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5. 実家

 急に家に帰りたくなった。私には二才離れた妹がいる。奈良で教員をしている。私は土日は帰るという約束でアパートを借りたが、いつの間にかなんのかのと理由をつけて帰らなくなった。姉にひとり暮らしを許せば、妹を許さないわけにはいかない。

 結婚して家を出るように母は希望したが、その気がなさそうな娘達に母は諦めた。

『今週の金曜日家に帰る。お主も帰らぬか』とメールを送った。

『相変わらず暇そうやね。帰ってもええよ』

 随分経ってから返事が来た。

 難波から特急に乗った。五百円プラスだ。たまに帰るからいいだろう。ホームはサラリーマンで溢れていた。すし詰めの電車に乗る気がしない。父は定年までこの距離を三十七年間通った。往復三時間の通勤時間。私が通う会社よりも遠い。尊敬する。携帯電話で計算してみた。私が経済的に不自由なく大人になれたのは、二万六千六百四十時間の通勤時間、つまり三年近く車内にいた父のおかげだ。定年後は持病の糖尿病に取り組み、インシュリンを打ちながらも、正常値を維持している。そのうち高血圧になり、三種類のクスリを飲んでいる。血糖測定器と血圧計が友達になった。現役中は、苛ちだったけれど、この頃は随分穏やかになった。

「昼ご飯はわしが作ってんねん」と、帰る度に言う。

「メニューも増えたで。焼きそば、お好み焼き、焼きめし、ラーメン、うどん、冷やしうどん、ソーメン、そば、おにぎり、オムライス、親子どんぶり、スパゲティー、サンドイッチ、チキンバーガー、これは()うてくるんやけど」

 塩分を控えている。甘いものは全く口にしなくなった。ごはんの重さを量り、きっちりと炭水化物の量を計算してやっているから立派だ。

 母は元気だ。一年に一、二度海外旅行に飛び回っている。父は閉所恐怖症で、飛行機嫌い。だから、ついて行かない。

 いいことばかりではなかった家が無性に懐かしい。Kさんの死を話せるのは家しかなかった。私はそれほど強くない。

 ドアホンを押す前に母が出てくる気配がした。

「ただいま」

「お帰り」

 居間に入ると、妹はもう来ていた。

「お姉ちゃんお帰り」

 父は、新聞から目を離し、「おう」とだけ言った。ご馳走が準備されていた。


 団らんの中でKさんの話をした。

「考えたこともないし。人生が楽しいちゅうタイプや思てたのに」

「自殺サイトか」と父。

「分からへんね、若いのに」と母。

「いい人やったんよ」と私。

「変なもんがはやるなあ、小学校でも問題になってるし」

 妹がリンゴを囓りながら言った。

「贅沢やな」

 父がぽつりと言った。父の言葉は食卓の上で行き場を失い、静止した。父にも自殺を考えたことがあったのかなあと思った。父がいなければ、私もいない。少なくとも、今の私はいない。


