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シンデレラは夢を見る  作者: にゃーせ
第三章 初恋の王子様
38/50

38,本心

 

 あれは誰だろう?


 誰もが存在すらきっと忘ているだろう屋根裏の奥にある部屋で、出ない声を懸命に上げて助けを呼ぶアリエルに応えるように、古びた扉を開けて入って来た男は誰なのだろうか。


 アリエルは、涙でぐちゃぐちゃに霞んだ視界に映るその男を、必死に目を凝らして見つめた。

 彼女が来てくれるわけなどないと諦めて、頭の中から無理やり追い出した友人に似ている気がする。


 男は輝くような明るいブロンドの髪を整える時間もなかったのか、方々に毛先を散らした酷く乱れた髪型で立っていた。頬は血色がよくなっているらしく、ほのかに赤く染まっている。

 汗ばんだ肌に荒い息づかいを繰り返し、平素は常に余裕を見せるグリーンの瞳には、何故か落ち着きというものが綺麗さっぱり消えていた。


「何だ、君か、ジュール」

 リチャードは近づく男を牽制でもするかのように、アリエルの肩に手を置く。その手の冷たさに彼女の思考は寸断され、代わりに男の正体が現実のものとして耳に届けられた。


 ジュールーー。

 ジュールが来てくれた。


 アリエルは嬉しさのあまり無邪気にも、彼の名前を大声で叫びたくなった。リチャードの手が肩のところになどなければ、実際そうしていただろう。だけど、喜ぶ気持ちを抑えつけるかのように、不安がむくむくと浮かび上がってくる。

 彼は何をしに現れたのだろうか。

 ここ数日の男の態度を思い返せば、以前のような信頼を寄せることが出来なかった。


「随分早い到着だね。今日は君を招く予定はなかったんだけど、どうしてここが分かったの?」

 リチャードのからかうような物言いに、更に低い唸り声をジュールはこちらへとぶつけてきた。

「ふざけるなと言っただろう、リチャード。簡単だよ、君はアリエルを屋根裏に誘ったと言っていた。部屋にはバラの代わりにカーネーションが生けられていて、アリエルが来た筈なのに君達の姿がない。君が彼女を連れ出すとしたら、ここだろうとすぐに思いついたんだ」

「ふうん、なるほど。どうやら僕は話すのが早計すぎたらしい」

 

 リチャードは、語気荒く叫ぶジュールを面白そうに見返している。

 友人同士の二人の男が、反目して対立しているのは明らかだった。

 怖い顔のままじりじりと近づいてくるジュールに当てつけるかのように、リチャードはアリエルの上に鞭を持つ手を向けた。

 少しずつ距離をなくしていたジュールの足が、それを認めてぎこちなく止まる。冷ややかに微笑む青年主に対し、近侍は硬い表情のままだった。


 アリエルは二人の激しい応酬を、涙で見えにくい目で食い入るように見つめていた。呼吸をするのも忘れてしまうほど、目の前の状況は緊迫している。

 顔つきを変えない友人に苛立ったのか、しばらくするとリチャードは荒い声を出した。

「何をそんなに怒ってるのさ。僕は主を欺いた悪い侍女を裁いてやってるだけだ。使用人が罪を犯したら、罰を与えるのは主の努めだろう?」

「アリエルは何もしていない」

「何故そんなことが君に分かる? この女じゃなかったら、誰が『公爵夫人』に話すと言うのさ」

「アリエルではない。彼女は何も知らないんだ」

「何もだって?」

「ああ、彼女は奥様が、今夜のパーティーに君を出すよう手配したことを知らない。だから、君がパーティーに出る羽目に陥ったことも、何も知らないんだ」

 ジュールの言葉にリチャードは呆れたように笑った。わざとらしい高笑いが部屋の中に充満していく。

「何だって? 僕のことを知らないだって? 馬鹿らしい。そんな戯言、誰が信じる? では犯人は誰だと言うんだ。誰があの女に余計なことを吹き込んだと言うんだ。それともなにか? それは自分だとでも言うのかい?」

