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鑑の王国

作者: 酒園 時歌
掲載日:2026/03/05

 そこは、国中に鏡が貼られた王国でした。街に並ぶお店のガラスさえ、いつもぴっかぴかに磨かれて、まるで鏡のようにはっきりと外の景色を反射します。

 鏡は、『いつでも自分を省みることができるように』と、人の往く至る所に張り巡らされていました。

 そこには、品行方正で礼儀正しい人、優しくて思い遣りのある人、身なりの綺麗な人、所作が美しい人、等々、見ていて気持ちの良い姿ばかりが映し出されます。どこを見ても、きらきら、はきはき、人々の明るく元気な様子が眩しい程に照らし出され、続きます。

 それは、他の国から訪れた人々が、揃って『羨ましい国』と口にする程でした。ここは羨望の眼差しや称賛の声が後を絶たない、『素晴らしい国』だと有名です。

 ――――ところが。

 例え鏡に囲まれていようとも、あまり人目に付かない場所では、そうでもないこともありました。

 不正、不義、侮蔑、等々。

 そういうことについて隠れて悩んでしまう人もいますが、表立って誰かに相談をすることもはばかられます。もし、そんなことをしてしまったら、せっかくの素晴らしい国の景観を損ねてしまうからです。

 鏡に映る姿に、暗い表情や不安な様子はご法度なのです。

 そこで。

 そういった悩みの相談役として、この国の外れにある小さな建物には、『助言師』という役職の人が配属されました。

 そこの扉を開ければ、頭上でベルのが鳴り、仄暗い室内に外で行き交う明るさが差し込みます。珍しく鏡の見当たらない、小さな窓から日の光がうすらとにじむだけの部屋の中、奥まった場所に引かれた黒い幕をくぐれば、そこにはぼんやりと灯るランプが置かれた長机が一つ、そして、少し離れた端同士で対面する椅子の向こう側には、一人の人物がきちんと座って、客人を待ち受けているのです。

 そして。

 今日もまた一人、次の客人が国の景観に紛れて、その建物を訪れました。



 扉を閉めれば、仄暗い空間に、明るかった表情が溶け込みました。不安で曇った目が下を向き、口元が戦慄わななくようにゆるみます。

 進んだ先、幕の中に自身の姿が隠れると、意図せず挨拶よりも先に震えた声が、ひくり、小さな嗚咽おえつこぼしました。それを追うように、いくつもの涙が次から次へ、あふれ出してきます。

「ああ、まあ、安心なさい。落ち着くまで待ちましょう。まずはお掛けください」

 目の前にある机の反対側から、優しく包み込むような、穏やかな声が聞こえてきました。

「ここを訪れる者は皆そうなるのです。ええ、よくあること。ですから、思い切り、心ゆくまで、存分に泣いてよいのです。――――ここは、そういう場所なのですから」

 その言葉を皮切りに、せきを切ったように、客人は声を出してわんわんと泣きました。椅子に座るよりも先に、崩れ落ちるようにしてもたれ掛かり、突っ伏して、しゃがみ込んでしまいます。

 助言師は黙って静かに、客人が十分に気持ちを発散できるまで、ただ待ちました。

 そして、しばらくして。

 途切れ途切れのすすり泣きにまで落ち着くと、客人はまだ震える呼吸を整えながら、ようやく椅子に座りました。

 そして、机に目線を落としたまま、机の下で少し両手をいじってから、やっと、小さく言葉をこぼしました。

「……ああ、聞いてください助言師様。国から遣わされた、我々を救済なさるおかたわたくしには悩みがあるのです。持ってはならない感情が、想いが、どうしても拭えないのです。どうか、どうか、お助けください。私は、どのようにすればよろしいのでしょうか」

「おや、おや。これはまた。さて、どうなされました?」

 助言師は机に肘を突き、組んだ手に顎を乗せると、身を乗り出して訊きました。

 こくり、客人は小さく頷くように一息飲んでから、おずおずと、再び口を開きました。

「……ひ、他人ひとの悪口を言ったり、噂話を作ったり、嫌がらせをしたり、面倒事を押し付けて、成果だけ奪っていったり。そんな人達が、私の周囲にはいるのです。彼らはとても楽しそうなのですが、私はどうしても、それらが大嫌いなのです。ですが、大人になって、働きに出ても、そういう人は周りに沢山いたのです。……もう、耐えられません」

