1,侍女が夢見るシンデレラ
こんにちは。
突如お話が浮かび、毎日毎日頭の中で主張をしてくるので前のお話は終わっていませんが書いてしまいました…。この話は少し登場人物の年齢がわたしが書く物の中では高いです。ロマンス小説が大好きなのでそんな雰囲気でいけたらなと思います。
*このお話はヴィクトリアンの時代をイメージした異世界物です。時代考証や小物などデタラメです。すみません。
わたしは、絶対幸せな結婚をしてみせる。
そう、子供の頃に読んだあのお伽噺の主人公のように、理想の結婚相手を見つけるわ。
わたしの目指す結婚はズバリ玉の輿。結婚後は経済的に困らない生活をするのよ。
そのために親から貰ったこの美貌をフルに使って、有力貴族の殿方を必ず掴まえてみせるわーー。
だが、現在の彼女は玉の輿の夢からは、程遠いところにいる。
「ねえ、ジュールってば聞いてる? 本当、最悪だったのよ」
朝靄に煙る早朝、初夏の荘園のバラ園に一組の男女の姿があった。
二人がいるのは、グルム公爵が夏から秋にかけて避暑地として過ごす、東の領地にある荘園内のカントリーハウスにあるバラ園だ。
侍女のお仕着せを着たアリエルが、赤く色付く唇を尖らせて隣にいる男性を見上げる。白い肌に大きな褐色の瞳が煌めく、とても美しい魅力的な少女だ。
彼女は、ブルネットに輝く髪を上品にブリムで纏め、服の上には白いエプロンをしていた。
エプロンの胸元は服の上からでも分かる程膨らんでおり、美しい少女のような顔立ちに似合わず女性らしい体型をしている。
腕には朝摘んだばかりのバラを抱いていたが、その見事なバラも彼女の引き立て役に回っていた。
しかし、横の男性は、そんな魅力になど少しも影響を受けていないように見える。
「ちゃんと聞いてるよ、アリエル。だけど勘弁してくれないか。昨夜は遅かったんだ」
彼女の隣で欠伸をしながら答えたのは、近侍の青年、ジュールだ。
彼は朝日に輝くブロンドの髪を乱暴に掻きむしり、眠たげなグリーンの目を擦る。通った鼻筋と締まった唇は今はちょっとだらしない。
だが、背が高く人目を引く顔立ちで、アリエルに負けず劣らず美しい青年だった。
「何よ、あなた。昨夜のパーティーがあんなに遅くまであったのに、まさか、またアンナさんと一緒に過ごしたの?」
アリエルが訝しげに彼を睨む。
ジュールはとろんとした眼差しを彼女に向け、前髪を軽く掻き上げると柔らかく微笑んだ。
アンナは、アリエルと同じくグルム公爵家に仕える侍女だ。
彼女は多くの役目を兼務する侍女で、公爵夫人に付くことが多いアリエルとは仕事で一緒になることは少ない。
十八才のアリエルより、七つ程年上のスラリと背が高い物静かな美人で、少し垂れた目と唇の側にあるホクロが妖艶な色気を感じさせる女性だ。
二十二才のジュールとは、もうかれこれ二年位付き合いが続いており、アリエルは二人の馴れ初めも彼から聞いて知っていた。
だが、アリエルは彼女が苦手だった。
アンナはアリエルに会うと、いつも小馬鹿にしたような視線を送ってくるからだ。
彼女はジュールと関係のある女性とは、どうしてもうまく付き合えないでいた。
「あなたの本命に浮気性なとこがいつかバレるわよ。確か、サラって名前だったわよね? 地元に残してきた許嫁の彼女」
ジュールは驚いたように目を見張る。だが、口元は彼女を面白がるように、いまだ笑みを浮かべたままだ。
「よく覚えてるね。その話をしたのは、僕達がこのお屋敷に入った頃だろ? 確か四年は前だ」
アリエルは頬を薄くピンクに染めると、プイッと横を向いた。
「わたし記憶力がいいのよ。知らなかったのかしら?」
「知らなかったよ。これからは気をつけて、大事なことは発言しよう」
ジュールはそう言うと眩しそうにグリーンの瞳を細めた。それから大きな欠伸をもう一度して、襟元で締められたタイを緩め、ふうっと息をついた。
それは、何だか色っぽい仕草だった。
アリエルは、横で気だるげに昨夜の名残を見せる彼に、胸をドキリとさせる。
ジュールはいつの間に、大人の男のような表情をするようになったんだろう。
いや、出会った時には、彼はもう充分落ち着いた雰囲気があった。
まだ十四才だったアリエルには、四つも上の彼は随分大人に見えたのかもしれない。
あの頃の彼女は、本当にまだ子供だったのだから。
アリエルが彼に初めて会ったのは四年前、公爵のお屋敷に勤め始めた時だ。
ジュールは彼女より一月前に入ったばかりで、二人は自然に仕事の面で助け合うようになっていた。主に助けられていたのはアリエルだったのは、まあ、仕方あるまい。
ジュールは右も左も分からない少女を、放っておけなかったらしい。
