20,憧れとの対面
扉を開けて顔を覗かせたのはジュールだった。
彼は両手一杯に赤いカーネーションを抱えたアリエルを見て、目をしばたたかせる。リチャードの私室にいきなり現れた彼女に、酷く戸惑っているようだった。
「アリエル、どうしたんだい、それ?」
小声で尋ねてくるジュールに、アリエルは微笑んで答えた。
「奥様からのお見舞いの花よ。摘んできたばかりのカーネーションなの」
「お見舞い? ああ、それは……、どうもありがとうございます。見事なカーネーションだね。主もお喜びになることだろう」
一方的に返礼を済ませ花を受け取ると、彼はさっさと扉を閉めかけた。
(ちょ、ちょっと、早いでしょう)
慌てた彼女は、空いた隙間に素早く片足を滑り込ませる。驚いたジュールが急いで手を止めたので、足を挟むことはなかった。
「な、何をするんだ。危ないじゃないか」
ジュールの顔は険しい。どうも本気で怒っているようだ。
「ごめんなさい。だけどあなた、無理やり閉めようとするんですもの。まだ話は終わってないに……」
唇を尖らせてアリエルは不満をこぼす。無謀な行動はやむ得ずしてしまったこと。公爵夫人へ報告をするためにも、何も情報を得ず帰るわけにはいかないのだ。
勿論、そんなこと、彼には絶対秘密である。バレてしまえば尚更追い返されてしまうだろう。
おかしなことに今や彼とは、敵同士のようになってしまっているのだから。
「ねえ、そちらの侍女を呼んで来てくれない? 花瓶を持って来てほしいの。ついでだから、わたしがその花生けてきてあげるわ」
今にも閉め出されそうな雰囲気の中、彼女は背伸びをしながら部屋の奥へと視線を巡らせた。
だが目の前の青年も、負けじと視界を塞いでくる。
「ねえジュールってば、意地悪しないで早く呼んで来てよ」
「侍女はいない」
青年はつれなく言い放った。
「リチャード様のお側には僕しか付いていないから」
「えっ?」
どういうことなのか?
アリエルはポカンと彼の顔を見つめて固まった。
「花は僕が生けておくよ。だからアリエル、君はもうお帰り」
彼は再び彼女を追い出しにかかる。茫然となどしてられない。
「どういうことよ、侍女がいないだなんて。傷の手当ては? さすがに看護婦はいるわよね?」
「看護婦もいないよ。必要ないからね。僕で充分事足りる」
彼は当然だと言わんばかりに尊大な態度で答えた。
「ど、どうして……」
アリエルは軽いパニックに陥ってしまう。彼女は侍女から、リチャードの容体を聞き出そうと考えていた。侍女が無理なら看護婦でも良かった。むしろ看護婦の方が専門的な意見を聞けるだろう。
だが、ジュールしかいないとは。
ジュールでは駄目だ。
彼はグレース直々の命にさえ背いた張本人なのである。アリエルが尋ねたぐらいで口を割るとも思えない。
理由は分からないがジュールの言動は、リチャードの現状を隠したがっているようにも見受けられた。しかも母親であるグレース相手にだ。アリエルには不思議で仕方ない。
だが、彼の思惑が何であれ、このままただ悪戯にやり合っていても埒が明かないわけで……。なんとかしたいが、どうしたらいいのか。
「アリエル、君。何しに来たの? まさか下心があって来たんじゃないだろうね」
ジュールは胡乱な視線を彼女に向けてきた。
「下心? 何よ、それ……」
「違うのか? なら、いい」
冷めきった表情で話を切り上げると、彼は彼女の肩を軽く押してくる。
「さ、もう用事は済んだろう? 早く仕事に戻らないと駄目だ」
「ちょっと待って、止めて……押さないで……よ」
ジュールは本気のようだった。男の力に彼女が敵う訳がない。このままだと、扉の外に簡単に押し出されてしまうだろう。
アリエルは必死になって抵抗した。
「危ないでしょ、お、押さないで」
「いいから、通路へ出るんだ。はしたない振る舞いはよせよ」
「い、嫌よ……、嫌だったら……」
二人が扉の側で醜く押し問答を繰り広げていた時、その声は聞こえてきた。
「どうしたんだ。誰か来ているのか、ジュール?」
部屋の奥から響いてきた、場違いなほど明るい男性の声。
笑いを含んだ陽気な声を出せる人物は、彼女達の他には、この場には一人しかいない。部屋の主、リチャード本人である。
ジュールが慌てたように、後ろへ向かって首を捻り答えた。
「な、何でもございません。すぐに追い払いますから」
(な、追い払うですって?)
彼の乱暴な言い種にアリエルはカチンとくる。気が付けばリチャードへ向かって、衝動的に話しかけていた。
「若様、御前を失礼致します。奥様よりお見舞いの花束をお届けに参りました。お元気になられますように、とのお言葉も言付かっております」
一気に捲し立てた彼女だったが、勿論リチャードからは何の返事もなかった。
「ア、アリエル、君何を……」
突然主の許しもなく発言をした彼女に驚き、ジュールが青い顔で情けない声を出した。
どうしよう。公爵子息を怒らせてしまったのだろうか。
後れ馳せながら、アリエルの顔色もどんどん色をなくしていく。
「すまないジュール、そこを退いてくれないか」
その時、辺りに漂う緊張感を振り払うかの如く、朗らかな声がすぐ側で聞こえ、ジュールの横から別人の手が扉を引いた。
目の前にいきなり現れた長く美しい男の指に、アリエルの心臓は激しく音を立てる。
(まさか……、リチャード様?)
「アリエル……か……」
やがて包帯姿も痛々しい青年が、何やら呟きながら顔を出した。
「アリエルって、君、もしかしてアリエル・オルド? ジュールと一月遅れで入ってきた、あの女の子かい?」
恐る恐る頷くアリエルに、リチャードは眩しげに目を細めた。
「本当か? いや、驚いた。随分、大人になったんだね」
ブラウンの髪から覗く灰色の瞳を輝かせて、公爵家の貴公子は彼女に向かって優しく微笑んだ。




