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シンデレラは夢を見る  作者: にゃーせ
第一章 浮気者の子爵
3/50

3,ハンティングは危険な遊び

   

 アリエルが萎れたバラを抱え、屋敷が見える場所まで戻って来ると、奥様付きの同僚侍女のリンダが駆け寄って来る。

 彼女はアリエルの戻りが遅いため、オロオロ外まで捜しに出ていたようだった。

「ちょっとアリエルさん、遅いじゃないですか。何処までバラを取りに行ってたんですか?」

 文句を言いながら、アリエルからバラを受け取ろうとして、リンダは大声を出した。

「アリエルさん、萎れちゃってるじゃないですかぁ〜。どうするんですか、これ?」

 アリエルは嘆くリンダを横目で見て、バラを奪い取る。

「大丈夫よ、この位。ちょっと水に浸けておけば元気になるわ」

「本当ですか〜?」

 リンダは疑わしい目を彼女に向けるが、アリエルはサッサッと屋敷の中へ入ってやった。リンダが慌てて後ろを追いかけて来ていた。

    

 リンダはアリエルより三才年下の後輩侍女だ。彼女は、去年このカントリーハウスにやって来た。

 彼女の実家は新興の大地主であるらしく、こちらには勤めに来たというより、行儀見習いに来ている感じだ。

 一年という短い期間で奥様付きになるという異例の出世も、それで納得が出来る。

 彼女は、実家に帰ればお嬢様として過ごす娘である。

 おっとりとした擦れたところがない気持ちのよい子だが、主人に仕えるという面で、アリエルは色々気を使ってあげなければいけなかった。

   

 無事に、奥様の部屋にバラが飾られた。部屋の主は隣の寝室でまだ就寝中だ。

 二人は静かに部屋を出る。

   

「ねえ、アリエルさん。さっきジュールさんと一緒だったのでしょう?」

 リンダがヒソヒソ声で聞いてきた。

「どうして?」

 アリエルは面倒になって、素っ気ない態度で足を速める。リンダはいつも彼女にジュールの話をしたがるのだ。聞かされる方の微妙な反応などお構いなしで。

「執事のハンスさんが、ジュールさんを凄い恐い顔で捜してたんです。今日は旦那様がお客様と狩りに出られるから、馬の手配を頼んでらしたのに報告がないって!」

 アリエルは、困って早く帰りたがっていたジュールの顔を思い出した。

 彼を引き留めたのは自分だ。後で謝っておかなければ。

「わたし、すぐアリエルさんと一緒だと思いました。だってアリエルさんも中々帰ってこないんだもの」

 リンダはチラリと、アリエルを上目遣いで見上げてくる。彼女は罰が悪くてプイッと横を向いた。

「でも、その後トムさんが騒ぎ出して……」

「えっ? トムですって?」

 突如トムの名前が出てきたので、不思議に思いリンダに視線を戻す。ついさっき、ジュールとの会話にも出ていたので気に掛かるのだ。

「トムさんが、ジュールさんはアリエルさんと一緒にいるんじゃないかってハンスさんに詰め寄ってて、自分が捜して来るって大騒ぎでした」

 その光景がよっぽど面白かったのか、リンダはニヤニヤと笑っている。侍女としては少々下品な感じだ。

 アリエルはたしなめるように、彼女のおでこをコツンと軽く叩いた。

「そう……」

 それにしても、トムの行動は突飛で不自然な感じがするが、ジュールが話していた通り、彼は思い込みの激しいタイプなのだろうか。アリエルとトムの間には何の接点もないのに、ジュールを疑って執事に噛みつくとは。

 アリエルの中でトムという存在は、公爵家で働く大勢いる同僚の一人に過ぎない。休憩時に会えば、会釈をする程度の仲なのだ。

   

 アリエルはトムとはほとんど話をしたことはない。元々、同じ公爵家の使用人ではあるけれど、基本的に男女は別々に仕事をすることが多いので、会話をする機会もそんなにない。

