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シンデレラは夢を見る  作者: にゃーせ
第三章 初恋の王子様
37/50

37,助けはこない

激しいものではありませんが、女性が暴力を振るわれる場面があります。

苦手な方はお気をつけください。


 

 窓から入る外の光は、日没間近の赤い色へと変わりつつあった。

 部屋の中を移動する影はただ一つ。静まり返る室内に、その影が発する靴音がいやに大きく響いていく。


 今夜開かれるパーティーの準備は、滞りなく進められているのだろうか。もうしばらくすると客人を招く時間になる筈だ。そろそろ誰かが、アリエルの不在に気づき出しているかもしれない。

 仕事を放り出して消えた侍女の行方など捜す物好きはいないだろうが、この度の失態はやがて夫人の耳にも入るだろう。

 その時夫人がどう判断するか、今となってはどうでもいいことのようにも思える。


 アリエルはぼんやりと、自分の周りを動く影を目で追っていた。

 ぼんやりとしてしまうのは、彼女の脳が無意識に働いて現在自分の身に起きている現実を、曖昧に感じさせているお陰かもしれなかった。


「驚いたよ、アリエル」

 鼻歌でも口ずさむかのように、影ーーリチャードが軽やかに話しかける。

「君は全く動じないんだね。普通こういう時って狂ったように助けをこうか、それでなくてもこちらの気を引くために、懸命に何がしかを喚き散らすもんなんだけど」

 彼は横たわるアリエルの鼻先に顔を近づけ微笑んだ。

「君は何も言わないんだね。全く見上げた精神力だよ。もしかして、経験あったりするの?」

 いやな笑みを浮かべる青年から視線を外し、顔を背けた彼女を、リチャードはしつこく追いかけてきて上から覗き込む。それから、ことさら優しい声音で、白々しく問いかけてきた。

「ねえ、痛くない? ま、痛いって言っても、外してあげることは出来ないんだけどねーー」



 アリエルの体は、屋根裏部屋の中に据え置かれていた大きなベッドに、仰向けに寝かされていた。

 両手首はシーツを裂いて作った紐で固く縛られ、腕を広げたような姿勢で転がされている。紐の先は頭側のベッドの足へとそれぞれくくりつけられており、彼女はマットの上に貼り付けにされている状態だった。

 足の方は特に何もされていない。服装も乱されたりすることもなく、この部屋に入ってきた時のままだ。

 しかし、アリエルの体は身動きすることを忘れてしまったかのように、自由な筈の足元すらピクリとも動くことはなかった。



 リチャードが突然衣装箱から取り出して、手にしてみせた鞭。

 アリエルに見せつけるかのようにそれを振り回し、彼は興奮して母親の公爵夫人を悪し様に罵った。

 そのただ事ではない奇怪な様相を見ていると、彼女の弱った心臓は、このまま動くのをやめてしまうのではないかと思えるほど、益々脆弱になっていった。


 彼女は彼に何も言わなかった。いや、言わなかったのではない。声を出すことさえ出来なかったのだ。

 リチャードに力ずくでベッドへと引き摺られ、押し倒された時も。腕を無理やり引っ張られ双方に引き離された挙げ句、拘束された時も。

 痛みも恐怖も勿論感じていた。むしろ止まりそうもない悲鳴が、心の内を激しく駆け巡っていたくらいなのに。

 だが、何故か喉からは、かすれたヒュウヒュウという意味のなさない息が漏れてくるだけで、目の前にいる男に届くようなものは出てきはしなかったのだ。


 アリエルの青ざめて震える頬を、リチャードは愛しげに撫で上げる。触られたところから蝕んでいくような不快な感覚に、彼女が反射的に体を緊張させると、彼はクッと喉を鳴らして笑った。

「我慢などせずに大声を出せばいいからね。なにせ、ここには誰も来ない。思い切り叫んだって構わないんだ。だからこそ君の口を、塞ぐだなんて無粋なことはしてないんだから」

 青年はニヤリと口角を上げて微笑む。

「哀れな犠牲者の悲鳴は、堪らなく僕を興奮させてくれる。期待してるよ。素敵に啼いてくれ、アリエル」

 そう言って青年主は侍女の額に軽く口付けを落とし、冷笑を浮かべて離れていこうとした。その手に持つ異様な存在感を放つ鞭を、悪戯っぽく弄びながら。


「ど、ど……して……」

 震えるばかりで抵抗らしい抵抗をしなかったベッドの上の侍女から、背を向けるリチャードを引き止めるような声がかかる。

 小さな小さな呟きだったが、リチャードは耳ざとく気づいたらしく、目を見開いて顔を向けてきた。

「何か言った?」

 彼は嬉しそうに彼女を見下ろして笑う。反応を示さない被食者など、つまらないとでも言いたげに。

「ど……して、あなたがこ……んな……」

 荒い息を吐き出して、アリエルはようよう言葉を絞り出した。それは喉の使い方さえ忘れてしまったみたいなとても拙い発声で、だが今の彼女にとっては精一杯のものだったのだ。


