14,誘われたのは、誰
本当に全然たいした内容ではありませんが、同性愛的要素を含みます。
苦手な方はお気をつけ下さい。
9/11 本文の一部改稿とサブタイトルを変更しました。内容は変わっておりませんが、文章や言い回し等を変えています。
「なんだ、貴様は?」
侯爵は突然部屋へと侵入してきたジュールに、険しい視線を向けた。彼はその美しく光る青い瞳を、今は不愉快そうに歪ませて怒りを露にしている。
目の前に現れたジュールを、アリエルは驚いて見詰めるしかなかった。
何故、彼がここにいるのだろう?
その時の彼女の心の中には、紛れもなく嬉しいと思う気持ちがあった。だが、侯爵の怒りを買ったであろうジュールの身が、危険に曝されているようで喜ぶより不安になる。
自由に動けない体が、たまらなくもどかしかった。上から押さえ付けてくる忌々しい男は、ほんの少しだって彼女のことを楽にさせてはくれなかったから。
「お許しもなく御前に上がりまして、申し訳ございません」
ジュールは侯爵の前まで近寄ると、急いで膝を付き頭を下げる。
「お部屋の前を通りましたところ、悲鳴のようなものが聞こえてきましたので、不届きな侵入者が現れたのかと思い、お助けするべく参上致しました。お返事を頂く余裕はありませんでした」
男は呆れたように溜め息をついた。
「……侵入者はお前だろう?」
だがきつい視線とは裏腹に、その声は随分柔らかいものになっている。
「仰る通りでございます。誠に申し訳ございませんでした。浅はかな行動を、どうかお許し下さい」
ジュールのしたことは、高貴な身分の部屋の主に対し、酷く無礼な行為に違いない。しかし、謝罪をする青年の真摯な姿に、侯爵は怒りの炎を小さくしていったのだろうか。
彼は目の前で頭を下げる近侍が、自分の身を案じて部屋に押し入ったのだと理解したようだった。
仕方がないとでも言うように軽く目を閉じ溜め息を吐くと、逸そ、微笑んでさえ見えるほど穏やかな表情で静かに告げる。
「もう、よい。わたしは何ともないから、立ち去るとよい」
「有り難きお言葉、痛み入ります。ですが……」
だがジュールは、顔を上げ男を正面から見据えると退室を拒んだ。
侯爵の寛大な言葉に対し、いったいどんな申し開きがあるというのだろう。
彼の魅力の一つ、明るく輝くグリーンの瞳が、迷いなく相手を捉え逃がそうとしない。青年に射抜くように見詰められて、侯爵はたじろいでいた。
「何だ、まだ何かあるのか?」
近侍の青年は、ソファーの上で物も言えず泣いている侍女に、素早く視線を動かす。
「閣下のお側におります侍女は、当家の者でございます。その者が何か失礼でも働いたのでしょうか? 先ほどの悲鳴はそのためのものではございませんか?」
ジュールの言葉で、侯爵は驚いたようにアリエルを見下ろした。その態度は、まるで今しがた、彼女の存在を思い出したようにも見える。
彼の下で侍女は苦し気に呻いていた。目には涙が溢れ衣服は激しく乱れている。誰の目にも、一目で暴行を受けていたのが分かるであろう姿。
侯爵は、彼女の口を塞いでいた手を慌てて離すと口を開く。
「ああ、これは……」
侯爵という立場は絶対だ。しかも客人である彼は、使用人でしかないアリエルなど、その気になれば如何様にも扱える。悪いのはいつでもアリエル、理不尽だがそれが身分制度というもの。誰にも咎められることはない。
しかし何故か侯爵の歯切れは悪くなり、ジュールの視線を体裁が悪そうに盗み見るとボソボソと言い訳を口にした。
「無粋なことを聞くな。こう言えば分かるだろう?」
「閣下」
ジュールは口元を柔らかく綻ばせて笑った。その艶やかな笑顔に、男は固まったように動かなくなる。
「その者は、まだほんの子供でございます。あなた様を満足させることは出来ないでしょう」
ジュールは伏し目がちに男から視線を反らすと、恥じらったように頬を染めて小さく呟いた。
「当家には他にも成熟した見目麗しい者がございます。その者達は、閣下のどういったご希望にも沿うことが出来ましょう」
ランプの光を弾いて輝く金髪が、ジュールの顔を隠すようにさらりと前に垂れた。その隙間から魅力的な瞳が見え隠れし、何とも言えない色気がある。
普段の少々横柄なところもある彼からは、想像も出来ないほど頼りなげで従順な表情だった。
アリエルは呆気に取られて彼を見ていた。ジュールは何をする気なのだろうか?