 そのため、彼についてもよく知らないのである。

 彼女が知っていることは、彼がジュールより一年先輩の近侍ということ位だ。

 アリエルを見掛けると、ぼうとなってこちらを見ていることには気付いていたが、彼女にとって日常茶飯事のことなので気にも止まらなかった。

 彼女は憂鬱な気分で塞ぎ込む。ジュールの忠告めいた言葉が重く心にのし掛かっていた。

   

「まあ、結局ハンスさんとトムさんが騒いでたとこに、ジュールさんが帰って来ておさまったんですけど」

 リンダは少々残念そうにぼやいた。かと、思えば好奇心丸出しで聞いてくる。

「ねえ、アリエルさん、二人で何してたんですか? ジュールさんと付き合ってるんですか?」

「何もしてないわよ。ちょっと相談に乗ってもらっただけ。もう、毎日あなたも暇ね」

 アリエルは手で追い払いながら逃げ出した。毎度のことなので、この程度の追求は慣れっこになっているのだ。

「ふ〜ん。でもジュールさんて絶対アリエルさんのこと好きですよね? だってアリエルさんを見る目がとっても優しいもの」

「リンダさん!」

 アリエルは目を剥く。この一言だけはきっちり否定しておかないと。

 彼の誤解を生む態度のせいで、彼女はいつも被害を受けているのだ。

  

「何度も言うけどそれは間違ってるのよ。あの人は誰にでもあんな感じなの。それで今までも、沢山の女性が馬鹿を見てきたわ。あなたも気を付けなさい。彼には恋人も許嫁もいるから」

   

「アリエルさん」

 後方から彼女を呼ぶ声がしてドキッとする。

 アリエルが振り向くと、アンナが薄く笑って立っていた。

 アリエルは慌てて口元を押さえる。

(まさか、今の話を聞かれてはいないわよね?)

「お喋りしている暇があったら早く食事を済ませなさいな。片付けられちゃっても知らないわよ。奥様達のお目覚めの時間も、直ぐにやってくるわ」

 アンナはそう言うと、優雅に彼女の横を通り過ぎて行く。擦れ違い様にアリエルを見て、クスッと笑うのは忘れなかった。

「綺麗な人ですね、アンナさんて……」

 アンナの背中を見送ってリンダが溜め息を吐いた。

「……そうね」

 だが、アリエルの赤く紅潮した顔を見て、彼女は慌てた。

「あ、でも、わたしはアリエルさんの方が断然美人だと思います。アンナさんはカトレアって感じですけど、アリエルさんは大輪のバラって感じですもん」

「カトレアは、一輪でも存在感と品がある、まるで女王のような花よ。バラになんて負けないわね」

 アリエルはリンダを見ることもなく歩き出した。

「まっ、待ってください、アリエルさん。やっぱりアンナさんは……デイジーかなあ?」

 リンダの声が必死に追いすがってくる。その声を聞きながら、背中を向けて立ち去った女の横顔を思い出す。

   

 アンナは美しかった。

 彼女には昨夜の疲れなど微塵も見えなかった。

 伯爵家の子息との、冴えないゴタゴタをしでかした若いアリエルでさえ、疲れが顔に少しは出ているというのに。

 もしかしたら彼女は、ジュールに本気なのかもしれない。遊びなのではなく、本気で彼を愛しているのかも。女は本当に愛している男と結ばれると、美しくなると聞いたことがある。

 アリエルにはそんな経験はない。だから本当のことなのか正直分からない。

 だけど、愛する人と結ばれるのはそんなに素晴らしいことなのだろうか? それは、どんなものなのだろう。

 アリエルは彼女を羨ましいと思った。そんな相手がいる彼女を。たとえ、男の方はただの遊びだとしても。

   

