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「何も起きなかった日は、仕事とは言わない」と婚約破棄された私の、最後の一日です

作者: 中身無男
掲載日:2026/08/08

「何も起きなかった日は、仕事とは言わない」


 建国祭の壇上で、婚約者のジュリアンはそう言った。


「お前がいた七年で、一度でも何か起きたか?」


 一度もない。


 私が、そうしてきたからだ。


「だから婚約は破棄する。私は、晴れの聖女ルチアと結婚する」


 満員の観客席から、どよめきが上がった。


 彼の隣には、白い衣装をまとったルチアが立っている。


「見ろ、この広場を。これほど人を集めた建国祭はない」


 ジュリアンが観客席を見渡す。


 壇上では、金糸の建国旗が風を受けていた。


「今日を、新しい建国祭の始まりにする。これからは天候に予定を左右される必要もない」


 拍手が起きた。


 私は胸に抱えた三枚の雲図へ目を落とす。


 三日前、二日前、昨夜。


 雨雲の位置と厚み、風向きを書き込んだものだ。


 観測所で風と雲を読み、雨がどこで降るかを決めるのが私の仕事だった。


 うまくいった日には、何も起きない。


 七年前、彼が初めて任された祝賀式典を、私は雨の前へずらした。


「君のおかげだ」


 それから彼は行事のたびに雲図を見に来るようになり、その年の終わりに婚約を申し込んだ。


「これからも、私の隣で空を見てほしい」


 けれど、何も起きない日が続くほど、彼は雲図を見なくなった。


 一度、人に任せた観測で間違いが出たときには、お前が見ていれば起きなかった、と言われた。


 それ以来、夜の観測を誰にも渡していない。


 昨夜も、そうやって今日の風を読んだ。


 東へわずかに傾いている。


 城壁の外の雲は集めず、風に乗せたまま流す。


 夕方に細く裂いて、十日雨のない麦畑へ落とす。


 それが今日の予定だった。


 私は雲図を差し出した。


「今日は、雲を一つに集めないでください」


「始まる前から水を差すな」


「散らしたまま流せば、それで済みます」


「だから、お前には任せないと言っている」


 紙を持つ手に力が入った。


「夕方には、私が分けて麦畑へ降らせます」


 ジュリアンは一度も雲図を見なかった。


「必要ない」


「ルチア」


 ジュリアンが手を差し出した。


「皆に見せてくれ」


 ルチアが壇上の中央へ進む。


 その力を一度でいいから観測させてほしいと、私はジュリアンに頼んでいた。


 晴らしたあと、押し出された雲がどこへ行くのかを確かめたかった。


「晴れるなら、それで十分だろう」


 彼は取り合わなかった。


 ルチアが空へ両手を掲げた。


 白い光が指先から広がる。


 散っていた雲が寄った。


 重なる。


 一つの黒い塊になる。


 次の瞬間、その塊が城壁の向こうへ押し出された。


 青空が開いた。


「すごい!」


「晴れた!」


「聖女様!」


 歓声が膨らんだ。


 ジュリアンが笑う。


「皆さま、ご覧ください! これが、晴れの聖女の力です!」


 拍手が一段大きくなった。


 私は青空ではなく、押し出された雲を見ていた。


 消えていない。


 一つに集められただけだ。


 風は東へ向いている。


 黒い塊が流れていく。


 速い。


「ヴェロニカ様」


 壇上の近くから声がした。


 一人の農婦が、乾いた麦穂を胸に抱えている。


「祭りのあとには、畑にも雨をいただけるんですよね。もう十日、待っておりますので」


 後方では、まだ聖女への歓声が続いていた。


「はい。本来なら、今日の夕方に」


 三枚の雲図を重ねる。


 昨夜の雲。


 今朝の風。


 今、押し出された方向。


 線の先を見る。


 下町。


 喉の奥が冷えた。


「……ヴェロニカ様?」


「あの雲は、どこへ行くんです」


「下町です」


「え?」


「このままなら、下町の上で降ります」


 農婦が息を呑む。


「どれくらい……?」


 雲の厚みを見る。


「一度に落ちれば、古い屋根は抜けます。通りにも水が溢れます」


「妹が下町にいます」


