13,黒侯爵の秘められた過去 3
文中、女性を蔑視する表現があります。作者は女性で勿論そのような考えはありません。もし、不快に感じる方がおられましたら申し訳ございません。
「仰ることの意味が分かりません。お戯れになるのはお止めくださいませ」
アリエルは侯爵の視線から逃れるように、体の向きを変える。しかしその程度では、粘りつくような男の視線は到底離れてはくれなかった。
「戯れなどではないよ。全部本当のことだ。今まで誰にも話してこなかったが、君には教えてあげよう」
彼は深く息をつくと、過去を思い出すようにゆっくりと目を閉じた。
「当時のオルド男爵、つまり君の祖父殿に当たるフレッド殿が急死された後、フランツが男爵家を継ぐことになった。彼は王宮の職も辞め、宮殿ではもう見かけることさえ出来なくなると、わたしは思った。彼が父親の事業も引き継いだからね。益々手が届かなくなる、わたしは焦っていた」
侯爵は何を言う気なのだろうか? アリエルはきつく両手を握り締めた。
「フランツの結婚話は一旦延期になった。まずは、仕事を覚えるのに必死だったのだろう。だが、わたしにはチャンスとしか思えなかった。あいつが相手なら、赤子の手を捻るように容易いと思った」
「いったい、何を仰りたいのですか? わたしには分かりませんわ」
堪らなくなってアリエルは立ち上がる。だが直ぐさま侯爵が彼女の手を引き寄せ、再びソファーに座らせた。
「ふふ……、落ち着くんだ。……何をしたかと言うとね、彼の会社を罠にかけたんだ。あいつの取引先に囁くだけでよかった。ロックストーン侯爵家という家名は、どこでも力を発揮したよ。実に簡単だった。あいつと取引していたとこは直ぐに手のひらを返し、あっという間にフランツの会社は、立ち行かなくなり不渡りを出した。後はそれを安く買い叩いてやるだけで良かった」
「な、なんですって……」
美酒に酔いしれるように侯爵は艶やかに微笑む。そのどこかなまめかしい顔を、睨むことも出来ずアリエルは見詰めた。力が抜けていくようだった。
「わたしはフランツに連絡を取った。君の力になりたいと、わたしなら助けてやれると……」
「嘘でしょう? では、あなたが……」
「だが、あいつは」
侯爵にはアリエルの声など届いていない。いや、彼女の姿も見えていないのではないか?
「あいつはわたしを無視したんだ! それどころか、あの女、あの役にも立たない女と結婚までした。何故だ? 奴は事業が駄目になり生活は困窮していたのだぞ? それなのに結婚など」
侯爵は大声を出すと頭を抱えた。そして、考え込むような体勢のまま静かになる。
「父にはあなたの助けなどいらなかったのですわ。もしかしたら、あなたの策略にも気付いていたかもしれません」
あの父が、会社を駄目にした人物の正体に、気付いていたとは思えない。多分裏で手を引いていたのがこの男だとは、今でも予想すらしていないだろう。
だがアリエルにとって、そんなことはどうでもよかった。侯爵に一言言ってやりたかったのだ。あなたのしたことは無意味だったと。
「父が母と結婚したのだって、二人の思いが真実だったからこそ。当時母は父との結婚を反対されたそうですが、最後には祖父達を説き伏せたと聞いています」
項垂れるように頭を下げる侯爵に、アリエルは今だとばかりに反撃を始める。侯爵の頭の中から、父の姿を全て消し去りたかったからだ。
「父と母は心底愛し合っていますわ。お互いがお互いを思いやり支え合って。……オルド男爵家は確かに貧しい暮らしをしておりますけれど、とても幸せですのよ。真実の愛に包まれていますもの」
(えっ? 今、わたし……、何て言ったの?)