お屋敷での生活や、主人家族に対面する時の注意点、使用人同士の付き合い方等何でも教えてくれた。
アリエルは、彼がいたから乗り切れたと言っても過言ではないだろう。
やがて、お互いにプライベートでも相談事をするようになり、いつしか大抵の事は話せる親友のような存在になったのである。
アリエルは彼がこの四年の間に、遊びで付き合ってきた女性とのことも、本人から聞いて知っている。彼も彼女の事を当然知っているのだ。
二人は親友であって、決して恋人ではない。そんな雰囲気になったことも一度もない。
だけど周りは、彼らがあまりにも仲が良いので誤解をする。
そのため、アリエルはジュールの相手に疎まれてしまい、その結果、彼女達とギクシャクすることになるのだった。
「エミリーなんて、あなたと本気で結婚したかったのよ。お陰でわたしはいつも彼女に睨まれてたわ」
アリエルは一昨年辞めた同僚を思い出した。
彼女は彼がプロポーズをしてくれるのを待っていた。
だが、彼は本気になったエミリーを振り、失恋した彼女は故郷に戻って行ったのだ。
「エミリーって?」
ジュールはキョトンとした顔でアリエルを見る。
「え、覚えてないの? あなたと彼女、一時期付き合ってたわよね?」
アリエルは目を丸くして彼を見返した。こんなに早く記憶から抜け落ちているなど、信じられない。
ジュールが不意に顔を逸らして話を向けてくる。
「僕のことはどうだっていいだろう。君は聞いて欲しいことがあったんじゃないの?」
アリエルはハッとして思い出した。そうだった、肝心なことを忘れそうになっていた。
「そ、そうよ、聞いてちょうだい。酷かったのよ」
彼女は今にも掴み掛からん勢いで話し始めた。
白い歯を溢してジュールが笑う。
「いったい、何があったんだい? 君は昨夜、伯爵家のハロルド様に誘われたって張り切っていたじゃないか」
「ええ、そうよ。やっと運命の相手に会えたのかと思ったのに……」
夢にまで見た玉の輿の相手に!
アリエルは腕のバラをブンブン振ると、大袈裟な程ガックリと首を垂れた。
「でも現実は違ってたわ。あの方は全然、駄目だったの」
アリエルは、昨夜開かれたグルム公爵主催のパーティで、カダール伯爵家の子息ハロルドに部屋へのお茶を頼まれた。
昨夜の彼女はパーティーの間、公爵夫人付きを解かれ客人達の接待をしており、その際ハロルドに声を掛けられたのである。
ハロルドはいかにも貴族の息子という感じがした。余裕のある人間が持つ堂々とした印象と、その態度に彼女は胸がときめく。
この人こそ、もしかして……?
アリエルには分かっていた。これが、本当にお茶を望んでの命令ではないことは。
彼女はこの四年、何度も経験していたのだから。
そして、その度に相手を胸の天秤に掛けて、誘いに乗るかやめるかを選んできた。
今回のハロルドは家柄、財力、外見、どれをとっても今までの中で最高の相手に思えたのである。
彼女は逸る胸を抑えて、彼の部屋のドアをノックした。
「ところがね、イザとなるとあの方、臆病風に吹かれてしまわれたの」
「なんだって?」
ジュールは呆気にとられた顔をしている。
「何だか初めてだったらしく困り果ててしまわれて、……その内、母上様を気になされ出すと今度はわたしを追い出しにかかるのよ。あの方、マザコンだったのよ! 信じられないでしょ? いい大人の貴族の男性が!」
ジュールは興奮して荒い息を吐くアリエルを、宥めるように優しく言う。
「アリエル、男の中には母親を大切に思う気持ちがあるんだ。君だって父上殿や母上殿のことをよく話しているだろう?」
アリエルはぐっと詰まりながらも赤くなって反論する。
「あら、わたしはファザコンでもマザコンでもないわ。両親のことを心配こそすれ、一々頼ったりしないもの」
彼は穏やかな目を彼女に向けて、頭を下げる仕草をした。
「ああ、そうだったね。君は立派に自立している。失礼なことを言った。許してくれ」
「あ、あなたにそんなことを言われると落ち着かないわ。だ、だってあなたには、今だに頼っているんですもの」
アリエルは頬を染めたまま彼から視線を逸らし、せわしなく身じろぎをしてごまかした。目の前で恥じらう彼女を、ジュールは優しく見つめる。
「それはいいんだ、いつでも頼ってくれて。僕らの仲だろ? 遠慮しないでよ」
彼はグリーンの瞳を細めて破顔した。
アリエルはそんな彼をチラリと見て、こっそりとため息を吐く。
彼は自分の言動がどんなふうに相手の目に映るのか、気にもしてないらしい。それは思うより多くの人間に誤解を与えるのだ。
彼が他人に与える誤解、それはつまり、ジュールは自分に好意を持っているのではないか、という物だ。
