15,執事の告白
9/7 14時前後に一部文章を増やしました。ラスト近くのアリエルの心情を追加しました。
アリエルが階下にある使用人のための食堂に着いた時、そこには数人の姿があった。
このカントリーハウスの大広間で開かれているパーティーはいまだ終わりが見えず、客人達は自分の私室に休みに戻る気配がない。
彼らの世話をする使用人達は、少しの時間を見つけると、この場所でこっそり休憩を取り疲れた体を癒しているのである。
彼女はその中に、意外な人物がいるのに気が付いた。
「アルフォードさん!」
食堂の中でも一番下座に当たる出入口に近い隅の方で、ロックストーン侯爵家の美貌の執事が目立たぬように座っている。
彼は自分で入れたであろう薄い紅茶をぼんやりと飲みながら、近寄ってくるアリエルに目を向けた。
「あれ、あなたはミス・オルド? 我が主とのお話はもうお済みですか?」
アルフォードは、焦点の合わない視線で彼女を見詰め、ふざけたように笑う。その馬鹿にしたような笑顔に、アリエルはカッとなった。
「今までずっと、こちらにおられたのですか?」
つい彼を、責めるような口調で問い掛ける。
しかしアルフォードは彼女の詰問をさらりと受け流すように、笑顔のまま軽く答えた。
「ええ。わたしは、グルム公爵様の家の者ではございませんからね。主から暫く席を外すよう命じられたら、身を置く場所は限られています」
「だからといって、こんな所にいては……、侯爵様の客間には続き部屋が三部屋もあるのに」
何故、その一室にいないのだろうか? どうりで彼の気配を全く感じなかった。
あんなに、パーティー会場では侯爵の側に張り付いていたというのに。こんなに離れていては、彼の身に何か起こったとしても気が付けないではないか。
それでもいいと言うのだろうか。
「お二人のやり取りが聞こえてくるようなあの部屋の近くになど、何故わたしが……?」
青年執事はフンと鼻を鳴らす。彼の子供のような拗ねた態度に、アリエルは苛立ちを覚えた。
「あなたは侯爵様を、何よりも大事に考えてらっしゃるのかと思ってたわ」
アルフォードの顔から笑みが消えた。
「こんな場所で主から逃げるように隠れていたなんて……、執事としては失格ではないかしら?」
「……執事には、心は不要と仰りたいのか?」
突然低い声を出して青年が唸るように呟いた。
「あの方が何を考えているか、手にとるように分かっていても、その為に我が身の行く末が酷く頼りないものに変わろうとしていても、……全て主のため、望んで受け入れよと?」
彼は薄い琥珀色の瞳を歪ませてアリエルを見上げる。とても、せつなげな眼差しだった。
「そしてすぐ側で変わりゆく主の姿を、甘んじて見詰めていよとそう仰るのですか。フランツ殿の娘である、あなたが?」
「アルフォードさん……」
「わたしには、わたしには出来そうもない……。何故ならこの度のは、いつものお遊びとは違う。あの方が……、カイル様がずっと心に想ってらした方が相手なのだから……」
俯いて震えるように肩を揺らすアルフォードの背中を、アリエルは息を飲んで見詰めた。
「あなた、侯爵様のことを……?」
「おかしいですか? 生まれの卑しいわたしのような者がお慕いするなどと」
アルフォードは嘲笑うように高い声を出した。
「だがわたしにも己の分は分かっております。所詮わたしは身代わりに過ぎないことぐらい、わきまえているつもりです」
「身代わりって、以前もそんなこと仰ってたわね? いったい、どうーー」
アリエルはハッとする。
アルフォードは瞳を曇らせ、淋しげに彼女を見詰めていた。色素の薄い柔らかそうな金髪と琥珀色の瞳。白い肌と頼りなげな表情。 似てる、彼女の大切な人にーー。
「まさか、お父様……?」
思わず口から漏れた言葉に、目の前の青年は苦笑した。
「驚きだ。今頃気づかれるとは……」
「だって……、だって父はもう若くないんですよ。あなたのように若い頃の父の顔など、わたしに浮かぶ筈などないでしょう?」
アリエルは言い訳を口にしながら、羞恥に染まる顔を両手で隠す。そして、薄く微笑を湛える青年の顔を盗み見た。
本当に何故分からなかったのだろう。気づいてしまえば、彼は父にとてもよく似ていた。難しい顔をしている時も、困ったように笑う顔も。ああ、だから懐かしく感じたのだ。
青年は彼女の視線に戸惑ったように顔を反らすと、紅茶を一気に飲み干した。
「あなたに話しても仕方のないことでした。それにどうやら、わたしの予想していたものとは、結末が変わってきているようだし……」
「えっ?」
「あなたの服装は乱れてる。だが、未遂だった、違いますか?」
「え? あの……」
アリエルは慌ててエプロンの結び目を直した。急いでここまで走って来たから、服装の乱れなど頭の中から消えてしまっていた。
「わたしはてっきり、カイル様はあなたを連れ帰るおつもりだと思っていたのです。その為に今夜はあなたをどうにかする気だとばかり……、ですがあの方に、たとえフランツ殿の娘だとしても女性は無理だったのでしょうか……」
アルフォードがサラッと口にした言葉に、アリエルは仰天する。
「な、何ですって?」
では侯爵は、アリエルを自分のものにしたあとは、彼女を自分の屋敷に連れて帰るつもりだったと言うのだろうか。信じられない告白に、心臓が止まりそうになる。
「カイル様の執着心は凄まじいですよ。何十年も忘れたかのように過ごされていましたのに、ついこの間のことです。フランツ殿のご息女の消息をたまたま耳にされましたら、直ぐ様グルム公爵家などと、あの方にはあまりよくない因縁のある方のお屋敷に訪問を決められて……」
呆気に取られたように言葉をなくすアリエルの前で、青年はぼやくように続けていく。
「あなたをご自分のものにしたら、あの方は嬉々としてフランツ殿にご連絡をお取りになったでしょう。如何にフランツ殿とて、娘を人質に取られたらカイル様を無視する訳にはいかないでしょうからね?」
「な、な、な……」
「ああ、ミス・オルド、ご安心を。お父上さえ手に入れば、あなたは解放されていたと思いますよ。そして、わたしもね」
「何てことかしら? 冗談じゃないわ!」
アリエルは顔を赤くして憤った。何だか女としての自尊心が、めちゃくちゃにされたような気分になる。いや、勿論それだけではないが……。
そう、侯爵の変質的な父への執着にも、怒りと不気味さを当然のように感じていた。これはもう、見過ごすレベルのものではない。断固として侯爵には父から、いやオルド家から手を引いてもらいたい。
「ええ、冗談ではありません。確かにそう、お考えになっておられた筈なのに……、何故……、今あなたがここにいるのでしょう?」
侯爵家の青年執事は不思議そうにアリエルを見た。
その時、彼女は急に思い出したのだ。
何故、この場に来たのかを。大事な大事な用事のために、必死の思いで来たことを。
(何てこと、わたしったらすっかり忘れていて……!)
彼女と入れ代わるように、侯爵と部屋に残ったジュール。
彼のことを忘れて、アルフォードと長話をしていたなんて。自分のことばかり、気にしていたなんて……。
何て友人として、あまりに情の薄いことをしていたのだろう。
彼はいつだって、彼女を助けてくれていたのに。
(ごめんなさい、ジュール……)
アリエルは当惑した表情を浮かべるアルフォードの腕にしがみつくと、震える声で叫んだ。
「アルフォードさん、お願い一緒に来て! ジュールが、わたしの友人が大変なの!」




