6,プレイボーイはジェラシーを生む
「懐かしいな。いったい何年ぶりだ?」
子爵はジュールの肩を抱いたまま彼を見る。
「四年に、なります」
ジュールは口元に微笑を浮かべて答えた。彼は湖の水面を弾く太陽の光に、眩しげに目を細める。
「そうか、もうそんなに経つのか。君がどこかのお屋敷に入ったと人づてに聞いて驚いたことがあったんだが、本当のことだったんだな」
子爵はしんみりと言葉を続けた。そして彼はハッと思い付いたように、ジュールの肩にある自らの腕に力を込める。彼の目は輝いていた。
「では、リチャードと一緒か? そう言えば君達はとても仲が良かった。奴はどこに居る? 狩りに参加しているのか?」
リチャードはグルム公爵の長男だ。しかし、彼が両親に、特に母親のグレースに顔を見せることは滅多にない。
バイロン子爵はそのことを知らないのだろう。
ジュールは困ったような顔で首を振って答えた。
「残念ながら、リチャード様はこちらへはお見えになっておられません。ずっと王都の別宅にいらっしゃいます」
「なんだ、そうか。せっかく我々三人が揃うかと思ったのに」
子爵は酷くがっかりした様な顔になった。
「それにしても、何故、君はリチャードの元へ行くことになったんだ?」
「実はずっと以前から父に言われていたのです。どうせどなたかに仕えるのなら、よく存じ上げているリチャード様のご実家にとお願い致しました」
ジュールは静かに目を閉じた。
バイロン子爵はうんざりしたように溜め息を吐くと、彼の首を引き寄せる。
「なあ、ジュール。そんなかしこまった話し方をするな。昔みたいに、マイキーって読んでくれよ」
ジュールは驚いて目を開けた。
「……お戯れを」
子爵の視線は大真面目だ。ジュールは暫く目をキョロキョロと動かしていたが、諦めたように苦笑を浮かべる。
「あのね、愛称で呼ぶのは勘弁して貰いますよ。僕とあなたじゃ、身分が違い過ぎるんだから。僕達が出会った場所は身分など問わない所だったけれど、子供だった頃と今は違うので、それは許してくれますよね、閣下?」
子爵は虚をつかれたように口を曲げた。
「よく言うな。その『閣下』と言うのも、わたしをからかって君がつけたあだ名だろう?」
ジュールは涼しい顔で子爵に視線を投げる。それは本来の、少しばかり不遜な性格を表していた。彼は子爵の前で被っていた猫を、すっかり取り除いてしまったようだ。
「バレてましたか? だけど僕だけじゃないですよ。リチャードだって陰で言ってたんですからね」
「それは、本当か?」
「ああ、リチャードだけじゃないですね。あの頃僕達は皆、あなたの堂々とした振る舞いに心酔して自然に『閣下』と」
子爵は憮然とした表情で後を続ける。
「馬鹿にしていたんだろう?」
「まさか、とんでもない!」
ジュールは目を見開いて大袈裟に大声を出した。
彼と子爵はお互いに顔を合わすとプッと噴き出す。
二人の笑い声がエンジェルズ・ティアに響き渡った。
「君は変わらないな。大人しそうに見えて大胆なことを言うし、理知的に見えて悪戯好きな子供っぽい面もある。そして、優し気に見えるのに、意地悪なところも全く変わっていない」
子爵はジュールをチラッと見る。
「どういう意味です?」
彼は、子爵の言いたいことが分からずキョトンとしていた。
「先程の侍女ーー」
バイロン子爵はジュールの表情を全て読み取ろうとするかのように、鋭い視線を投げ掛けてくる。
「君は彼女の騎士なの?」
「は?」
ジュールは面食らったように顔が歪んだ。
子爵は尚もしつこく食い下がって聞いてくる。