 農婦の顔色が変わった。


「知らせないと」


 麦穂を抱えたまま、人の間へ駆けていった。


「下町だって?」


「うちの母がいる」


 壇上の近くにいた者たちが立ち上がる。


 後方では、まだ事情を知らない者たちが拍手を続けている。


 広場の前だけが騒がしくなった。


「何を騒いでいる」


 壇上からジュリアンの声が飛んだ。


 私は彼へ向き直る。


「ジュリアン。祭りを中止してください」


「何を言っている」


「雨雲は下町へ向かっています」


「空を見ろ。晴れているだろう」


「だからです。雲はなくなっていません」


「必要ない」


 ジュリアンが観客へ声を張った。


「空は晴れている! 建国祭は予定どおり続ける!」


 事情の届いていない後方から拍手が返る。


「万一、被害が出たなら、主催者である私が責任を取る」


 壇の脇にいた男が一歩前へ出た。


 祭りの警備責任者、テオドールだ。


「警備責任者として確認いたします」


 携行帳を開く。


「開始前、ヴェロニカ嬢より、雲を一つに集めてはならないとの警告があった。間違いありませんか」


「はい」


 私が答える。


 テオドールが書き留めた。


 次にジュリアンを見る。


「そして今、被害が出た場合は主催者として責任を取ると発言された。こちらも間違いありませんか」


「そう言った」


「承知しました」


「好きにしろ」


 ジュリアンは苛立ったように吐き捨てた。


 そして私を見る。


「ルチアは、今ここで空を晴らせる」


 青空を指した。


「歓声も上がる。誰の目にも成果が分かる」


 その指が、今度は私の雲図へ向いた。


「お前の七年で残ったものは何だ?」


 雲図を持つ手が震えた。


「何も起きなかった。それだけだ」


「そうですか」


 指輪を抜いた。


 壇上へ置く。


 硬い音がした。


「では、今日で最後ですね」


 私は雲図を抱え直した。


「下町へ行きます」


「待て」


 階段へ向かう。


「誰が許可した!」


 振り返らなかった。


 階段を下りると、テオドールがいた。


「雨雲が下町へ届くまで、あとどれほどですか」


「四十分もありません」


「分かりました」


 テオドールはすぐ警備隊を見渡した。


「ここに残る八名は観客を誘導! 残りは下町へ! 家ごとに声をかけ、動けない者を優先しろ!」


 兵たちが動き出す。


「テオドール!」


 ジュリアンが壇上から怒鳴った。


「祭りの主催者は私だ!」


「観客の安全は私の権限です」


「祭りは終わっていない!」


「安全を確認できない以上、続行させません」


 テオドールは私へ向き直る。


「ヴェロニカ嬢は空を見ていてください。地上はこちらで動かします」


 一度、息を呑んだ。


 全部を自分で見なくてもいい。


「……お願いします」


「承知しました」


 満員だった広場から、人の流れが外へ向かい始める。


 私たちは下町へ走った。


 背後で楽団の音が止んだ。


 東の空から、低い雷鳴が響いた。



     *


「雨なんて、まだ降っていないじゃないか!」


「降ってからでは遅い! 石段を上って!」


 下町の西端には、高い街路へ続く石段がある。


 警備兵たちは家々の戸を叩き、住民をそこへ誘導していた。


 空にはまだ陽が差している。


 逃げろと言われても、信じられない者がいるのも無理はない。


 けれど屋根の向こうには、黒い雲が見えていた。


 さっきまで建国祭の上に散っていた雲だ。


 今は一つの大きな塊になって、下町へ迫っている。


「残っている家を確認しろ! 動けない者を先に!」


 テオドールの声が通りに響く。


 警備兵が二手に分かれた。


 先に広場を飛び出した農婦は、一軒の戸を叩いていた。


「開けて! 私よ!」


 扉から女性が顔を出す。


「姉さん?」


「来て!」


 農婦が妹の手を取った。


 二人を警備兵へ預けると、私は物見台へ駆け上がった。


 三枚の雲図を広げる。


 黒い塊の先端は、もう下町の上へかかっていた。


「東端の物置、屋根が損傷! 中は無人!」


 下から兵の声が上がった。