 Kさんの話はそれで終わった。話せば、心が少し軽くなった。


「正社員にはなれへんのか」

 いつものように父が言った。

「今のままやったら、絶対になれへん。そんな人おらへんもん」

「そうか」と言って、父は糖質ゼロのビールを飲んだ。

 ミミが膝にのぼってきた。ミミの背中をなでながら、ーここにはまだ私の居場所があるーと思った。

 妹は風呂に入り、私は母と並んで食器を洗った。


 久しぶりに二階で、妹と枕を並べた。この場所でいろんな事があった。諍いも、嫉みも。取っ組み合いも。世界中で妹が一番嫌いだと思ったことも。

「ええ人はいてへんの」

「いてへん」

「姉ちゃんに気い遣わんと、さっさと行ったらええさかい」

「残念ながらいてへん。教師はださいわ。ええ男は売れてるし」

「ほんまやなあ。せやけど、うちは結婚願望はないし」

「うちはある。そのKさんちゅう人は」

「そんな人とちゃう」

 簡単に言った。

「うちが死んだらどうする」

 私は突然言った。

「そんなこと考えたことないわ」

 妹はそう言って寝返りを打った。私は電気スタンドの明かりを消した。


 次の日、朝食後、

「久しぶりに文殊さんへ行こか」

 と、私が妹を誘った。

「ええなあ。何年ぶりやろ」

「ほん近くやのにね」

「それだけ、あんたらが家に帰ってこうへんちゅうことや」

 台所から、母が言った。

「お母さんも行こ」

 妹が言った。

「ええわ、毎日ウオーキングで通ってるさかい」

 家の近くに、安倍文殊院がある。子供の頃は、境内でよく遊んだ。今は、コスモスが咲き乱れているだろう。姉妹は肩を並べて歩いた。不思議なもんだ。似ているところと、()(ぎやく)の所がある。ある時は敵で、ある時は理解者。二人姉妹は特にそうだ。

 山門をくぐる。春は山門から見る桜が美しい。穏やかな秋の日、燈籠が並んだ細い石畳を歩く。木漏れ日がきらきら光る。

 人が多い。コスモスの迷路で子供達が歓声を上げている。ここには入るまい、きっと出られない。妹が行ってくるわと言って直ぐ出てきた。いつもは閉まっている浮御堂が今日はあいている。拝観料がいるからやめた。


「本堂で文殊さん見て泣いたん覚えてる?」

「覚えてへん」

「せやろなあ、うちも六つぐらいやったし」

 本堂には、快慶作高さ七メートルの文殊菩薩像がある。昔、家族で行った。台座が獅子で、妹は獅子の顔を見て怖がって泣き出したのだ。

 家に寄らずに文殊さんに来たことがある。理由は忘れた。でもたいした理由はなかったと思う。その時は休みを取った。誰もいない境内をぶらつき、白山堂への石段をあがり、視界の広がった展望台で大和三山(はっきりとは分からなかった)や二上山を眺め、賽銭箱に十円ずつ入れて手を合わせた。

 拝観料を払い、本堂で、お茶とお菓子をいただき、袴姿の多分十代の若い女性から「説明をお聞きになりますか」と言われて、「はい」と返事をしてしまい、文殊院の説明を聞いた。歌うような調子だった。その後は気のすむまで文殊菩薩像を見ていた。童子像が合掌し、菩薩の方を斜め右に振り返っている。とても、かわいい。一二二〇年、快慶という人がいた。仏像は永遠の時を刻んでいる。私自身が時の中に溶けていく。父母がセックスをして私が生まれた。父母もそうして生まれてきた。時をさかるのぼると、どこかに私はいる。一二二〇年にも私はいた。私はいつから始まったのだろう。もし結婚をし、子供を生むことになったら、私はどこまで続いていくのだろう。


「本堂に入ってみよか」

「ええけど」

「今度は泣かへんな」

「今泣いたらアホやん」

 二才の年の差は微妙だ。私はよく父に叩かれたが、妹は滅多に叩かれなかった。後で、それだけ大事にされなかったと妹は言った。 真剣にお父さんは私を叱らなかったと。妹は私より頭がよかった。私は短大だけど、妹は、国立の教育大学に受かった。「よかったね」と喜んだけれど内心はそうじゃなかった。お祝いの食卓を途中でたった。

「明日、ゼミで発表するねん」

 嘘をついて二階に上がった。

 二階で、私は、泣いた。妹の不幸を願っていた自分が悲しかった。

「頭は私の方がいいかもしれないけど、その分お姉さんは美人だよ」

 いつのことだったか忘れたけれど、妹は言った。

 団体客の後ろを歩いた。仏像もゆっくり見られなかった。突然、Kさんの声が聞こえた気がした。

「四万人の観衆の中でも僕は一人だった」

 振り返ったが誰もいなかった。


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