プロローグ03
旅行当日、令と陸の二人は豪華客船アクアエリス号に潜り込んでいた。とはいえコソコソと人目を忍んで入るような真似はしていない。乗船予定だった人間からチケットを二人分拝借し、彼らの名義で乗り込んだのだ。
「うっひょー!ブルジョアジー!」
部屋に入るなり陸はその豪華さに感嘆した。二人が頂いたチケットの主は船内でも最高級の部屋を取っていたようだ。
「まあ当然だな。この私に狭苦しいワンルームなど似合わんからな。」
「にしたって広過ぎだろ。」
宿泊人数二人に対し部屋数は五つも用意されていた。共用の談話室が一つに寝室が二つ。リビングも二つだ。
「うへぇ!風呂も広っ!」
「少し落ち着け。」
うろちょろと部屋を見回る陸を余所に、令は飲み物を取り出し寛ぎ始める。
「あっ、令ちゃん俺も!」
陸に乞われドリンクを投げ渡す。さり気なく振ってから。
ブシュー!
「のわぁっ!」
フタを開けた途端、内容物が吹き出し陸の顔にぶちまけられる。
「クク…頭は冷えたか?」
「ひでぇ…」
「む?出航か?」
部屋の外から汽笛の音が聞こえてきた。いよいよ旅の始まりである。
「よーし!行こうぜ令ちゃん!」
意気揚々と立ち上がる陸。その手には自ら持ち込んだ赤マムシドリンク。ヤる気満々だった。
「待て。先に行くべき所がある。」
「あん?」
船内には様々な場所にテレビやモニターなど、映像を映し出す機械が備え付けられている。それらには現在、救命胴衣の着用方法や非常時の避難経路などが事細かに表示されていた。
だが乗客の殆どが旅行というイベントに浮かれているため、映像に注目する者はごくわずかであろう。それでも居るとすれば船旅の初心者か、若しくは酷く心配性のどちらかだ。
そんな必要だが無意味な映像が突如切り替わる。
映し出されたのは二十代後半の男性の顔。彼は無表情のまま船内の乗客に語り掛ける。
「お早う。暇と金を持て余した愚民共。調子はどうだ?生憎だが私の方は教えるつもりはない。貴様ら肥え太った家畜に私の気分を推し量られたくはないのでな。」
映像の中で男が吐くあまりの暴言の数々。モニターに注視していなかった乗客達も思わず目を向ける。しかしそれこそが映っている人物の思惑であった。
男の目が青白く光り視聴者の深層心理に入り込む。映像を見た乗員乗客は内容を忘れてしまったが、その脳内には男の洗脳が深く刻み込まれていた。
「これで良し。」
「成る程~!船内放送とは考えたね令ちゃん!」
船のモニタールームに赴いた令と陸。彼らは放送を一時的にジャックし、船内の人間全てに洗脳を施したのだった。
「一々お前の為に呼び出されるのも面倒なのでな。」
以前の旅行では陸が獲物に目を付ける度に洗脳を行うという、非常に効率の悪い状況に陥っていた。今回はそれを回避するため対策を練ってきたのだ。
一応放送を見逃した人間の為に、定期的に映像が流れるように設定すると部屋を出る。
「これでこの船の人間は全員私達の意のままだ。思う存分お目当ての女に腰を振れ。」
「よっしゃー!行ってくるぜー!」
親友から許可を貰った陸は、甲板を駆け出していく。
「さて、私は先に食事にしよう。」
こうして令と陸の二人は、船内のヒエラルキーの頂点に立ったのだった。
船が港を出航して約十日。旅行は折り返し地点へと差し掛かっていた。
「やれやれ、お盛んな事だ。」
談話室のソファーに腰を下ろす令。隣室からは未だに女の嬌声が響いてくる。どうやら友人はお楽しみの真っ最中らしい。声はどんどん大きく甲高いモノへと変わっていき、最後にはまるで獣じみた悲鳴を上げていた。どうやら薬でも使ったのだろう。素面でこの反応は有り得ない。
「相変わらず手加減を知らない奴だ。」
令も人の事は言えない。先程まで彼も小国の王女を部屋へと引きずり込んでいたのだから。もしもバレれば国際問題にも発展しかねない相手だ。
「やあ令ちゃん!昨日ぶり。」
女の悲鳴が鳴り止んで数分後、陸が談話室に顔を出す。
「休憩か?」
「そんなとこー。つか相手がラリッて気絶しちゃった。」
「お前はやり過ぎなんだよ。もう少し加減を覚えろ。」
「俺は令ちゃんみたいな能力はねーからな。遊ぶにも色々やんねーと。」
「壊したら元も子もないんだ。程々にな。」
「へーい。ところで令ちゃんの相手はお姫様なんだろ。どうだった?」
「試したいなら持って行け。部屋に転がってる。」
「サンキュー!」
陸は令の部屋から女を引きずって行った。
令が次は何をして暇を潰そうかと考えていると、突如船が大きく傾く。家具や調度品が床に落ちる程だ。ここまでの揺れは旅を始めてから感じた事がない。明らかにおかしい。陸も異変を感じ取ったらしく部屋を飛び出してきた。
「何だ何だー!何が起きたんだ令ちゃん!?」
「分からん。一先ず甲板に出るぞ。それと…」
「うん?」
「ズボンを履け。」
「何だアレー!?」
視線の先には船の進行方向を妨げるようにそびえ立つ何かが有った。この船より巨大で、太陽のような山吹色に輝く物体。まるで光の壁である。しかし熱は感じない。本当に太陽の光なら今頃は船もろとも蒸発していることだろう。
その正体不明の光の壁と令達が乗る船は、徐々に距離を縮めていた。船はエンジンを停止しているがとても間に合わない。激突は必至である。
「どうする令ちゃん?」
「ふむ…これは止まれないな。ただでさえ鈍重な客船だ。あれが何なのかは分からんが、ぶつかった衝撃で船から投げ出されんように何処かにしがみ付いておけ。」
「はぁ…やっぱりそれしかないよなー。あぁ…短い人生だったな。」
十字を切ってから両手を合わせる陸に、すぐさま令がツッコミを入れる。
「仏かキリストかハッキリしろ。」
「どっちでも良いよ助かるなら。神様もそんなに尻の穴小さくないっしょ。」
「知らん。生憎と無神論者なんでな。」
危機的状況ながら軽口を叩いていると、いよいよ船が光の壁に突入した。予想に反しぶつかったような衝撃は無い。代わりに船は光の中へと引きずり込まれ、急激なGが令達を襲う。
「ぐっ!!」
「ぬおおおおぉ!?」
ジェットコースターなど比べモノにならないほどの負荷が掛かり身体が宙に浮く。甲板から引き剥がされた二人は不規則且つ急激な回転に巻き込まれる。まるで特大の洗濯機に放り込まれた様だ。やがて身体が付いて来れず意識は途切れるのだった。
プロローグは終わりです。