 先端の雨だけで、古い屋根が抜けている。


 これが中心ごと落ちれば、物置一棟では済まない。


 全部を一度にどうにかしようとしてはいけない。


 まず端を削る。


 魔力を伸ばす。


 黒い縁に細い裂け目が入った。


 裂けた部分から、弱い雨を落とす。


 民家の瓦は持っている。


 雲の中心を二度裂いた。


 どちらも、すぐに閉じた。


 普段なら数日かけてほどける雲だ。


 けれど、あと二十分もない。


「……間に合わない」


 なら、残った水をどこへ落とすか決めなければならない。


 麦畑へ一度に落とせば、十日雨を待った麦を今度は水で潰す。


 下町には落とせない。


「他に、水を受けられる場所は……」


「建国祭の会場があります」


 階段を上がってきたテオドールが言った。


「あそこに?」


「石床の下に、城外へ水を逃がす排水路があります。警備の準備で今朝も見ています」


「この量でも?」


「会場の中へ落とせるなら」


 ついさっきまで、満員の観客で埋まっていた場所。


 今なら、人さえ退避させれば使える。


 麦畑にも、下町にも落とさずに済む。


 残っているのは、そこだった。


「会場へ落とします」


「分かりました」


 テオドールは、なぜとは聞かなかった。


「人は私が動かします」


 彼は階段を下りながら声を張った。


「広場を空にしろ! 全員、石廊より上へ!」


     ◇


「触るな! 私は祭りを中止していない!」


 広場からジュリアンの怒鳴り声がした。


 まだ壇上に残っている。


 二人の警備兵が左右から近づいた。


「退避してください」


「私が主催者だぞ!」


「安全確保が優先です」


「離せ!」


 抵抗するジュリアンを、兵たちが石廊へ連れていく。


 ルチアも別の兵に促され、階段を上った。


 途中で、下町の方を見る。


 下町の屋根の上に、黒い雲が低く垂れ込めていた。


「あれ……」


 足が止まりかける。


「お進みください!」


 兵に促され、ルチアは階段を上る。


「あれが、わたくしの動かした雲……?」


「そうです」


 近くの兵が答えた。


 ルチアの顔から血の気が引いた。


 最後の警備兵が広場を出る。


「退避完了!」


 テオドールが私を見る。


「人はいません」


 黒い雲が会場の上へかかった。


 もう待てない。


「落とします」


 三枚の雲図を重ねる。


「止めろ!」


 石廊からジュリアンの声が飛んだ。


「ヴェロニカ! 何をする!」


 会場の上に来た雲の底を開く。


 雨が広場を白く消した。


 轟音が響く。


 水が壇上の脚をのみ込み、観客席の下へ走った。


 椅子が浮く。


「やめろ! それがいくらかかったと思っている!」


 ジュリアンの叫びを雨音が呑み込む。


「私の祭りだぞ!」


 木の壇上が大きく軋んだ。


 中央から折れる。


 壇上に掲げられていた建国旗が傾いた。


 七十年、祭りのたびに掲げられてきたそれが、支柱ごと折れる。


 金糸の紋章が濁った水へ沈んだ。


 私は空を見続けた。


 まだ終わっていない。


「下町は」


 テオドールが下の兵へ声を張った。


「負傷者は!」


「ありません!」


 息が抜けた。


「……よかった」


 雲の中心は、ほとんど消えている。


 残っているのは、薄く散った雲だけだ。


 これなら扱える。


 今度こそ、最初に決めていた場所へ届けられる。


     ◇


 西門の外へ出た。


 乾いた麦畑が広がっている。


 残った雲を細く裂く。


 一筋。


 もう一筋。


 乾いた土に黒い点が生まれた。


 点がつながり、細い雨の境目が畝を進んでいく。


 同じ畑の中に、乾いた麦と、雨に濡れた麦が並んだ。


 西門の脇に、先ほどの農婦がいた。


 胸には、まだ乾いた麦穂を抱えている。


「あなた!」


 彼女が畑へ駆けていった。


 一人の農夫が振り返る。


 細い雨が二人のところまで届く。


 農夫がしゃがみ込み、濡れた土へ手を触れた。


 農婦もその隣へ膝をつく。


 頬が濡れていることに気づいた。


 ここまで雨は届いていない。