「馬鹿だわ、わたし」

 アリエルは苦い笑いで今の考えを打ち消す。

 自分には、関係ないことだ。彼女には玉の輿に乗るという夢がある。愛だの恋だの無用のこと。

 だけど彼女の目指す結婚だって、最初は無理でも長い生活の内には、きっと相手を愛することが出来るようになるはずだ。

 彼女はそんな相手を見極めるために、この四年を過ごしてきたのだから。


「そうよ、もうわたしは十八才、若さが売りにできるのも、もう僅か。無駄に四年を費やしたなんて思いたくないわ。今年中には夢を叶えないと」

 アリエルは新たな誓いを胸に秘める。

 彼女の後方では、リンダがキョトンと不思議な顔をしていた。

   

   

   

   

 グルム公爵の夫人であるグレースは、少し気難しい人だ。

 彼女は我が身の外見に特に注文が多い。少しでも若く見えることに神経を使う。お陰で夫人の身なりを整える仕事は、端で見るよりも大変だった。

 アリエルは、鏡台に向かって座るグレースの後ろに控えている。

 夫人は鏡の前で、出来上がった髪形をチェックしながら、彼女を一瞥してきた。

「アリエル、お願いがあるのだけど」

「はい、奥様」

 アリエルは緊張して鏡の中のグレースを眺めた。

 夫人は髪形には満足したようで軽く手で髪の毛を触りつつ、満足そうに口元を上げている。

 アリエルはこっそりとホッとした。

「今日は旦那様が、皆様と狩りをなさるのは知っているわね?」

「はい」

「あなたには、その時お客様のお世話を頼みたいの。わたしには、リンダがいればいいから。いいわね?」

 グレースは振り向き、アリエルを見て微笑む。

「かしこまりました」

 アリエルがお辞儀をすると、彼女は手で払うように合図をした。

「もう、ここはいいわ。あなたも支度があるでしょう。行っていいわよ」

「失礼いたします」

 アリエルはもう一度深くお辞儀をして部屋を出た。扉が閉まる直前、グレースがこちらを見ているのに気がつく。

 又しても、ジュールの考えは当たっているのだろうか。本気で夫人は、アリエルを虫除けにしようとしている?

 彼女は望むところだと思った。その方が、玉の輿という夢に近づけるのだから。

   

   

   

   

 馬が草の上を駆ける音と、獲物である野生動物の逃げる足音が辺りに響く。

 ハンティングに参加している男達の掛け声などが入り乱れて、周囲は騒がしく独特の熱気を帯びている。

 公爵夫妻と彼の荘園に招かれ滞在している客人達は、遅い朝食のあと程なくして狩猟を楽しんでいた。

    

 ここは公爵の領地の中にある小高い森で、直ぐ側には美しい湖があり、森に住む動物が水を飲みに来るので多く、狩りを楽しむには持って来いのスポットだった。

 公爵は、このエメラルドグリーンの美しい森をエンジェルズ・ウィング(天使の翼)と呼び、その側にある澄んだブルーの湖をエンジェルズ・ティア(天使の泪)と呼んで自慢にしていた。

   

 アリエルは、後方で狩りの見物をしている夫人や令嬢方に、冷たい飲み物を運んで歩く。

 女性達は夫や息子、或いは恋人の勇姿を見て黄色い声援を送っていた。

 彼女たちの休む場所には、侍女や近侍によって用意された軽い食事やお菓子、果物などが広げられている。

 アリエルは夫人達の側を通り過ぎながら、内心がっかりして歩いていた。彼女の仕事はご婦人方のお世話ばかりで肝心の男性とは会えもしない。

  

 そればかりか……。

    

「……あの、もし、ちょっとよろしいですか?」

 アリエルの後ろで、おずおずと声がする。

「はい。何でございましょうか?」

 彼女が振り返ると、そばかすのある地味な顔立ちの小柄な侍女が立っている。

「あなたに、我がバイロン子爵家の奥様が、頼み事がおありです。どうか一緒にいらして頂けませんか?」

 気が弱そうな表情を浮かべながらも、強引なこの侍女を、アリエルはげんなりしながら見つめた。

(まただわ、これで何回目かしら?)

