中世の都市
【市】
現在日本でもバザールが立つことがありますが、中世ヨーロッパでも市が立つことがままありました。
現代ヨーロッパの今になっても、日本とは比較にならないほど市が立っています。
現代の市と違うところは、行商人が町から町へと移動して、商品を並べる所です。
普段では手に入らない異国の一品や、専門商ゆえの希少な一品を手に入れることのできるチャンスでもありました。
そのような市なので、日曜市などと違い、一定期間続くことが普通です。大市とも呼ばれます。
大市にやってきた行商人は、基本的にどこにでも泊まれるのですが、やはり常に歩き渡るため、人寂しいのでしょうか、同郷の者同士で寄り集まることが多かったそうです。
市に出されるのは、テントや露店がイメージにあるでしょうが、これは小物関係を扱う人だけです。
扱う量の多い毛皮や香辛料、布地といった大口商品は、領主側が建物を貸すことが多かったようですね。【取引所】という奴です。
市が立つエリアは決まっていました。参加料を徴収するためです。
市が立つ前に、街の清掃は強化されました。
商品が並ぶため、余所の町からも人が流入し、袖が擦り切れるほどの混雑を見せたそうです。消費は増え、宿や酒場は潤ったでしょうね。
行商人たちは商品を売り切ると、その町の自分が専門に扱う特産品を仕入れ、また長い行商の旅に出ます。
【水車】
粉挽きをはじめ、皮なめしや毛織物の縮絨といった作業には、水車が使われました。
このような機械を置けるのは当然資本力のあるところに限られるので、領主や修道院、司教、施療院などに限られます。
水車は川に直接設けられることもありましたが、多くは水路に堰を作り、そこに建てられました。
とはいえ、水車の利用はすべてとは言えず、人力や畜力の装置も多々ありました。というのも、日本と違ってヨーロッパでは水量の豊富な川というのは(有名な川以外では)結構少なく、冬は凍りつく、夏は干上がる可能性も非常に高かったので、安定して使えるとは限らなかったからなんです。
水車の扱いとしてもう一つ考えておかないといけないのが、動力としてだけではなく、揚水車としての使いみちです。
現代日本のように水道の蛇口をひねれば水が出てくるような生活ではないのです。飲料水は清潔な井戸水を使うとしても掃除や洗濯、仕事に使われる水は揚水車によって賄われました。