 アリエルにはやはり分からなかった。どうしても分からないから混乱している。

 今まで聞かされたリチャードの過去を鑑みても、何故彼がこのような振る舞いをするのか理解出来なかった。

 初めて出来た友人と可愛がっていたペット、大切にしてくれていた当時の侍女。それらを一気になくしてしまった寂しい少年時代。

 そして、初恋のときめきを与えてくれた、たった一人の大切な女性。

 おそらく彼女も彼の前から姿を消したのだろう。彼からは、理不尽とも言える公爵夫人の仕業だったのかもしれない。

 だが、それが何故、この行為へとすり替わってしまうのか。こんな脅しや暴力をちらつかせ、相手に恐怖でもって屈服させるような行いに、どうして成り代わってしまうのか。

 そのことが、いくら考えても分からない。


「ああ、そうだったね」

 リチャードは眉を下げて苦笑した。

「すっかり忘れていた。あまりに楽しんでしまって、話の途中だったことが飛んでしまっていたよ」

 彼はそう言うと、アリエルの横たわるベッドを睨むように見つめて囁く。

「考えてみればこのベッドだったな。あの日、アネットがいたのはねーー」






「王都に?」

「そう、王都へ戻るのです」

「ーー嫌だ!」


 グレースが口にしてきた命令に思わず反抗してしまったリチャード少年は、母が制止する声も聞かず、彼女の前から逃げ出した。


 向かう先は一つだけだった。アネットのいる場所。


 だが、どんなに捜しても彼女はどこにもいない。二人で過ごしたどの場所にも、暖かな笑顔は見当たらなかった。

 思いあまったリチャードは侍女を見つけ出し、アネットの所在を尋ねた。だが、誰もが気まずげに口を閉ざす。

 ようやく見つけた何人目かの侍女から、同じような反応を返されたリチャードは、やっと理解した。

 もうアネットはこの荘園にはいない。彼女はとっくに追い出されてしまったと。

 つまり、また自分は、大事なものを守れなかったのだとーー。


 彼は滲む涙をこらえ、人気のない場所を目指した。

 幼い頃に一人で探検した屋根裏に潜り込んで、悲しみを癒やそうと決める。

 彼女との記憶が残るところには、どうしてもいられなかったのだ。





 

「それでこの屋根裏に来たんだ。ここへ足を踏み入れたのは数年ぶりだったと思う。あの時は誰にも会いたくなかった。だからここでなら一人になれると思ったのに」

 リチャードは暗い笑みを浮かべ、虚空を見つめる。


「だけど先客がいたんだよ、驚いたことにね」






 昼間だというのに屋根裏は、酷く薄暗く退廃的に感じた。それはきっと、リチャードの気分が影響していたのかもしれない。

 蒸すように暑い通路を、彼は惨めな気分を抱え進んで行った。

 それからどこに落ち着こうかと頭を上げた瞬間、静寂を破り何かが聞こえてきたのだ。


「ヒッーー」

 

 誰かの悲鳴のようだった。

 何かをぶつけるような異様な音と、すすり泣くような声も聞こえる。

 リチャードは驚いて周囲を見回した。一瞬、幽霊か何かだと思った。だが、話し声のようなものまで聞こえてきて、生きている人間がいるのだと分かった。

 自分以外の誰かがいる。

 何をしているのかよくは分からないが、背徳的な匂いがした。

 彼は焦って立ち去るべきだと考える。そして急いで来た道を戻ろうと踵を返した。その時ーー。


「罪を認めるのです、アネット・バウリー!」


 酷く興奮した甲高い叫び声が、通路の端にいるリチャードの元まで届く。


(アネット? アネットだって?)