「お前、名は何と言う?」
侯爵はゴクリと喉を鳴らした。彼の青い瞳はジュールを凝視して、邪な輝きを放っている。
「これは大変失礼を致しました。わたくしは当家の主に使えております、ジュール・ギャラモンと申します」
「そうか……」
渇いた声が続いた。
「では、ジュール。お前がわたしの相手をすると言うのか?」
意地の悪い笑みを浮かべて、侯爵はからかうように問いかけてくる。ジュールは目を見開くと、躊躇いがちに応えた。
「わたくしでよければ」
(……何ですって?)
「いいだろう」
ジュールの返答に侯爵は満足そうに頷いた。
彼はもうアリエルに、何の関心も残していないらしい。彼女の上からあっという間に長い足を下ろすと、アリエルを自由にした。そして急な展開に付いていけず呆然としている彼女を無視して、ジュールに歩み寄る。
「ジュールか、美しい名だな」
「ありがとうございます」
侯爵の形のよい指がジュールの金髪に触れる。擽ったそうに青年が目を閉じた。
アリエルは、ソファーの上に慌てて体を起こし彼らを見た。だが目の前の二人は、彼女に全く注意を向けようとしない。
それどころか目を閉じたジュールの顔に、侯爵がゆっくりと近付いていってるではないか。
(止めて!)
「あの、もしっ!」
やむを得ず彼女は大きな声を上げて、二人の行為をひき止めた。
「何だ?」
侯爵から不機嫌な声が漏れる。彼は彼女の方を振り向きもせず言い放った。
「ミス・オルド、君はもう下がるがよい。話はまたの機会に」
そして冷たく冷淡な声と共に、手を上げ扉を指し示した。出ていけと言っているのだ。
(そ、そんな……)
「君」
動揺しているアリエルにジュールが声をかける。視線を向ける彼女に、彼は短く頼み事をした。
「何か摘まむ物を持って来てくれないか。酒の類いは用意してあるから」
扉の近くに、ジュールが運んで来たであろうお酒とグラスが乗ったワゴンが、忘れ去られたように置いてある。
「早くするんだ、いいね」
ジュールはニコリと微笑んだ。その顔は、アリエルに安心していいと言っているようであった。だが彼女は、とてもじゃないが安心など出来ないでいた。
自分が男性を誘惑した時には感じなかった不安を、侯爵と二人きりでこの部屋に残るジュールに感じてしまう。立ち去りがたくて、どうしても足が動かない。
ぐずぐずとしてなかなか動き出さない彼女に、侯爵は苛立ちを募らせて声を荒げた。
「早く出ていけ! もうお前に用はない」
男の恐い顔に体が震えた。これ以上留まることは出来ない。アリエルは足を縺れさせながら扉の方へ歩いて行く。
その彼女の背中に、ジュールの柔らかな声が届いた。
「階下の食堂にいる者に、誰でもよいから僕のことを伝えてくれ。暫く仕事に戻れないと」
アリエルが頷くと、ジュールはホッとしたような表情になった。
その彼の顔に、胸が締め付けられそうになる。ほんの一時、二人は見詰め合った。
しかし後ろから伸びた侯爵の指が、彼の顔を自分の方へと向けて邪魔をした。
アリエルは振り切るように部屋を出る。彼女にはそうするしかなかったのだ。
閉まる扉の向こうに、侯爵に手を引かれて立ち上がるジュールの姿が消えた。
なんとかしなければ、このままではジュールが……。
何の策も浮かばないまま、彼女は焦ったように階下を目指していた。




