブ……」
苦しみながらトモは言うが、優奈は一向に解放しようとしない。
仕方ない、助けてやるか。
「優奈、よく周り見て」
「ん?」
体勢をホールドしたまま優奈は周囲を見渡した。生徒たちは、優奈を中心に半径一メートルほど離れていた。
「……」
優奈は急に顔を赤らめ、トモを解放して自分の頬に手を当てた。
「あ、あら嫌だわ、ワタクシったら何てはしたないことを……」
「今さらキャラ作っても無駄だと思うけど……」
「うぅ……」
すっかり優奈は閉口してしまった。
やはり周囲をかえりみずに行動する悪い癖は、中学の時から変わっていない。高校生である内に直るといいんだけど。
「そうそう、優奈も俺らと同じ7組だぞ」
腕を痛そうにさすりながらトモが言った。
「またあんたと一緒?」
さっきまで気まずい思いをしたにも関わらず、優奈は何事もなかったかのように大声を出した。
「そこまで引くこたぁねえだろ!?」
「だってさぁー……」
優奈の気持ちもわからなくはない。僕だってそろそろトモのテンションにはうんざりしているところだ。
「まあそれだけじゃねえんだぜ。実はな、ヒロちゃんがようやく愛しの久永さんと同じクラスになったんだ!」
「えっ、それホント?」
優奈はまっしぐらに七組の一覧を確認した。
そして──
「あっ、ホントだ! やったじゃんカジぴー!」
ウェーブがかかったミディアムヘアを揺らしながら、無邪気にピョンピョン飛び跳ねた。
「ちょっとちょっとカジぴー!」
僕の背中を優奈はバシバシ叩く。顔には出さないけど、結構痛いよコレは……。
「あんたここまで来たら絶対あずみんに告りなさいよ! 今年中に!」
「えっ、今年中!?」
僕は思わず目を見張る。
「そりゃそーよ。来年になったらクラス変わるかもしれないじゃない」
「いや、だからってチャンスが無くなるわけじゃ……」
「もし来年クラスが別になったら、他の人に取られる可能性だって高くなるのよ?」
「そ……そうだろうけど……」
だけど、やっぱり怖いというか……、何というか……。
「大丈夫よ! 優奈がちゃーんと協力してあげるから!」
優奈が握りこぶしから親指をつき出した。
「俺もだぜ、ヒロちゃん!」
トモが両手でピースサインした。
「いや、あんたは要らんことしそうだからダメ」
「んなことしねぇよ!」
そんな二人の会話に、僕はただ控えめに笑った。
本当に大丈夫なんだろうか……。
確かに僕は久永さんを思い続けている。でも、僕のように何の取り柄もないような人と付き合ってくれるのだろうか?
熱を帯びて火照る心の中のモヤは、より一層熱くなった。




