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シンデレラは夢を見る  作者: にゃーせ
第四章 シンデレラの見る夢は
42/50

42,東方国からの客人

 

 朝の清掃を終えて一息ついていたアリエルの元へ、息を切らせたリンダが帰って来た。

 赤く紅潮した頬とキラキラと輝く瞳。手には今朝詰まれたばかりのバラを抱えている。その姿は、まるで以前のアリエルと見紛うほどに生き生きとしていた。


「遅くなってすみません、アリエルさん」

 彼女は愁傷な素振りでそう口にしながらも、少しも悪びれた印象を与えてこない。反対に光り輝くような生命の煌めきを、見せつけてくるようだ。

「また、会ってきたのね、そうでしょう?」

 アリエルは呆れて、いそいそと水の入った花瓶にバラを挿すリンダを睨んでみせた。ついつい小言めいた口調で相手を責めている自分に気がつき、苦笑してしまう。

 きっと、そうだったのだろう。以前のリンダも、アリエルの遅い戻りをこんな気持ちで待っていた筈だ。

「うふふ、すみません」

 リンダはにんまりと目尻を下げて、満面の笑みをこちらへ向けてきた。幸せいっぱいの彼女の笑顔が、アリエルにはまぶしくて仕方なかった。



 アリエルとリンダは、最近になって朝の仕事の担当を替えた。今まではアリエルがバラを受け取りに出向き、リンダがグレースの部屋を清掃していたのだが、それをすっぱりと交代してしまったのである。

 役割の変更を提案したのはアリエルからだった。

「でも本当によかったんですか?」

 リンダが遠慮がちに問いかけてくる。

「何が?」

「ジュールさんですよ。わたしがバラ園に行ってしまったら、アリエルさんはジュールさんと会う時間がなくなっちゃうじゃないですか。なんだか申し訳なくて、だってお二人は毎朝あそこで会っていたのに」

 リンダの何気ない言葉が胸に突き刺さる。アリエルは内心を晒してしまわないよう、口元を引き締めて年下の同僚を見返した。


 だからなのだーー。


 ジュールを思い浮かべてしまうバラ園になど行きたくないから、仕事の変更を提案したのだ。彼との間にあった出来事をリンダは知る由もないため、彼女の思いつきのような交代劇に戸惑っているのかもしれない。

 だが、今のアリエルには彼と会う勇気などなかった。

「あら、あなたは会えるからいいじゃないの。何て言ったかしら……、ほら、馬番の彼」

「わ、わたしのことはいいんです。アリエルさんの意地悪」

 リンダは真っ赤になって口籠もった。からかわれたのがよほど恥ずかしかったらしく、目をぎゅっと瞑って赤く染まった頬を両手で包み俯く。そんな微笑ましい仕草からアリエルは目を逸らして、ホッと息をついた。


 リンダの関心がジュールから離れてよかった。彼のことを笑って話題にするのもつらい。


 あの日からーー、

 リチャードに襲われたアリエルをジュールが助けに来てくれた日から。

 アリエルが必死の思いでした告白を、彼がやんわりと断ってきたあの夜から。

 二人の関係は変わってしまった。

 会話を交わすこともなくなり、顔を合わせることもない。あれほど近しい間柄であったのに、姿を見かけることさえなくなった。アリエルだけが相手を避けてるわけではない。

 元々、仕える主も違う二人だ。それなのに頻繁に話が出来ていた訳は、彼が彼女に合わせてくれていたからだった。そのことに今更気づいた彼女は、ようやく思い知ることが出来た。

 ジュールも自分を避けている。

 今のアリエルとジュールは、そうつまりーー、全ての繋がりが切れてしまったということであろう。

 友人としての絆も、今まで共に過ごしてきた日々の欠片でさえ、意味をなさなくなってしまった。アリエルは恋と一緒に、家族のようにと感じていた友情ですら、失ってしまっていたのだ。