「雨が強くなってきましたね」


 テオドールが、畑を見たまま言った。


「……そうですね」


 私は頬を拭った。


 彼は、こちらを見なかった。


「届きましたね」


「はい」


 細い雨は、麦畑の奥へ進んでいった。


 ジュリアンのために空を見る日は、これで終わった。



     *


「この内容で出す」


 建国祭の翌朝。


 広場に面した詰所で、ジュリアンは事故報告書を机へ置いた。


 窓の外には、まだ濁った水が残っている。


 中央から折れた壇上が、その中に沈んでいた。


 室内にいるのは、ジュリアン、ルチア、私、テオドールの四人。


 事故報告書には、現場にいた私とルチアの確認署名が必要だった。


 原因欄には、


『雨雲を集中させた危険性について、事前の説明が不足していた』


 と書かれている。


「私は署名しません」


 紙をジュリアンの前へ戻した。


 彼の顔が険しくなる。


「私は『雲を一つに集めるな』とは聞いた。だが、下町が危険になるほどだとは聞いていない」


 私は何も言わなかった。


「それだけだろう!」


 ジュリアンが机を叩く。


「私は天候の専門家ではない! そこまで危険なら、分かるように説明するのがお前の仕事だったはずだ!」


 テオドールが机へ帳面を置いた。


「では、記録を確認します」


 昨日の携行帳をもとに清書された、正式な警備記録だった。


「開始前、ヴェロニカ嬢より、雲を一つに集めてはならないとの警告。雲が下町へ向かった後には、屋根が抜けるほどの雨量になると説明しています」


 顔を上げる。


「ジュリアン殿も、その場にいました」


 さらに記録を読む。


「その直後、中止の要請。ジュリアン殿は続行を決定し、被害が出れば主催者として責任を取ると発言されています」


 帳面が閉じられた。


「以上です」


 ジュリアンは何も返さなかった。


 記録の話が続くのを避けるように、隣のルチアへ顔を向ける。


「君は気にしなくていい。私が晴らしてほしいと頼んだ。君は求められたことをしただけだ」


「いいえ」


 そこで初めて、ルチアが口を開いた。


「わたくしは、聞いていました。雲を集めてはいけないことも、夕方に麦畑へ降らせる予定だったことも」


「だが君は――」


「それでも晴らしました」


 目に涙が浮かんだ。


「皆さまが喜んでくださって、成功したと思ったんです。押し出した雲の先を、確かめようともしませんでした」


「君は知らなかったんだ」


「知らなかったから仕方がない、では駄目です」


「君まで責任を認める必要はない」


「力を使ったのは、わたくしです」


 ルチアは事故報告書をジュリアンの前へ戻した。


「わたくしも、事実と違うものには署名しません」


「ルチア、君は――」


「わたくしは、もうあなたに頼まれて力を使いません」


 それだけ言うと、ルチアは口を閉じた。


 ジュリアンは何か言いかけ、やめた。


 報告書を引き寄せる。


 少し黙ったあと、苛立ったように息を吐いた。


「なら、聖女など要らない」


 私を見る。


「ヴェロニカ。お前が戻れ。七年、それで回っていたはずだ」


 ルチアは、まだ同じ部屋にいた。


 彼は一度も、そちらを見なかった。


「私が費やした七年を、無駄にする気か」


 あまりに当然の口調だった。


「婚約破棄も、なかったことにしてやる」


 してやる、と彼は言った。


 当然、私が頷くと思っている顔だった。


「今、分かりました」


「何がだ」


「あなたにとって、誰が空を守ったかなんて、どうでもよかったんですね」


「私が何日かけて雨を避けても、何も起きなければ誰にも見えない」


 風を読む。


 雲を裂く。


 先に手を打てば、危険があったことすら誰も知らない。


「だから、その仕事を自分の手柄にしても困らなかった」


「結果を示せる者を評価して、何が悪い」


 迷いのない返事だった。


 七年前、なぜその時刻なのかと聞いた人は、もういない。


「だったら、一度だけ言ってください」


「何をだ」


「何も起きなかった日も、私の仕事だったって」


 ジュリアンは私を見た。


「今さら、そんなことに何の意味がある」