「おお! それは、それは」

 助言師は、大仰に驚いて見せました。

「さぞや、おつらかったことでしょう」

 親身に寄り添うように、まるで自分のことを悲しむような声色が、小さく消え入るように客人に届きます。

 客人はやっと本音を打ち明けられた解放感から、自分の正当性を認められた安堵感から、再び泣きそうになるのをこらえながら、続けました。

「……私はそんな人達とは、もう関わりたくありません。それなのに、距離を置こうとすると、『自分勝手だ』『偉そうだ』『裏切り者だ』などと言われるのです。彼らは弱そうに、時に優しそうに振る舞って、私のことを『酷い奴だ』と悪者に仕立て上げるのです。私はただ、自分を護りたいだけなのに。相手に従って、急なことですら満足できるよう応えて当然で、気分次第の酷い仕打ちも黙って受け入れて当然で、だから、それすらも許されないのです。ああ、ああ、どうしたら……、」

「まあ、まあ、待ちなさい。落ち着いて、少し、考えてみましょう。まったく、酷い人もいるものですね。何も悪くない貴女をこんなにも苦しませるなど……」

 助言師はなだめ、諭すように語り掛けます。

「……ふむ、ですが。『鏡の法則』、というものをご存知でしょうか?」

「……いえ、まったく。どのようなものでしょう?」

「なに、簡単なことですよ。認めたくはないでしょうが……『嫌いな人は自分の鏡であり、実は同じ要素が自分の中にあるから、自分の周囲にそういった人が現れる。』ということなのです。周囲に怒鳴る人がいるのならば、自分の中に怒鳴りたい欲求があり、周囲に悪口を言う人がいるのならば、自分の中に悪口を言いたい欲求がある、という具合にです。ええ、それは無意識であれ、です」

「そんな……! そんなはずは……っ」

 客人は否定したいのですが、助言師の言うことです。国公認の、正式な、こういった相談を専門とする相手なので、自分よりも自分の状態を正確に判断できるのだと考えれば、無闇に反発するのも気が引けました。

「……では、私のせいで、私はこんな目に遭ったと言うのですか……?」

 そう、客人は誰を責めようにも行き場の無い苛立ちを迷わせます。しかし、助言師はおもむろに首を横に振りました。

「いえ、いえ。『貴女』のせいではありません。『貴女に潜む要素』のせいで、貴女は苦しめられている、ということなのです。……ああ。では、見方を変えてみてはどうでしょう」

「……と、いいますと……?」

 唐突に思い付いたように言う助言師に、客人は少しの不安を抱きつつも、問い掛けました。

「自分にもその要素があるからこそ、相手の本質をより詳しく理解し、より的確な対処ができるのでしょう。同じ要素でも、善し悪しは使い方次第なのです。例え同じく嫉妬をしたとして、それで自分を伸ばすか相手を引き摺り下ろすかは、人それぞれでしょう? そして、要素は定義を広げる程、誰もが持ちうるものなのです。今回のそれは、貴女にしか耐えられない傷を作るのでしょう。それは、貴女にしかこなせない調整を要するのでしょう。それは、他の方ではすぐに潰れてしまうような、大変な厄介事なのです。ああ、どうか、落ち着いて、考えてみてください」

 助言師は続けます。

「もしかしたら。それが、貴女の真の『お仕事』なのではないでしょうか。例え、表立って評価をされずとも。ええ、きっと、貴女にしかできない、特別な、言うなれば天からうけたまわった、『素晴らしいお役目』なのです。……そう、ならば――――」

 そして、わずかに開いた扉の隙間から沁み渡るように、続く言葉は客人の心に流れ込みました。

「――――そこにいる皆を救えるのは、貴女だけではありませんか?」

「……私、だけ……」

 客人が言いよどんだ言葉は、なんとか納得しようと思案する重さを飲み込もうとするように、喉につっかえました。

 そこに、助言師は穏やかながらも畳み掛けるように、少し高揚した声色になりました。

「さあ、さあ。どうです? またやっていけると、思えましたでしょうか? 大丈夫。貴女になら、できるはずですよ」

「……、えぇ」

 客人はされるようにして、小さく息を飲みました。

 なんということでしょう。

 ただの不快感から一転。大役を任せられたような責任感を得て、その記憶はむしろ、快感へと上書きされました。

『期待に応えたい』という希望が、客人の心を満たしていったのです。

「それは良かった!」

 ぱん、と両手を叩いて、助言師は嬉しそうに、満面の笑みを浮かべました。そして、細く弧を描いた目が薄く開かれ、同じく裂けた口から、すっきりと落ち着いた声が覗き、這い出ます。

