43,親友の別の顔 1
遠方から訪れた異国人は、平坦な面差しをした小柄な男性だった。
少し白い物が混じる黒髪と、おうとつのあまりない顔に申し訳程度にある小さな黒い瞳。地味な顔立ちは表情もあまり変わることがなく、感情が読みにくい。
アリエルは、初めて見る異国からの客人に驚いていた。
遠く海を隔てると、同じ人間でもその容貌は変わっていくものらしい。目や鼻が大きく、はっきりとした顔立ちが多いこちらの人間とは、あまりに違う外見だった。
客人は話す言語も違うようであるらしく、ややぎこちなく聞こえる癖のある発音で会話をしている。
しかし、他国の言葉を使えるということは、かなりの知識と教養を兼ね備えた、ひとかどの人物であるのは間違いなかった。
自国の装束であろうか、派手な色彩の変わった服装を身につけ、男性は夫妻と談笑していた。
荘園の主である堂々とした振る舞いのグルム公爵と比べると、その風貌はいかにも釣り合いがとれず貧相にも見えたが、夫人の口にした大事な客というのは本当のようで、公爵のもてなしは礼を尽くしたものであった。
アリエルは厨房より運んできたメインの肉料理を、執事のハンスに手渡すために彼らの側を通った。
既に前菜を食し、ワインで気分も高揚させているらしい公爵夫妻と客人は、彼女の運んできた料理を頬を緩めて眺めている。
「本日のメインは、柔らかい子牛肉を使ったローストビーフでございます。当家料理長特製の、グレイビーソースをおかけになって召し上がり下さいませ」
ハンスの宣言に客人は「ほう」と嘆息を漏らす。それから、配膳台の上で薄く切り分けてられていく肉の塊を、無言で見入っていた。
「うちの料理長は味にうるさいんだ。なにしろ食通には有名な隣国で、働いていた経験もあるからね。あなたもきっと気に入るだろう」
静かになった客人に、公爵は茶目っ気たっぷりに笑いかけている。
「それは、ーー楽しみですな」
相手も微笑んで返し、和やかな空気が生まれていた。
しかし、アリエルだけはその空気の外側にいた。
彼女は公爵の後方に思わず目を奪われて、体を固まらせている。
ハンスが切り分けたローストビーフの皿を、主の元へと運ぶ男の姿が、今更ながら視界を占領してしまっていた。他の何も目には入らない。
久しぶりに見る明るい金髪と涼しげな目元。高い鼻筋に堅く結ばれた形のよい唇。洗練された身のこなしで流れるように動いていく長身。
気がつけば、魅入られたように目で追ってしまう。
迂闊だった。どうして今まで気にもとめてなかったのか。自分が呼ばれたということは、彼がいることだって容易に想像出来たものを。
彼女は素早く視線を背け、逃げるように壁際へと退く。
(う、嘘。あなたがいるなんて……)
公爵の背後には、同じく給仕を命じられたのであろう、ジュールの姿があったのだ。
主達の食事は落ち着いた雰囲気の中、ゆるやかに進んでいた。
誰もアリエルの動揺には気づいていない。それはそうだろう。たかが使用人の顔色を気にする人間がいたら、そちらの方がおかしい。当のジュールでさえ、そう見えた。
彼は平然とした顔で公爵の後方に控えている。向かい合うような位置で立っているのに、アリエルの方を目にする様子はない。
全くの無視だった。彼は彼女にもう関心すらなかったのだ。
(どうして? わたしがあんなことを言ったから?)
以前、彼の恋人だった侍女仲間を思い出す。本気になった彼女を冷淡に振って、関係を一方的に終わらせたジュール。その後、彼女ーーエミリーは、失意のまま故郷へと戻って行った。
あの時の彼女の傷つきようは、端で見ていても痛々しいものだった。アリエルには忘れられない。あれから二年は経つと言うのに。
それなのにジュールはーー。
彼は、アリエルが最近そのことを話した時も、彼女の存在すら忘れているようだった。
信じられないがジュールにとっては、エミリーの記憶など残ってもないと言うことらしい。
彼にとって大切なのは婚約者だけ。他の女性とはあくまでも遊びでしかなく、それ以外の相手から想いを寄せられても、迷惑でしかないのだ。
(だから……、だからわたしも、もういらないのね?)
