21,友情を結ぼう
リチャード・テレンス・セジウィック。
グルム公爵嫡男で、社交界でもその存在を一際輝かせる正真正銘の貴公子。
癖のないブラウンの短髪は明るい色味で、見ようによっては濃いブロンドに見える。少しくすんだグレイの瞳は、柔らかく落ち着いた安心感を他人に与え、彼が雲の上の人物だということをほんの一時忘れさせてしまうくらいだ。
それは彼が、どこかきつい印象の公爵夫人とはあまり似ておらず、温和な笑顔をよく浮かべる現グルム公爵に、風貌が似ているせいでもあろう。
リチャードは光の加減で不思議な色彩を帯びる瞳をふんわりと細め、子供のようにあどけない笑顔を作って、ゆったりと一人掛けのソファーに座っていた。
確かにそんな彼の頭や顔に施された手当ての後は、奇異なものであるかもしれない。だが、部屋の中に漂う落ち着いた空気と共に、リチャード自身の普通で自然な態度が、この度の異常な帰還でさえ違和感を感じさせないのだ。
そんな些細なこと、気にする方がどうかしてると言ってるみたいに。
アリエルは自分を見つめて微笑むリチャードの視線から逃れるように、俯いて座っていた。
なんと現在彼女ときたら、主の真向かいにあるソファーの上に、堂々と腰かけているのである。いや、本当はびくびくとしてなのだが。
ジュールはそんな二人の横で、自分の分を含めた全員分のお茶の給仕をしていた。アリエルには彼の表情を窺う勇気などなかったが、きっと難しい顔をしているに違いない。
いったいぜんたい、どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
「ジュール、もういいだろう? 君も座りなよ」
ジュールがテーブルにカップを置くとリチャードは着席を促した。拒否しても時間の無駄だ。彼がそう考えたのかどうか分からないが、大きいため息のあとアリエルの横に静かに腰を下ろす。
彼が座るとその重みでソファーが沈み込み、アリエルの体に振動と動揺を伝えてきた。
現在彼女が直面しているこの状況は、明らかにおかしいと言えるだろう。
何しろ主と使用人が、同じテーブルにてお茶を楽しむことを強要されているのだから。
しかしいくら私室の中のこととは言え、誰かに見咎められたらどう申し開きをすればよいのか。
「大丈夫だよ。この部屋には誰も来ない。何しろ僕は面会謝絶の怪我人だからね」
リチャードが片目を瞑ってアリエルに合図を送った。彼女の内心など分かってやってるみたいである。
事の起こりは、数年振りに対面を果たせた公爵家子息が、何故かアリエルを酷く懐かしがり自分の部屋に招き入れたことだった。
渋るジュールに彼はご機嫌な笑顔を見せて逆らい、強引に彼女を部屋へと引き込むと同じ席に着くよう気軽に勧めてきた。
使用人が主と同席するなどとんでもない。彼女とて、そこまで舞い上がってなどいなかった。
それゆえ全力で断ったのだが全ては徒労に終わる。
ここには僕しかいないからと、エスコートでもするかのようにアリエルの手を引き、リチャードは彼女を座らせることに結局成功しているのだから。
「君は知らないだろうけど、僕達はよく二人でお茶を頂いているんだよ。ねえ、ジュール?」
リチャードのからかうような声にアリエルは咄嗟に反応した。
「若様とジュールさんが?」
「それやめてくれないか。リチャードでいい」
「で、ですが……」
恐縮して縮こまるアリエルから視線を外し、若き主はテーブルの上に置かれたカーネーションが生けられた花瓶を見て、頬を緩めた。
「花をありがとう。僕はこの花が一番好きなんだよ。可憐で美しいと思わないか?」
「……そ、それは奥様からのお見舞いでございます。奥様は、若……リ、リチャード様のお体を本当にご心配されーー」
話し始めたアリエルの声を、ハハハと妙に高い笑い声が遮る。
「あの人がそんな殊勝なこと、するわけないだろう? 君本人からの心遣いだということぐらい、僕にだって分かるよ」
それはとても冷たい言い方だった。リチャードから放たれた刃のような言葉に、アリエルの心臓は動きを止めそうになった。
今の発言には母親への親愛など欠片も感じられない。何故かは分からないが、凍えそうなほど冷ややかな感情しかないのだ。
黙り込むアリエルの緊張をほぐすように、リチャードは柔らかい声を出して話題を変える。
「君は優しい人だね。さすがジュールが選んだ友人だ。君のことは彼から色々聞いているよ。知らないだろうけど僕は君のせいで、ジュールに振られたこともあるんだからね」
(えっ?)
「リチャード様……、いい加減にお戯れは」
ジュールが咳払いをしながら、渋い声を出す。聞いたこともない低い声だ。
「おやおや君もかい、ジュール? ここには僕達だけじゃないか。いつものようにリッチと呼んでくれて構わないのに」
「ええっ?」
リチャードから繰り出される予期せぬ発言の数々に、アリエルは思わず奇声を発してジュールを仰ぎ見た。
今の言葉が信じられなかった。ジュールが主に、愛称で軽く呼びかけているなんて。
彼は苦い顔をして、睨むようにリチャードを見つめている。彼女の方には視線すら投げかけない。
「ほら見ろ。アリエルが驚いているだろう。君が友人なのに、彼女に何も話していないから」
優雅な仕草でお茶を一口飲むと、公爵家の貴公子は驚くアリエルと苦い顔のジュールを見比べながら、クスクスと朗らかに笑っていた。
その様子は、三人でのひとときをとても楽しんでいるみたいであった。
「ねえ、アリエル」
リチャードの自分を呼ぶ声に、彼女は視線を前へと戻した。
いまだ心臓の鼓動は激しく動いており、新しく耳に入った情報も整理すらままならないでいる。
そんな彼女の状態を公爵子息は知ってか知らずか、更なる爆弾発言を告げてきた。
「それでアリエル、お願いがあるんだ。ジュールだけでなく、僕とも友人になってくれないだろうか?」