「……さて。私の『助言』は、お役に立てましたでしょうか?」

 静かに地を辿り、身体からだの芯の底から柔らかく纏わりつくような後押しが、客人を抱き締めました。

「……はい。ありがとうございました。私、また頑張ってみます……!」

 客人は頷いて、顔を上げました。その口元には、小さく、しかし力強い、本物の笑みが戻っています。

 安心に似た決意を宿した瞳に、再び光がともりました。



 今日もまた、客人が去れば、扉が閉まります。そのベルの音が静まると、助言師はくつくつと笑いが込み上げてきました。

「――――ああ、なんて馬鹿馬鹿しい!」

 独りになった助言師は、高らかにわらって言いました。

「『相手が自分の鏡』だなんて、そんな理屈が当てはまるとしたら、精々が『自分を粗末に扱うから同様に粗末に扱ってくる者がたかる』というだけでしょうに。まるで歯車の凹凸が噛み合うように、我慢できる程、我慢のできない我が儘を呼ぶのです。しかも、それが自分の負荷を肩代わりして『実力以上の自分』という理想の素晴らしい姿を現実へと映してくれる『鏡』ならば。……さぞ、『人気』でしょうねぇ」

 一つの焦点、『相手に対する違和感』を悪い部分だけに絞って色眼鏡を掛ければ、俗に言う『鏡の法則』は完成するのです。

 それは、『自分が欲しいものを持つ相手が目に付きやすい』という性質ですらありませんでした。

 人は生存本能によって悪い印象の物事の方が記憶に残りやすいものですが、別に悪い例だけに注目せずとも、有象無象の中、自分とは違う価値観での言動には違和感を感じ、目立って見えるものです。一過性のそれを無関心に『どうでもいい』と受け流すか、『素晴らしい』と感化されるか、『合わない』と受け付けないか。その反応が、人それぞれなのです。

 そして、身の程知らずの自分勝手で、すべてが自分の思い通りでなければ気が済まない者程、高らかに騒がしく喚くのです。しかも、相手に求める条件の難易度は高く、数も多い。それなのに、自分はそれをできないでいることも多いときます。例えば、『自分さえ良ければいいのか』と詰め寄る者は自分の心地良さだけ考え、『頭を使え』と貶す者は反射的に感情を晒け出し撒き散らすのです。他人へ求めるものが多い割に、自分が持たないものも多いとなれば、該当する範囲がお互いに広いのですから、そりゃあ悪い例も多くなるはずです。

 もちろん、類が友を呼ぶ、というのも事実ではあります。人は同じ感性の者とつるみたいものですし、それは人に限らず、性格が悪い者は無意識に悪い環境や日取りを選びやすく、また、選ばれやすいものなのです。

 しかし。情けを掛けたり騙されたり脅されたりするような隙があれば、まともな人だってそれに巻き込まれることもあるのです。

 都合の悪いことというものは、自分のことばかり考える身勝手で不誠実な者程、自分は間違っていないと確信し、見向きもしないものですが、他人に配慮ができる誠実な者程、自分を疑い省みて気にするものです。

 だから、優しい人は罪悪感を煽れば、悩みの迷宮へと簡単に囚われてしまうのです。

『自分に悪いところがあるからこうなるのだ』、と。

 すると、どうです。絶対に逆らわない、服従した傀儡の出来上がりです。それも、つけ入る隙があるどころか、自らすべてを誘い入れる逸品です。

「そもそも。もし、周囲が自分と同じ性質の者ばかりならば、相手と同じ要因が自分にもあるのならば。何故、医者は実例を見て学ぶことはあれ、自身に掛かるすべての患者の症状に羅漢していない? ああ、やさしい、易しい。実に扱いやすい。だから、悪い奴に『カモ』にされるのです。『嫌な奴が身近にいるのは、自分が嫌な奴だからだ。だから、『広い心』と『優しい対応』でそのすべてを受け入れ、決して抵抗せず服従するべきだ。』……そんなことをして得をするのは、その相手と奴隷商くらいのものでしょうに」

 最後には微睡まどろみをゆったりと揺蕩たゆたうように、穏やかな声色はいでゆきました。

「見栄も卑下も無く、ただ等身大の『自分』でいることこそが、本領を発揮できる最善の状態。合わない居場所が嫌ならば、てればいいだけのこと。……嗚呼、ですが、ですが。人々を『やる気』にさせるのが私の『仕事』。私の『役目』。でなければ、この『素晴らしい社会』は回らないのです。……ねぇ?」

 助言師は振り向きながら、背後へと語り掛けます。

 くるり、椅子を回して真正面に向き合い、にっこり、助言師は笑みを浮かべます。

 その先にある壁に掛けられていたのは、鈍い金色にフチ取られた、余すところ無く真っ赤に塗りたくられた鏡でした。

 何も映さない鏡面に向けられた一言が、跳ね返ります。その熱を肯定するように、まるで同調する者が増えたかのように、助言師の気分を高めます。

 やる気を出させてくれます。

 独りの余韻が、仄暗い虚空に反響しました。


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