「だっておかしいだろう? 君にはわたしが彼女を気に入っていることが分かったはずだ。なのに絶妙のタイミングで現れて邪魔をした。しかも、どうやら彼女を逃がしたね? これはどういう意味なんだい?」
ジュールは子爵の言いたいことが分かると、心底呆れたような顔になった。
「あなたの方こそ、全く変わっていませんね。昔からそちらの方面には積極的で、普段は立派な紳士でいても女性が絡むと途端にだらしなくなる。僕らはあなたが羽目を外して遊んでいるのを、他の奴らにバレないようによくフォローして回りました」
子爵は彼の表情の変化に子供のようにムッとした。
「何が言いたい?」
「いや、別に。結婚されたからてっきり奥方一筋に落ち着かれたと思っていたんです。それなのに悪いご病気は少しも治っていないようで……」
「わたしと妻はただの政略結婚だ。まだお互いに若いし、いずれ子供を作ろうとは思っているが、それ以外は特に心を通わせている訳でもない。好きなようにしても構わない筈だよ。わたしも彼女を束縛してはいないのだし」
ジュールは、不満気に愚痴る子爵を冷たい視線で見た。
「あなたはそうでも、奥方は違うようですよ。彼女はあなたが手を出す女性に酷く焼き餅を焼かれているみたいですね」
「え、シャロンが?」
子爵は愕然としている。彼は驚きのあまり言葉が出ないようだった。
ジュールは子爵をやれやれといった表情で見る。
「やっぱり気付いてなかったみたいですね。今まで不自然に去って行った愛人は?」
「……いる」
「手応えありと感じていたのに途中で逃げられた女性は?」
「ーーいるよ! 何だ? それらは全て、シャロンの仕業だとでも?」
子爵は赤い顔をしてジュールに噛み付いた。
「あの侍女も今日は奥方から色々嫌がらせを受けてたようですね。本人は理由も分からず困っていたみたいですけど」
ジュールはクスリと笑った。
「……シャロンが、彼女にまで?」
「ーーあ、嫌がらせと言っても可愛らしいものですよ。小さな頼み事をしつこく命じるという程度の」
しかし、子爵は腑に落ちないと言いたげだった。彼はジュールに疑問をぶつける。
「だが、何故だ? わたしはつい先程到着したばかり、彼女と会ったのも偶然だし、妻は当然そのことすら知らない筈なんだぞ?」
「……奥様には分かっていた筈です。あなたが彼女に惹かれることが」
「だから、どうして?」
「分かりませんか?」
ジュールは幼子を諭すような穏やかな声を出した。
「分からん!」
子爵は彼に侮られたように感じて、意固地になっている。
「全く、分からん!」
ジュールはふうっと軽く溜め息を吐くと、口を開いた。
「仕方ないですね、ではヒントだけ。奥様はあなたのことだけをよくご覧になってます。だからあなたの好みが分かる。この滞在中にあなたが興味を持つとしたら、あの侍女が一番有力だった。だから彼女を牽制したーーと言う訳です」
「何故だ? 何故……」
子爵は疑問を口にしながらも、顔を赤らめ狼狽してモジモジとしていた。
「……本当は分かっているのでは?」
ジュールは胡散臭げな視線を彼に寄越す。子爵はプイッと横を向いた。
「とにかく、奥様と一度きちんと話し合われた方が良いでしょう。そうすればあなたの疑問も解けると思いますけどね?」
ジュールがニヤリと笑ってウインクをすると、子爵は真っ赤になって俯いた。
「うむ」
「……あなたと言う人が僕には分かりません。」
「何だ?」
子爵は赤い顔のまま、不貞腐れて荒く返事をした。
「あんなに数多くの女性の間を渡り歩いたプレイボーイでらしたのに、何故妻の心一つ読めないでそんな顔をしてしまうのですか?」