「そう言えば、アリエルさん」

 バラを生けたリンダは微笑んで顔を上げる。恋を始めたばかりの彼女の笑顔は、アリエルの心を少しだけざわつかせた。

「昨日チラリと耳にしたのですけど、近々また、新しいお客様がお見えになるのですって」

「そう」

「珍しいですよね、避暑に入って、もうだいぶ時期が過ぎているのに。こちらでは、そろそろお帰りになるお客様もいらっしゃる頃じゃないですか」

 そう言えば、沢山いた宿泊客もかなり減ってきていた。一番の原因は、リチャード目当ての令嬢達が軒並み館から去っていったことにあるだろう。

 グレースが計画した息子の縁談は、遂に纏めることが叶わなかった。公爵よりリチャードの出立を聞いた令嬢方は、皆この荘園をあとにしていった。

 あんな状態の息子に縁談を勧めることは、さすがに無理があると公爵も判断したのだろう。令嬢方に遅れること数日、リチャードもひっそりと館を発っていた。

 彼が最後にアリエルに見せた顔は、胸を締めつけるようなせつない笑顔だった。


 相変わらず暑い日々は続いていたが、夏の終わりを感じるような、酷く物淋しい空気が館内を充満していた。そう感じてしまうのは、アリエルだけだったのかもしれないが。


 客人が減ったことにより、使用人の仕事も落ち着いてきている。パーティーの数もぐっと減り、準備や片付け等、煩わしい仕事も一時期よりかなり少なくなっていた。

 そんな時期に新たな訪問者を迎えるのは、確かに珍しいと言える。

「本当に、今頃にだなんてなかなかないわね……」

「そうでしょう」

 しかし、アリエルにとってリンダのしてきた話は、歓迎すべき事柄だ。

 何故なら彼女は玉の輿を望んでいた筈で、その相手となる客人が少なくなった現状は、憂慮するべき事態であった筈だからだ。

 だから、新たな客人の登場は、願ってもないチャンスに違いなかった。事実いつもの彼女ならもっと興味を示して、あれこれと推測して食いついていただろう。


 だが、今のアリエルの心中には何の感情も生まれていなかった。十八の夏が終わってしまうという焦りすら、不思議と湧いてくることはなかったのである。

 あれほど、最後の年だと覚悟を決めて臨んだシーズンだったのに信じられない。

 アリエルは自分の身に起きた価値観の変化に呆然としながらも、沈みきった心地のまま、この夏を終えようとしていた。






「あなたには迷惑をかけたわね」

 公爵夫人グレースが、アリエルを労るように見つめている。

 いつもは威圧感すら与えてくる姿勢のよい夫人の肩が、妙に頼りなげであった。

 グレースの部屋で、アリエルは彼女と二人きりだった。リンダは用事を言いつけられ、室内にはいない。


「いいえ、奥様。わたしこそ、ずっと秘密にしてまして、本当に申し訳ございませんでした」

 アリエルが頭を下げて謝罪を始めると、グレースは慌てたように近寄って来た。

「やめてちょうだい。あなたを責めてる訳ではないんだから。そんなに何回も同じことを言わなくてもいいのよ」

「ですが……」

「確かに、最初はわたしもあなたを疑っていたわ。ジュールだけではなくあなたまで、わたしを除け者にしているのかと腹立たしく思ったりもした。だからリンダにあんなことを、命じてしまった訳ですからね」

 グレースは黙って俯くアリエルを、いつになく柔らかい眼差しで見つめていた。

「でもね、こう見えてもわたしだって、過去の過ちから色々と学んできたの。表面だけを見て簡単に判断を下しては駄目だってことぐらい、今ではよく理解してるわ。あなたにも言うに言えない理由があると思ったからこそ、問いつめるのをやめたのよ。そんなことをしなくてもいつか話してくれると思ったから。まあ、確かに、そうは言っても信頼されてないみたいでつい、きつく当たってしまったかもしれないけど」

「奥様……」

「考えてみたらすぐに分かることだったのよね。リチャードに口止めされていて、やむなく黙っていたってことぐらい。結果として、あの子とわたしの間で、あなたを板挟みにしてしまった。駄目な主ね、つらかったでしょう?」

「いいえ、いいえ」

「確かにわたしはいい母親ではなかったかもしれない。だけどまさか、あんなにも息子に嫌われていたなんて思いもしなかったの……」

 苦しげな表情のグレースに、アリエルの胸もズキリと痛んだ。滅多なことでは弱みを見せない強固な意志を持つ夫人も、肉親から向けられた憎悪には、酷く打ちのめされたようだった。

「リチャードがあんな子になったのも、わたしのせいなんだわ。今更かもしれないけど今後はあの子を支えていきたいと、強く思っているのよ」

 グレースは目を閉じて大きく息を吐く。その口元は決意のためか、固く引き結ばれていた。

「リチャード様は王都へ戻られたのですか?」

「王都? いいえ」

 アリエルの問いかけに夫人はかぶりを振った。

「あの子が前から行きたがっていた外国に行ったわ。空気の綺麗な国で、しばらく帰っては来ないでしょう。表向きは留学となっているのだけど、静養が目的だから」

「そうだったのですか……」

「心の傷を治して、いつかはわたし達の元へ戻ってきてくれると信じてるわ。そのためならどんなサポートも怠らないつもり。今度こそ、わたしも失敗したくないもの」

 微笑んだ夫人の顔からは、以前の力強さが垣間見えていた。リチャードの告白を聞いて、すっかり失っていた自信を僅かながらも取り戻したのだろう。

「だからアリエル。あなたにはわたしのサポートを、これからも頼みたいの。今まで以上に助けてほしいのよ」

「はい。かしこまりました、奥様」

 リチャードが立ち直るにはどれだけの時間がかかるだろうか。

 公爵家を継ぐ彼には、結婚を含め問題が山積みだ。公爵夫妻にとって、それらは頭の痛い難問に違いない。一日も早く、一つでも、片付けてしまいたいことだろう。

 だが、病んでしまった彼の内面が、そんな簡単に回復するとも思えない。きっと、長い時間が必要になる。

 しかし、公爵も夫人も逃げることなく、真正面から息子と向き合うことを決めたのだ。

 それならばアリエルのすることは一つだけである。

 主を支えていく、今まで以上に、真摯に仕えるのみだ。

 そう、玉の輿の夢など、もはや見ている場合ではないのである。


 アリエルが一際固い決意を胸に秘めていると、公爵夫人は口調をがらりと変えて告げてきた。


「ところでね、アリエル。このあと旦那様の大事なお客様とお食事なんだけど、給仕を頼みたいの」

「わ、わたしでよろしいのですか?」

 急に変わった話題にアリエルは戸惑い、「ええ」と頷くグレースと目を合わせた。

「実はわたしも初めてお会いするお客様なのよ。何でも、海を越えた東方国からいらしたんですって。旦那様にとってはとても大切なお客様のようだから、粗相のないように気をつけなくてはいけないの。だから、頼むわね、アリエル」

 いつもの厳しい一面をほのかに覗かせて、グレースは優雅に微笑んでいた。




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