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シンデレラは夢を見る  作者: にゃーせ
第三章 初恋の王子様
39/50

39,想いの向かう先

 

 いつまで待ってもジュールの唇は降りてこなかった。

 アリエルは待ちきれなくて薄く目を開けてみる。

 グリーンの瞳に戸惑いの色を色濃くのせた青年が、目を見開いたまま動きを止めて彼女を見下ろしていた。


「ジュール……?」

「あっ……」


 彼は彼女の視線が自分にあると気づくと、ハッとしたように表情を和らげ笑顔を見せた。

「ど、どうしたんだよ、アリエル。キスをせがむなんて子供みたいだね」

 焦ったような口振りでアリエルをからかって、ジュールは彼女の額に子供にするような軽い口づけを落とす。それからまるで、聞き分けのない幼子を諭すように、猫なで声を出して宥めてきた。

「これで落ち着けたかな? もう、大丈夫だよ」


 アリエルは呆気にとられて目の前の青年を見上げた。

 彼女の顔を覗き込む柔らかい眼差しが、すぐ側にある。その状況はさっきまでと何ら変わってはいない。何一つ変わっていないのに、二人を取り巻く雰囲気がまるで変わってしまっていた。

 彼には彼女の表情が丸分かりの筈だ。

 今のお遊びとしか思えないキスを相手がどう感じたのか、分かりすぎるほど近くにいる。なのにこんな交わされ方をされてしまうなんて。

 にっこりと微笑む青年の顔が、歪にゆがんで見えるのは何故だろう。ジュールではなくアリエルの方が、もしかしておかしいのだろうか。

「違うわよ!」

 吐き捨てるように出したアリエルの言葉に、ジュールの笑顔が崩れた。彼は消え去ろうとする笑みを取り繕うためか、ぎこちない表情を浮かべている。

「違うって何が……?」

「額にじゃない、わたしは唇にほしいの」

 アリエルはジュールの頬を両手で挟んで、泣きそうになりながら懸命に訴えた。

 子供にするような、挨拶の一種のようなものではなくて、愛情を込めた恋人同士の交わすキス。彼女が彼に願ったのはそんなキスなのだと。


 だが、彼から、優しく甘いそれが降りてくることはなかった。

 代わりに彼がくれたもの。それはーー。

 突然、自分への想いをぶつけてきたアリエルへの困惑と、どうにかこの場を切り抜けようとする焦りを孕んだ言葉。

「何……、言ってるんだ、アリエル。僕らは友人同士だろう?」

 カラカラに渇いたジュールのかすれた声が、虚しく辺りを漂う。先ほどまであんなにアリエルの身をとろかさせてきた甘い響きは、一気に彼女の熱を奪っていき、酷くよそよそしい風を寄越してきただけだった。


 その瞬間、彼女は理解した。

 自分は間違えてしまったのだと。

 彼の行為を自分に都合よく、読み違えてしまったのだと。

 いつもいつも、ジュールの過剰なほどの親しみを込めた言動を、誤解してはいけないとアリエルは戒めてきていた筈だった。事実、それはつい最近まで成功していたのだ。

 彼には故郷に婚約者がいて、侍女仲間のアンナとは大人同士の関係まで築いている。

 その際どい事情にまで彼女は精通していた。何故なら、ジュールから聞かされていたから。アリエルを友人だと信頼していたジュールから、馴れ初めから経過から危うい話に至るまで、実に様々なことを打ち明けられていたからだ。

 ジュールはアリエルに対し、友人以上の気持ちなど持ってはいない。

 彼にとって一番大切なのは婚約者の彼女で、夜を度々共に過ごすアンナでさえ、割り切った関係でしかなかった。


 分かっていたのに、分かりすぎるくらい分かっていた筈なのに。


 それなのにーー、


 それなのにどうして、間違えてしまったのか。



「あ、アリエル……」

 ジュールの目が怯えたように揺らいでいた。

 アリエルはぼんやりと、揺らぐグリーンの瞳を見つめ返す。彼女は口元にグッと力を込めて笑顔を作った。

 絶対に負けられない。これから一世一代の演技をして、彼を納得させなければならないのである。

 アリエルは覚悟を決めて口を開いた。


「何よ、あなたのその顔。間が抜けてるわね」

「間が……抜けてる?」

「そうよ、たかがキスぐらいで慌てちゃって」

 アリエルはジュールの胸を突き放した。呆気なく離れていく彼の体。暖かかったぬくもりは、彼女のもとから幻のように消えてしまった。

「ちょっと甘えただけよ。あなたがあんまり優しいから、どんな反応をするのか見たくなったの……」

 何も言わないジュールに背を向ける。その足でベッドの上から素早く降りて、彼から距離を取った。

「からかってごめんなさい。でも友人なんだからこれぐらい、許してくれるでしょう?」 

 しばらくして僅かに身じろぎをする音と、低い呟きが後ろから聞こえてきた。

「……何だ、からかってたのか、……びっくりしたよ」

 ため息と共に届けられた慣れ親しんだ男の声。

 でも、その声は驚くほど、遠くから聞こえてくるようだった。


「そうよ、本気じゃないわ……」

 アリエルは出口を目指して歩き出す。後ろを振り返ることは出来ない。今の彼女には彼の顔を見る勇気など、ほんの少しだって湧いてこなかったのだ。

「わ、わたし、もう行くわね。早く戻って支度しなきゃ」

「……うん」

 ジュールは彼女を追いかけては来なかった。彼はいまだベッドの側にいるのだろう。

「今日はありがとう。あなたが来てくれて……、本当によかった」

 やっとの思いでそれだけ言うと、アリエルは彼を置き去りにして走り出した。ジュールからの返事を待つこともなく。


 走って走って息が切れるほど走って、いつしか涙と嗚咽が止まらなくなっていたことにすら、彼女は全く気づいていなかった。




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