「真実の愛だと?」
侯爵の頭がゆらりと動いた。彼は白い顔を一層青白くさせて、アリエルの方を向く。
「こちらが黙って聞いておれば、キャンキャンと煩く吠えたておって……」
アリエルはハッと口元を押さえた。感情に任せて攻撃しすぎたようだと、今更ながら気が付いた。
「だから、女は嫌いなんだ! 煩いし、頭は悪いし、臭い匂いを振り撒いて公害を撒き散らすし、化粧などという小細工を顔に施し、余計醜くなっていることに気付きもしないしな! 相手をしないと拗ねて喚く、その一方で、ちょっと発言を指摘すると泣いて怒る、なあ、教えてくれ、これでもお前達に価値があるのか?」
アリエルは侯爵の激しい応酬に息を飲んだ。言葉など出てこない。
彼はそんな彼女を蔑むように見る。冷たい視線だった。気が付けば、最初から侯爵はこんな目で彼女を見ていたのだ。
「ああ、一つあったな。女にも価値が……」
彼はクスリと笑う。
「子供だよ。我々男だけでは、どうにもならん」
「なっ……」
怒りで顔を赤くするアリエルに、侯爵は覆い被さるように近付いてくる。
「随分、余裕があるようだが、お嬢さん。君は自分の置かれた立場が分かっているのかな?」
「な、どういう意味ですか?」
侯爵はどんどん近付いてくる。ソファーの上には逃げ場など、どこにもない。男の長い指が、アリエルの頬をゆっくりと撫でた。
「君はわたしを怒らせた。真実の愛などと不愉快なことを言ってね。愚かな子供には罰を与えねばいけないだろう?」
「そ、それは……」
「今更、謝っても無駄だよ。さて、どうやって君に罰を与えようか。乙女が一番傷付く罰は陵辱かね?」
侯爵は笑いながらアリエルのエプロンに手をかける。それを力一杯引っ張った。
「止めて! あなたは女に興味はないのでしょう? 何故、そんな……」
エプロンを力任せにほどいていた侯爵が、手を止めてアリエルを見上げる。彼の長い黒髪が流れるように落ちて、青い瞳が露になった。その瞳が醜く歪む。おかしくてしょうがないとでも言うように。
「ああ、女には嫌悪しか感じない。ーーだが、君は違う」
「えっ?」
侯爵はアリエルの顔を覗き込んだ。彼の瞳がすぐ側で妖しく煌めいている。
「君はフランツの娘だ。その顔立ちは、あの頃のフランツに生き写しのようだ。髪の色と瞳の色、それさえ目を瞑れば、まるでフランツと共にいるようだよ……」
アリエルは震えていた。もうずっと、震えが止まらなかった。
恐い、恐くて仕方ない。彼女は父の気持ちが分かるような気がした。何故父が泣いてまで彼女の王宮勤めを止めたのか、全てはこの男が原因だったのだ。
侯爵はおかしい。狂っているのかもしれない。この男から、どうやって逃げればいいのか?
震えながらも思案を続けるアリエルを、侯爵は満足そうに見下ろす。
薄くピンクに色付く彼女の頬を愛しげに、彼は右手で包み込んだ。それから目の前の、震えて小刻みに揺れる蕾のような赤い唇に、少しずつ近付いていく。
「ねえ、フランツの娘。君がわたしの手の内にあると知ったら……、さすがにあいつも、わたしを無視出来ないだろうね」
「きゃああぁぁ!」
アリエルはやっと出た叫び声を上げ、必死で暴れた。
侯爵は突然抵抗を始めた娘に驚いて慌てる。
「何だ? 静かにしろ!」
「いやっ! いや! 誰か助けて! 誰か……、ジュール! ジュール、助けて!」
「静かにするんだ!」
侯爵が押さえつけるように乗しかかってきた。彼の重みで息が出来なくなる。だが、声を出すことを止める訳にはいかない。アリエルは夢中だった。
「助けてよ! 助けてよ、ジュール!」
「誰を呼んでいるのか知らないが、助けは来ない。いい加減におとなしくしろ!」
侯爵はアリエルの口を掌で塞ぐと、彼女に馬乗りになる。そして逃げようとする彼女の肩を、もう一方の手でソファーに縫い止め荒い息を吐いた。
「観念しろ、薄汚い女が」
「ううっ……」
アリエルは何も言えなくなった。涙が止めどなく溢れてくるが、拭うことも出来ない。
このまま、こんな男にやられてしまうのか? それとも、もっと酷い目に合わされてしまうのだろうか?
(そんなの、嫌! 助けてよ、ジュール!)
侯爵は静かになったアリエルに苦い笑みを向ける。
「そうだ……、最初から大人しくしてればいいんだよ。そうすればーー」
その時だった。
「失礼します! ロックストーン侯爵、お怪我はありませんか?」
突然部屋の扉が開き、何者かが二人の前へ飛び込んで来た。
涙に濡れるアリエルは、その人物を見て驚く。
部屋へと慌てたように入って来たのは、酷く取り乱した様子のジュールだったのだ。
この物語がモデルと捉えるイギリスのヴィクトリアン時代には、男性も化粧などをしていたようです。勿論、全部ではないとは思いますが。すみません、あまり詳しく調べていません。
わたしが調べたところでは、使用人ですが、フットマンが髪の毛や肌に綺麗に見せる為に、化粧(と言えるのかな?)を施していたようです。他にもあるかもしれません。
そんなこともあるのですが、この物語の世界では、あくまでも男性は化粧をする文化がないということにしております。
長々と言い訳を致しましてすみませんでした。