涙が出そうになり、アリエルは懸命にこらえた。こんな大事な場で泣くなど言語道断、もってのほかだ。
唇を噛みしめ目を見開いて息を止める。滲みそうだった涙が引いていくような気がした。
ジュールからこんなにはっきり拒絶されるとは、アリエルは思ってもなかった。だが、これが現実なのだ。どんなにつらくとも受け止めて、これからを生きていかなくてはならないだろう。
だって彼とは今後も同じ館で働いていくのだから。アリエルにはエミリーのように、父や母の元へ帰ることなど出来ない。
だけどーー、
いつもより長く感じる主達の食事が、こんなにも恨めしく思えるとは。
「それで、ミスター・ハン。今回の来訪の目的はいったい何ですか?」
公爵が夫人と目を合わせ、異国の男に問いかける。
「いつもの商談ですよ。ですが着いて早々、国王陛下からお声がかかりましてね、港からすぐに登城する羽目にはなってしまいましたが……」
「陛下に? それはお疲れのところ、大変でしたね」
「いえいえ、国王陛下は上得意様でいらっしゃいますから。今回は珍しい品を携えておりましたので、お土産がてら献上して参りました」
客人はヤオ・ハンという名の東方国の商人だった。彼は貧相な体に似合わず、かなりの豪商であるらしい。君主との会見が許されているなど、それなりの地位を、この国でも認められていることが見て取れた。
「ほう、珍しい品をですか。それはまた、陛下が自慢気に披露されるのが目に浮かぶようだ」
公爵はにこやかに相槌を打つ。
「閣下にもご用意しておりますよ。ですが、同じ物を差し上げたことは、くれぐれもご内密にお願いしますよ」
「それは有り難い。なんであろう、楽しみだな。なに、わたしとあなたの仲だ。陛下には絶対にバレないよう気をつける」
ヤオ・ハンは夫人の方にも抜け目ない笑みを向けて、口を開いた。
「勿論、奥様にも贈り物をご用意しております。またそれとは別に、ご婦人が喜びそうな商品も持参してきておりますので、目を通していただければこの上ない喜びではありますが……」
「まあ、お上手な方ね」
夫人は目を輝かせてヤオ・ハンを見返した。東方国のアクセサリーは、貴婦人方の間でも持て囃されている珍品だ。彼女はすっかりハンの申し出に機嫌をよくしていた。
客人を交えて、公爵夫妻の軽やかな笑い声が広がっていく。
「それで商談と言ってたが、それはもう済んだのかね?」
執事が注ぎ足したワインを口に含みながら、公爵は質問を重ねた。
「ええ、久しぶりにチェスターと会うことが出来ました。彼は相変わらず気が若い。有り余るほどの熱意で数々のプランを聞かされ、わたしは驚きましたよ」
「チェスター・アーバンと会ったのか? いや、わたしも長らく彼とは会っていないんだ。彼の息子のカエサルとは、たまに連絡を取ることもあるのだが……、そうか……」
「ええ、チェスターは昔と変わらずエネルギッシュでした。気分はいまだ現役なのでしょう」
ヤオ・ハンは微かに笑い声を上げて、ナイフとフォークを置いた。
「実はわたしが今日こちらを訪ねたのは、彼の血を引く人物に会いたかったからなのです」
「なに?」
「聞いたのですよ。なんでも若かりし頃のチェスターにそっくりだとか。彼はこちらへ預けていると言っていました。会ってやってほしいとわたしに言ってくれたのです」
公爵はナプキンで口元を拭い、思案するかのように唇を閉じる。黙り込む公爵に追い討ちをかけるがごとく、ハンは強固に頼み込んだ。
「閣下、お願いいたします。わたしにその人物を紹介してくださいませんか」
そうかーー、と公爵は呟きをこぼした。
「とうとうその時が来たと言うことなんだな……」
苦笑を浮かべて、公爵は背後を振り返る。
彼の後ろには誰もいなかった。壁と同化したように静かに佇む、ただの使用人が控えているだけだった。
不穏な気配を感じてアリエルは顔を上げた。言いようのない嫌な予感が胸に広がっていく。
(な……に? なんなの?)
ジュールが目を大きく開けてこちらを見つめていた。戸惑うアリエルと、呼応するかのように揺らぐ瞳。それは今日初めて、二人の視線が重なり合った瞬間だった。
「ジュール」
公爵の声が、静まり返った室内に響く。
「は、はい」
彼が慌てたように声を返して、アリエルだけでなく、他の使用人からも息をのむ音が聞こえた。
「こちらへ」
公爵に呼ばれたジュールは、目を伏せてアリエルから視線を逸らすと、「た、ただ今」と答え主の元へ急いで駆け寄る。
「ミスター・ハン」
公爵は満足そうに横に立つ近侍を見上げて微笑んだ。
「これがその男です。チェスター・アーバンの孫、ジュリアスですよ」
本文内に出てきた、ジュールとエミリーという女性とのエピソードは、第一話にアリエルの会話の中でチラリと出てきたものです。
一話を投稿して随分時間が開いてますので、ご説明させていただきました(申し訳ございません)。
どうぞ、ご了承くださいませ。