「勿論僕じゃない。誰が奥様に話したかなど、特定したって仕方ないだろう」

「ーー冗談じゃない!」

 リチャードは癇癪を起こして喚き散らすと、アリエルの肩から手を離しジュールへと駆け寄った。

 彼はジュールのタイを掴んで引っ張り上げ、唾を撒き散らしながら大声を出す。

「意味がないだって、そんなことがよくも言えたな。どうせこの女を庇い立てして、口から出任せを言ってるんだろう。いや、そんなことはどうでもいい。この女が言ったかそうでないかなど、本当はどうでもいいんだ。要は、こいつの不手際が原因だと言うことだ。そうさ、元凶はこの侍女で合ってるじゃないか」

 目を血走らせたリチャードが、噛みつくようにジュールに詰め寄った。彼の怒りの矛先は、いつの間にかジュールへと向けられている。

「アリエルは知らない? ふん、そんなことは関係ないんだよ。知らなくても許されないことはある。それが使用人てものだろう。だってそうでなければおかしいじゃないか。あの時僕は頼んだんだ。必死になって、アネットを痛めつけている女にお願いしたんだ」

「アネット……?」

「ああ、そうさ。アネットは何も知らなかった。彼女は僕を誘惑したわけでも、僕の好意を弄んだわけでもなかった。僕が、僕が勝手に彼女を好きになっただけで……、それだけで……」

 唐突に、ジュールのタイから指が外れた。リチャードは緊張の糸が切れたかのように力をなくして、ふらふらと膝をつく。

 つい今し方まで怒鳴り散らしていた青年は、打って変わって弱々しい声をこぼし始めた。

「彼女には何の罪もない。それは明白だったのに、誰も聞いてはくれなかった。僕に悪影響を与えると勝手に決めつけられ、強制的に排除されてしまったんだ。彼女は何もしてないのに、まるでゴミのように捨てられたんだよ……」

「だからアリエルも同じ目にあえばいいと? そのアネットと言う名の女性のように、彼女も捨てられるべきだと言うのか」

 うなだれるリチャードに、追い討ちをかける叱責が飛ぶ。ジュールは厳しい眼差しを、リチャードに向けるのをやめなかった。そこには主従という立場の違いなどどこにもなく、対等な一人の人間としてのやり取りしかない。

「君はいつもそんな理由で、自分の中の腹立ちを女性達に向けてきたのか。相手を卑しく貶めて彼女達の尊厳を奪ってきたのか?」

「……止められなかったんだ」

 リチャードは嗚咽を漏らして言葉を絞り出した。怒りが消えてしまった目には、いつしか涙が光っていた。

「あの日のアネットがいつも僕を責めてくる。どうして助けてくれなかったのかと泣いて責めてくるんだ。考え出すと止められない。母への憎悪と何も出来なかった自分への不甲斐なさで、気が狂いそうだった。そのたまりにたまった衝動の捌け口が、どうしても必要だったんだよ」

 許しでもこうようにリチャードは、苦悶に歪む表情を引き締めた。無心にジュールを見上げる姿は、愛情を求めてやまない幼子のように必死だった。

「ある日、ふとしたパーティーで出会った見ず知らずの娘の態度に、ついカッとなって思わず突き飛ばしてやった。それ自体はたいした衝撃ではなかったし、彼女は怪我もしてなかったと思う。だが、突然の僕の行動にさぞかし相手は驚いたんだろう。我が儘放題だった娘は酷く僕を怖がって、泣きながら謝ってきたんだ。醜く歪んでいた娘の笑顔が恐怖に引きつる様を見たとき、胸がスッとして嘘のように心が軽くなった。あの時からだよ、この快感を得るために、どんどんとエスカレートしていく自分を抑えられなくなったのは」

「ーー本当は止めてほしかったという訳か?」

 リチャードは目を見開いて、問いかけてきたジュールを見た。

「分からない……」

 彼は首を横に振って答える。

「だが、以前王都へ一緒に来てほしいと頼んだことがあったよね? あの時少し思ったんだ。僕の禍々しい秘密を知っている君がいてくれたら、きっとこの忌まわしい衝動も諫めてくれるんじゃないかって」