ジュールはニヤニヤして子爵を見てた。
「うるさいな! わたしのことより君達はどうなんだ? リチャードの噂は社交界でも、何一つ聞かないぞ。あいつは確かに堅物だったが、何もないのも変だろう?」
ジュールは暗く瞳を翳らす。
「……リチャードは堅物なんかじゃない。とてつもなく慎重なだけで……」
「えっ?」
子爵の声にジュールはハッと口を閉じた。
「何でもありません。そろそろ戻りましょう」
子爵は残念そうな顔をする。
「そうだな。また話せるか? 次は昔話がしたいね」
「時間があれば。中々難しいですが……」
二人は名残惜しげにお互いを見た。
ジュールはフッと笑って呟く。
「奥様とお幸せに。余所見などして悲しませることのないように」
子爵は一瞬怯んだが、彼も負けじと言い返した。
「君もあの侍女を大事にしろよ。他の男に口説かれた位でふらつかないように、しっかり捕まえておくんだな」
ジュールはグッと詰まって子爵を見る。彼は暫く茫然としていたが、頭を抱えるような仕草をすると呆れたような声を出した。
「マイキー、僕と彼女はそんな関係ではない。それに僕には別に恋人がいるし、許嫁だって」
「やっとマイキーって言ってくれたな。許嫁と恋人か。君がそんなに器用だとは思わなかったよ」
ジュールは慌てて取り繕った。
「失礼なことを……」
「今更、何言ってんだ? 散々失礼なことを言ってただろう」
子爵は満足そうに微笑んだ。
「滅多に見れない、君の慌てたところを見ることが出来て嬉しいよ。どういった理由にしろ、あの侍女は君にとって特別な存在らしいね」
子爵はにこやかに笑いながら、狩猟場へと戻る為に歩き始めた。
ジュールは苦い顔をして小声で呟く。彼の声は小さ過ぎて子爵の耳には届かなかった。
「……本当にそんなのではないんだ。第一彼女はーー」
玉の輿を望む貴族のご令嬢だ。どうも貴族とは名ばかりの貧しさらしいが。
だけど、本人は至極真面目に夢見ている。いじらしい程、頑張っている。
だから、自分は親友として、今は叶いそうもない彼女の夢の手助けをしてあげたい。
そう、彼女が幸せになる手伝いがしたい。ただ、それだけ。本当にそれだけ。
ジュールの声は風に飲み込まれた。
彼は小さく笑うと子爵の後を追い掛けた。
アリエルはバイロン子爵夫人であるシャロンの前に立っていた。
子爵夫人は、夫の子爵に会えて少し落ち着けたのか、アリエルが湖へと出向く前よりは幾分表情が柔らかい。
だが、黙ったまま彼女をじっとりと見つめる目は優しさの欠片もなかった。少女のようにあどけない顔をしているのに随分迫力のある奥方だ。
「大変遅くなり申し訳ございませんでした」
アリエルは時間のかかったことを深くお辞儀をして詫びる。
「どうしてこんなに遅くなったのかしら?」
夫人は彼女の顔を注意深く見つめていた。
子爵に湖で会ったことを知られてはいけない。
アリエルは女の感で素早く察知した。
「本当に申し訳ございません。久しぶりでしたので道に迷ってしまいました」
「本当に? ……迷っていたの?」
子爵夫人は疑い深い目でアリエルを観察するように見てくる。
「はい、申し訳ございません」
アリエルは今の時間だけで、もう三回も謝っていた。
「あなたに湖までの案内を断られて良かったわ。一緒に行ってたら、わたしも迷ってたのね」
夫人は渇いた笑いを浮かべながら、危なかったわと隣の侍女に話し掛ける。
侍女はアリエルに遠慮気味に愛想笑いをしていた。
この子爵夫人はいつになったら、アリエルを解放する気なのだろうか?