「分かりました」

 アリエルは本心を難なく隠し、彼女の後に続いて行く。

 彼女の主人であるバイロン子爵夫人は、狩りが始まると早々に、何かと用事をアリエルに申し付けてきた。

 水が飲みたい、日除けが欲しい、ここにはどんな動物がいるのかなど、一つ一つは大した事ではないが度重なると面倒だ。

 きちんと自分の侍女を連れているのに、何故かアリエルにばかり言ってくる。

(わたし、あの方に何かしてしまったのかしら?)

 しかし、どんなに考えても思い当たる事柄が浮かばない。

 アリエルはこのちょっとした嫌がらせのような行為の理由が、全く分からなかった。

   

 バイロン子爵夫人はアリエルの顔を、まるで品定めでもするかのようにじっと見ている。

 アリエルは頬に笑みを貼り付けて、彼女の前に立っていた。これが初めての対面でもないのに、夫人はいつまでもしつこい視線をこちらに向けてくるのだ。

   

 アリエルは夫人の顔を見るともなく見る。

 彼女は円らな瞳が魅力の、幼さがまだ抜け切らない女性だ。年齢はアリエルとそう変わらないだろう。

 こんなに若く可愛らしい夫人の夫とは、いったいどんな男なのか? 同じ年頃の似合いの夫婦なのか、それともぐっと年の離れた大人の男なのか?

 アリエルはまだ見ぬバイロン子爵に思いを馳せた。

   

「ねえ、あなた。この近くに湖があるのですって?」

 バイロン子爵夫人は可愛らしい声を出した。

「はい。直ぐ側にございます」

「わたし、暑くて仕方ないの。その湖で足でも冷やしたら気持ちいいでしょうね。案内してちょうだい」

 アリエルはびっくりして夫人を見た。てっきり何かを所望されると思っていたのだが。

 夫人は暑いと言った割には、冷えそうな視線を送ってくる。

「ですが、奥様。付近で狩りが行われております。湖に行かれるのは大変危険ですわ」

「そう?」

 子爵夫人は初めてにっこりと微笑んだ。少女のように可憐な笑顔だった。

   

「では、あなたが水を汲んで来てちょうだい」

   

   

   

   


「全く、何が、あなたが汲んで来てちょうだい、よ! わたしは流れ弾に当たってもいいってことかしら?」

 アリエルはブツブツ言いながら湖を目指している。

 幸い今のところ、獲物の動物にもハンターにも銃声にも、会わずにいた。

 アリエルは額に浮かぶ汗を拭い、木の幹に手を掛け登るように歩く。

 そして、木立を抜けると目の前に、鮮やかなブルーが飛び込んできた。

   

「綺麗……」

 暫く彼女は仕事を忘れて景色に魅入る。エンジェルズ・ティアは降り注ぐ陽光を浴びて、美しく輝いていた。

「そうだわ。お水を汲まなくては」

 アリエルは夫人の用事を思い出し、湖の側に近づく。

 彼女は手に持っていた水差しを前に出しながら、屈もうとして体のバランスを崩した。

「あっ!」

(転んでしまう!)

 アリエルは湖の中に落ちる自分を想像し、恐怖のあまり目を瞑った。

    

   

 だが、彼女の体は倒れたりしなかった。

 アリエルは瞑った目を、ゆっくりと開ける。誰かの逞しい腕が彼女を支えているのが見えた。

   

「危なかったね」

 耳元で低い男の声がする。

 アリエルは驚いて顔を上げた。

   

「大丈夫かい?」

   

 美しいサファイアのような瞳が魅惑的な青年が、彼女の体を支えて柔らかく微笑んでいた。




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