 その言葉に、ジュールは唇を噛みしめて黙り込んだ。リチャードが構わず続ける。

「君に甘えていたんだよ。つくづく情けない男だよな……」

 言葉もなく俯き加減で立つジュールを力なく見返して、リチャードは薄く笑った。

 彼はそれからふらりと立ち上がると、アリエルの方へと体を向ける。

「リチャード!」

 焦ったように呼び止めるジュールを無視して、リチャードはベッドの側までやって来た。動くことも出来ず無言で彼を凝視するアリエルを、痛ましげに見下ろしてくる。

「すまなかった、アリエル」

 暗く陰ったグレイの瞳が彼女を見つめていた。その瞳は確かに、以前感じていたような明るい輝きを灯してはいなかったけど、濁ったガラス玉のようではなくなっている。

 アリエルは彼に「いいえ」と返事をしようとして、喉が枯れて声を出せないことに気がつく。

 しかし、リチャードは彼女の返事など期待もしてなかったようだ。そのままきつく絞めていた手首の紐をほどくと、もう一度頭を下げた。

「本当にすまなかった」


 彼はジュールにも軽く頷いて部屋を出て行く。

「どこに行くんだ?」

 ジュールが慌ててその背中を追いかけ、扉の側で掴まえて問いただした。

 酷く取り乱した友人の形相を見て、リチャードは瞠目したのち苦笑する。彼はどう伝えようかと言葉を選びあぐねていたが、やがて決心したらしく力を込めて言い切った。

「父と母に言ってくる。僕の突然の帰郷の理由と現状を、全て包み隠さず説明してくるつもりだ」

「えっ、そ、それは」

「君は彼女の側についていてあげてくれ」

 戸惑う親友にあとは任せたと、リチャードは背中を押した。

「随分怖い思いをさせたから。本当に馬鹿なことをしでかしたと自分でも思う。僕が言うのもなんだけど、彼女に優しくしてあげてほしい」

 憑き物が落ちたかのように和らいだ表情で、リチャードは寂しげに微笑む。そして、踵を返すと、今度こそ本当に部屋を出て行った。

 


 呆然と通路の向こうを見送っていたブロンドの髪の毛が、揺れていきなり振り向いた。煌めく金髪の青年が、苦しげな顔を浮かべたまま、部屋の中へと視線を向けてくる。

 

「ご、ごめん、アリエル、本当にごめん」

 ジュールは足をもつれさせながらベッドの側まで飛んで来た。

「怖かっただろう? 遅くなって本当にごめん」

 暖かい腕が伸びてきて、アリエルの体をきつく抱きしめる。

 気がつけば広くて懐かしい胸に、華奢な体はすっぽりと包まれてしまっていた。

「ごめん……?」

 アリエルはぼんやりとして働かない頭で、一生懸命考えた。ジュールの態度は以前のものへと帰っているみたいだ。リチャードが荘園に戻ってくる前の、大切な親友だと彼のことを信じていられた頃のように。