延々と続く嫌味に彼女が疲れを見せ始めた時、夫人は又も口にしたのだ。
「ねえ、疲れているところ悪いのだけどお願いがあるの。頼まれてくれるかしら?」
それから彼女はにこやかに微笑んだ。
アリエルにとっては悪魔の微笑みだった。
獲物を狙った銃の音が遠くに聞こえる。その後暫くすると、人々の囃し立てる声が「ワアッ」と聞こえた。
しかし、林の中を歩いているアリエルには何を言っているのか分からない。
彼女は狩猟をしている場からは既に離れた場所に来ていた。だから狩りをしている気配も、人々の声もはっきりとはしなくなっているのだ。
アリエルは流れる汗をイライラしながら拭うと、足元を真剣な眼差しで見ながら歩く。
「いったい、どんなデザインをしているのよ? 羽根飾りって……」
口をついて出てくるのはぶちぶちとした愚痴のようなものばかり。
子爵夫人のお願いとは、探し物だった。
「わたしね、こちらへ来る時に落としてしまったの。この帽子に付いていた羽根飾りを」
夫人はそう言うと被っていた帽子を脱いだ。彼女の見事に結い上げられた艶やかなブロンドの髪が、目に入ってくる。
アリエルは、暫し目を奪われた。
子爵夫妻は似合いの夫婦ではないか。二人とも年の頃もよく、似通った美しい外見をしている。
なんだか、とっても馬鹿らしい。アリエルは自分のブルネットの髪を少し気にして手で触れた。
「ほら、どこにも付いてないでしょう? とても綺麗な飾りだったのよ。主人にプレゼントされたものだから彼にも悪いわよね?」
子爵夫人はチラリとアリエルを意地悪く見た。
「わたしの侍女達はこの辺りの地理に全く疎いわ。だからあなたに探してきて貰いたいの。来る途中に落としたのは間違いないから、あなたなら直ぐ探せると思うわ」
アリエルは夫人の軽やかに微笑んだ顔を思い出す。
彼女は力尽きたように腰を下ろすと、深く溜め息を吐いた。
「子爵様に誘惑されなくて良かった。もしも、そんなことになって、それをあの奥様に知られでもしたら……」
アリエルはぶるっと身震いをする。
その想像はとても恐ろしいものだった。
奥方は、夫とまだ何の関係もないと思っている筈のアリエルにでさえ、警戒してネチネチと嫌がらせをしてくるのだ。
そんな事実があった相手には、何をしてくるのか分かったものじゃない。
「女の嫉妬は怖いものね。もうモテる男性は懲り懲り」
これからは、如何にもモテそうにない男にターゲットを絞ろうと、強く決心をする。
彼女は深呼吸をすると、気合いを入れて体を起こした。まだ仕事は残っているのである。見たこともない羽根飾りを探すという仕事が。
「本当に、羽根飾りは付いていたのよね? ……嘘、ってことは、ないわよね?」
彼女は誰にと言うわけでもなく問い掛けた。
あの子爵夫人だったらアリエルを懲らしめる為に、嘘をつく可能性も充分有り得る気がする。
彼女はブンブンと頭を振ってその考えを追い出した。最初から無い物を探すなんて、とても不毛なことではないか。出来るだけ考えないようにしよう、そう決めると彼女は足元を見た。
その時、また銃声がした。今度の音は割と近くで鳴っている。
アリエルは驚いて周囲を見回した。
すると、木の影が動いて一頭の鹿が飛び出して来た。背中を銃で打たれたオスの鹿だった。
手負いのオス鹿は気性を荒くしており、彼女に気付くと攻撃するかのような目で見てくる。
暫くすると馬の蹄のような音と、人の興奮したような声まで聞こえてきた。
「ひいっ」
アリエルは命の危険を感じて悲鳴が出た。
いつの間にか、獲物を追って狩猟の場が、元の場所より流れて来ているらしい。
ここに居ては危ない。狩りに巻き込まれてしまう。
オス鹿が、まるで彼女に突進してくるかのように向かって来た。
アリエルは走り出す。足が絡まって上手く走れないが、夢中で駆け出していた。
後ろから鹿の追って来る気配や馬上のハンターの気配を感じて、恐怖心で逃げるように走った。
目の前に邪魔をするかのように現れた木を、彼女は横に避けて勢いを付けて通り過ぎる。
その瞬間、
アリエルの体は宙に浮いていた。
あっ、と叫ぶ間もなく、彼女の体は崖から滑り落ちていった。