 胸の奥に残っていたものが、静かに切れた。


「……そうですか」


 報告書を彼の前へ押し戻す。


「事実のとおりに書き直してください。そうでなければ署名しません」


「待て」


「私の話は終わりました」


 テオドールを詰所に残し、私は階段を下りた。


 広場の中央にはまだ水が残っている。


 端では人夫が濡れた板を運び、その脇を家へ戻る人々が通っていた。


「ヴェロニカ!」


 ジュリアンが追ってくる。


「待てと言っている!」


 人夫が手を止めた。


 家へ戻る途中の男が足を止め、隣の女へ言った。


「昨日あの人が来なかったら、うちの通りは沈んでたよ」


「お前までいなくなったら、私はどうなる!」


 声が広場へ響く。


「次の行事はどうする! 雨が来るなら、いつ開けばいい!」


 ジュリアンの声が上ずった。


「ルチアは――」


 そこで止まった。


「……誰が、空を見てくれるんだ!」


「それを、七年間、私がしていました」


     ◇


 その日のうちに、事故報告書は事実のとおりに書き直された。


 警告を受けながら祭りの続行を命じ、避難を止めようとしたことも記された。


 ルチアと私も内容を確認し、署名した。


 三日後、ジュリアンは建国祭の主催者を解任された。


 人命より祭りの続行を優先した判断を理由に、今後、王都の公的な祭礼を任されることもない。


 会場の再建と、中止に伴う補償も、主催者として負うことになった。


 委員会の席では、出演者と商人、下町の住民へ頭を下げることも求められた。


 それが、ジュリアンが人前に立った最後の日になった。


 ルチアは聖女の称号を剥奪された。


 力の行使は、公私を問わず禁じられた。


 破れば、王都への立ち入りそのものを失う。


 解除の条件は示されていない。


 建国祭の被害の一部は、聖女として受け取ってきた報酬から返還された。


 残りは、彼女の生家が負う。


 王都を出る前日、ルチアは詰所へ来た。


 目が腫れていた。


 深く頭を下げたまま、動かない。


「下町の東端で、屋根が一つ落ちました」


 私はそれだけ言った。


「中には誰もいませんでした。落ちたのは、それだけです」


 ルチアの肩が震える。


「それだけで済んだ理由を、これから考えてください」


 顔を上げたとき、彼女はもう何も言わなかった。


     ◇


 一か月後。


 観測所の私の机には、王都から三日かかる農村から手紙が届いていた。


『来週まで雨を待ってよいでしょうか。それとも、明日から井戸の水を使うべきでしょうか』


 私は雲図を開いた。


 窓辺には、麦穂が一束置かれている。


 建国祭の日に見たものより色が濃く、穂には重みがあった。


 扉を叩く音がした。


「どうぞ」


 入ってきたのはテオドールだった。


「今日は、職務とは関係のないお願いがあります」


「はい」


「仕事のない日に、あなたを訪ねてもよいでしょうか」


「空の相談ではなく?」


「はい」


「警備でも?」


「ありません」


 それ以上は言わなかった。


 私の答えを待っている。


 麦畑で、最後までこちらを見なかった横顔を思い出した。


「では、次の休みに」


 私から言った。


「西門の外を歩きませんか」


 テオドールが少し目を見開く。


「よろしいのですか」


「今度は、仕事ではなく」


 彼が笑った。


「はい」


「天気は、どうしましょう」


「雨の日でも構いません」


 窓の向こうで、麦畑へ細い雨が渡っていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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感想もいただけましたら嬉しいです。


「何も起きなかったことも、誰かが何かをしてくれていた結果かもしれない」


そんなことを考えながら書いたお話でした。


ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

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