アリエルは、この四年で彼のことをよく理解している。だから間違えたりはしないけど、他の人間は頻繁に勘違いを繰り返していた。
「とにかく、ウブでマザコンな方はわたしに本気になったりしないわ。彼はわたしの相手ではなかったのよ」
アリエルはジュールの視線を振り切るように言い切った。
「ウブな方だって? そういう男こそ一端嵌まったら、のめり込むんだよ。君のテクニックで虜にしてしまえば良かったのに」
彼はニヤリと笑い、さも惜しいことをしたと言わんばかりだ。
「テッ! …… クニック…は……使う暇もなかったわよ。部屋から追い出されたんだから。あんなことは初めてだったわ」
アリエルは慌てて言い返した。頬の赤みは取れそうにもなかった。うるさく騒がしい動悸が、目の前の相手に聞かれないことを必死に祈るだけだ。
「君ともあろう人がだらしない」
ジュールが呆れたようにしつこく言う。
「そ、それだけじゃないわ。あの方とよくお話をしたら、ハロルド様ってご次男でらしたのよ。おまけに跡取りのご長男は既にご結婚されてるのですって。それでは意味がないとは思わない? 次男では駄目なのよ、次男では!」
興奮していたアリエルは、胡乱な目付きのジュールに気がつくのが遅れた。
「……あ、あら、あなたも確か次男だったわね」
焦ったように彼女は笑う。
ジュールはそんな彼女を一瞥すると目を閉じた。
「ああ、だが僕はハロルド様とは違う。しがない商人の次男坊さ」
そしてふいっと横を向いた。前髪に隠れて涼やかな目元が見えなくなった。何だか拗ねてるようだ。
「……ジュール……」
「確かに君の言う通り、ご次男のハロルド様は伯爵家の後継者ではない。あの方はもうすぐ軍に入隊されると聞いたよ。だがご実家の権勢を考えれば、ハロルド様はすぐに昇格して重要なポストに就かれるだろう。君、逃がした魚は大きかったんじゃないのか?」
彼はにっこり笑って振り返った。
アリエルは空いた口が塞がらない。心配して損をした気がする。やはりジュールの表情は当てにならないのだ。
「ぐ、軍人なんて、危険な仕事だわ。夫が亡くなったら困るじゃないの」
「そんなことはない。逝去した軍人には国王陛下から特別恩赦が出る。遺族は生活に困ることはないと思うよ」
アリエルの剥れた顔を見て彼は苦笑した。
「まあ、軍人は君の本意ではないだろう。なんてたって君が目指すのは、『シンデレラ』だもんな」
アリエルはその言葉に俄然勇気が湧いてきた。
「そうよ。わたしは理想の王子様に嫁ぐのよ。軍人なんて、目じゃないわ。ちゃちな男はお断り! 今は冴えない侍女だけど、いずれは公爵夫人になって見せるわ」
興奮していたため、思わず言葉使いが荒くなる。
彼は目をパチクリとさせた。
「随分大きく出たね」
ジュールの飄々とした態度に、アリエルは今更ながら恥ずかしくなって俯いた。
「だって、わたしの一番の理想は旦那様のご嫡男、リチャード様なんですもの。この度の避暑にはお出でにならなかったけど、夢ぐらい見たっていいじゃない」
「リチャード様は、王都の別宅に入り浸っておられるからな。特にお母上である奥様を苦手に思われてるし。今回のパーティーも本来はリチャード様の結婚相手を見つけるものだったが、肝心のご本人がおられなくて、奥様は不機嫌でいらしたね」
「リチャード様の結婚相手ですって!」
「そうだよ。君、気づかなかったの? お陰でズラリといらしてた、ご令嬢方のガッカリした顔ときたら……」
彼はそこで言葉を切り、アリエルの顔をじっと見た。
「何よ?」
「いや、あの会場で君を見たご令嬢方は、更に顔を青くさせていたなと思って。君は侍女のお仕着せを着ていたのに誰よりも目立っていた。あの場にいた男は皆、君に目を奪われていたよ」
ジュールは昨夜のパーティーを思い出すように、目を瞑って語る。
お陰でアリエルの顔がどうしようもなく歪んでしまうことに、気づかれずに済んだ。
「奥様が君を側に置かず、お客様の相手をさせたのも分かる気がするな。殿方の目を君に向け、目ぼしいご令嬢には是が非でもリチャード様を引き合わせたかったんだろう」
ジュールが目を開けて、再び彼女を見つめてくる。彼の視線を感じてアリエルは慌てて言葉を紡いだ。
「何よ、それ。わたしは虫除けではないわよ」
「そうだな。君は侍女に扮しているけど立派なご令嬢の一人だ。本来なら僕などが、こうして気軽に口を聞ける相手ではなかった」
「そうよ。わたしはオルド男爵家の一人娘。こう見えても貴族の端くれなのよ。あなたやっと思い出したのね」
アリエルは胸を張る。彼女の胸元でバラがクルンと揺れた。