 突然聞こえてきた探し回っていた名前に、リチャードは頭が回らず動けなくなった。

 どうやらアネットは荘園を追い出された訳ではなかった。まだ館内に、こんなところにいたのだ。

 そうと知れば今すぐ会いたい。

 彼はふらふらと振り返り、声のした方を向く。一番奥にある頑丈そうな大きな扉から、先ほどの声は聞こえてきていた。


 吸い寄せられるように少年は扉へと近づいて行きーー、それから、その半分朽ちかけた取っ手に手をかけた。

 耳障りな音を立て扉が開く。果たして、その先にいたのはーー。






「察した通り、アネットがいたよ」

 いきなりリチャードが、アリエルの上に乱暴にのしかかってきた。

 声も出せないで彼を見つめる彼女の喉元を掴み、荒々しく揺さぶる。

「このベッドに寝かされていた。そう、今の君と同じ状態だね」

 彼は憎しみを込めた眼差しでアリエルを睨みつけ、噛みつかんばかりに大声を上げた。

「アネットは年嵩の女に激しい折檻を受けていた。彼女は泣きながら女に許しをこい、やめてほしいと何度も願い出ていたが、女は少しも手を止めることはなかった」

 リチャードの手がキリキリと絞める力を強めてくる。

「リ、リチャード……様……」

「僕は急いでその女にやめてくれと声をかけた。このままでは彼女が大怪我をしてしまうから、頼むからやめてほしいと。だが女は頑としてやめなかった。奥様の命だからやめる訳にはいかないと、ほくそ笑んでぬかしたんだ」

 アリエルを見下ろすリチャードの目が、暗く澱んだ輝きをなくしたものになっていく。

 締めつけられる苦しさに言葉はおろか、彼女は呼吸さえ難しくなっていた。

「リ、……リチャ……さま」

「僕は女を説得するのを諦め、アネットを助け出そうと彼女に近寄った。だが側に控えていた別の使用人達に呆気なく掴まり、彼女が鞭で折檻を受けているのを黙って傍観しているしかなかったんだ」

 自分を見据えてくる男の深い悲しみと怒りが、静かにアリエルの精神を侵食していった。彼の指から、ゆっくりと力が抜け落ちていく。

「結局僕は彼女を助けることが出来なかった。それどころか僕が入って来たがために、益々彼女は手酷い目にあったくらいなんだ。アネットは大怪我をした上、体よく館を追い出された。僕のせいで、最悪な形で首を言い渡されたんだよ」

 リチャードはぐったりと顔を傾けるアリエルを覗き込んで、驚いたように目を丸くした。

「どうして泣いているの?」

 眉をひそめて不機嫌そうに唇を尖らす。

 アリエルは拭うことの出来ない涙でベッドの上を濡らしながら、喘ぐような息を吐き出し言葉を漏らした。

「わ、分……かりません……。ただ、アネットさんやリチャード様が……お、お気の毒で……」

「黙れ!」

 直後に強い衝撃を頬に受け、アリエルは凍りついたように口を噤んだ。

 ジンジンと熱を持つ痛みが、これは現実だと教えてくれている。

「黙れ、黙れ! 人を憐れんでいる場合か? これから君がその責め苦を味わう番なんだぞ。分かっているのか?」

 リチャードは取り乱したように声を張り上げると、渇いた笑いを顔に貼りつけた。

「そうさ、悪いのは僕じゃない。全てはあの女、彼女に罰を与えるよう命令を下した、あの女が悪いんだ」

「リ……チャード……さま」

「いつもいつも、相手を叩き伏せて従わせるだけ。自分の思い通りにならないことは我慢出来ない。鼻持ちならない女なんだよ、あいつは」

 リチャードはクスリと笑って、震えてわななくアリエルの唇を優しく指でなぞる。こんな場面でなければ、それはまるで愛しい恋人に対する、甘い行為のようでもあった。

「計算高くて浅ましい。君もあの女と一緒だね。そんな君には似合いの褒美を上げよう」

 リチャードは彼女から体を起こし、ベッドを滑り降りた。そしてやおら片手に持ち替えた鞭をしならせ、勢いよく床に打ちつける。

 すぐ側で空気を裂く激しい轟音と風が、アリエルの耳と肌を掠めていった。

「い、いや……」

 張り裂けそうな心臓を叱咤して、彼女は必死に声を上げて拒絶する。

「だ、誰か……、誰か……」

「誰も来ないよ、こんなとこ。残念だけど」

 乾いた唇を舐めて、リチャードが呆れたように切り捨てた。


「い、いや……、誰か、誰かーー」


 ジュール!


 アリエルの脳裏に、友人だった男の顔が浮かんだ。

 来るわけない。彼が彼女を救いに現れることなど、もう二度とある訳ないのに。


「だ……れ……、誰か……」

 アリエルは不自由な声をなんとか操って、弱々しい助けを呼び続ける。その声に応えてくれる人など、どこにもいないことを、充分過ぎるくらい分かっていたのだが。

 リチャードが瞳を輝かせ、怯えるアリエルを見下ろしていた。

「いいね、アリエル。やっと人間らしくなった。だけどいくら呼んだって、誰も来やしないよ」



「ーー誰が来ないだって?」

 

 押し殺したような第三者の低い声が響いて、いきなり扉が乱暴に開け放たれた。


「リチャード、いい加減にしろ。おふざけは終わりだ」


 扉を開けて入って来たのは、酷く険しい顔をした二人の共通の友人、ジュールーーその人だったのである。




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