「わたしを……、助けに来て……くれ……たの?」

 ポツポツと声を漏らすアリエルを、彼は深い愛情を込めた眼差しで見返してくる。

「ああ、なのに間が抜けてるよな。間に合わなかったなんて、本当にごめん。……痛かっただろう?」

 汗ばんだ指が頬に優しく触れてきた。リチャードに殴られた場所だ。不意に止まっていた涙が込み上げてくる。堪えきれず熱い雫が目の下を伝った。

「いいえ、わ、わたし……、わたし……」

「うん」

「こわ、こわ……かった。どうしてか、怖かったの……」

「うん」

「リチャード様は、や、優しい人だと知ってるのに、わたし……、こわくてこわくて、どうしようもなくて……」

「うん……」

「気がついたら、あなたを待ってた……。崖から落ちた時みたいに……、侯爵に襲われた時みたいに……、あの時のように助けにきてって、ずっと心の中で呼んでいた」

「ごめん! 遅くなってーー」


 アリエルの骨が軋むほど、背中に回された腕に力がこもった。

 だけど不思議と痛みは感じない。それよりも心が安らぎ幸せすら感じられて、安心感で体中が満たされていく。


「リチャードは大事な友人だ。だけど僕はあいつの危うい一面も知っていた。だから君がリチャードに近づきすぎるのはよくないと、気をつけていたつもりだったのに」

「……それでわたしに警告してきたの?」

 アリエルは驚いて彼の腕から顔を覗かせた。

 伏し目がちで口籠もる青年の、気まずげな表情とぶつかり合う。


 そうだ、あれはつい最近のことだ。ジュールからきつい口調で、玉の輿の夢を否定されたのは。

 あれからだ。彼との仲にわだかまりを覚えたのは。確かな友情で結ばれていると思っていた彼を、赤の他人だと冷めた目で見るようになったのは。


「わたしはてっきり、あなたから決別されたのかと思ったわ……。大切な主をたぶらかす害虫だと言われたのかと……」

「誤解だ、そんなこと思うはずないだろ。僕は君達二人に、いや君に何かあったら大変だと」

「それにしては嫌な言い方だったじゃない」

 アリエルは拗ねて彼から視線を外す。

 あれがーー、あの言葉が違う意味だったなんて信じられない。

 あの、冷たくアリエルを断罪した言葉が、リチャードを守るために出たものではなく、彼女を守るために発せられていたものだったとは。


「あんな言い方しか出来なくてごめん。君を傷つけるつもりはなかった、なのに僕はなんて」

 大馬鹿やろうだーー、ジュールの吐息混じりの囁きが、アリエルの耳を刺激して絡みついた。予想もしてなかった真実に衝撃を受け声をなくす彼女を、彼は深い後悔を滲ませたせつなげな瞳で見つめてくる。

 その瞬間、体を流れる血が一気に逆流して顔へと集まるのが分かった。心臓は激しいリズムを刻み始め、止める手だてはどこにもない。


「どう……して?」

 どうしてジュールは、こんなにもアリエルを甘やかすのだろう。

 優しい眼差しと言葉で、内側からも外側からも彼女をとろけさせるのか。


 不意に、アリエルの胸に先日聞いたリンダの言葉が蘇る。


『ジュールさんは、誰よりもアリエルさんを深く想っていると思います。あの人の気持ちに気づいてあげてください』


 リンダがいつものようにジュールとの仲を誤解して、ぶつけてきた言いがかりのようなもの。

 いつもなら何とも思わないで聞き流していた戯言が、胸を大きく揺さぶって消えていこうとしないのだ。


 細く見えるくせにアリエルを完全に包んでしまう、意外と逞しいこの腕を。薄いシャツの下にある暖かくて硬い胸を。

 急いで駆けつけてきたせいなのか、ほのかに汗の匂いを発散させる首筋も。異性の目を引いてしまう整った顔立ちも、皮肉めいた指摘ばかりしてアリエルをからかう甘い声も。

 意地悪で、だけど凄く優しいその性格も、全部をひっくるめて失いたくはなかった。

 いつだって一番側にいてくれた大切な、かけがえのない親友だから。


 親友?


 いや、違うーー。


 親友なんかじゃない。


 アリエルにとってジュールは、親友なんかじゃなかった。


 大事な大事な、たった一人の男の人だったのだ。


 彼女は込み上げる想いを堪えながら、ジュールの胸に手を這わせ、彼の洋服を強く握りしめた。

 アリエルの行為に応えるように、背中を抱きしめる腕も力を込めてくる。


「もっとーー、強く抱いて」


 彼女は小さな声で懇願した。すぐ目の前にジュールの熱く潤んだ瞳がある。

 彼の熱が漏れ出てくるような唇に、そっと手を伸ばして彼女は囁いた。

 消え入りそうなか細い声が、当たり前のようにこぼれ落ちていた。



 お願いーー、


 キス……して……




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