急展開
ピンポーンとチャイムが鳴る。寝室のベッドから起きあがる桃瀬は、目覚まし時計で時刻を確認した。夕方である。ピンポーンと、ふたたび呼びだし音が鳴りひびく。
「誰、こんな時間に……」
昨晩、雨にぬれたせいで体調がよろしくない。ただでさえ、石和のことで気持ちがゆさぶられ、会社を休んだ桃瀬は、のろのろとリビングを通過した。セールスならば、居留守をきめこむつもりだった。室内から来訪者を確認できる防犯用の覗き穴へ顔を近づけると、スーツ姿の石和が立っていた。
「な、なんで……?」
あわわててぼさぼさの髪を手ぐしで梳き、ドアの鍵をあけた。
「こんばんは……」先に挨拶をすると、「こんばんは。よかったら、乾杯しませんか?」と、石和はコンビニ袋を軽く持ちあげて訊いた。なかには、缶ビールが二本はいっている。「乾杯? なんの……」桃瀬が問い返すと、「ぼくたちの記念日に」という。
ちょうど一週間前、桃瀬は、石和を部屋に泊めている。すぐには合点がいかず首をかしげたが、「迷惑だったかな」と声を低める石和に、「そんなことは……」と口ごもり、またもやなりゆきで部屋にあげてしまった。きのうから雨はふりやまず、リビングに干してある下着やシャツの存在を、すっかり忘れていた。真っ先にブラジャーやパンティーをピンチハンガーからむしり取り、寝室へ投げこんだ。
「今夜って、バーの仕事がある日じゃ……」
リビングのテーブルにコンビニ袋を置く石和は、「このあと仕度をして行くよ」と応じる。缶ビールだと思っていた中身は、ノンアルコールのスパークリングワインだった。長袖のシャツにルームパンツ姿の桃瀬は、ちょこんと、石和の正面に坐った。
「そんなふうに小さくなっていたら、肩がこるだろう。きみの部屋なんだし、もっと楽にしていいよ」
緊張する相手からリラックスを求められても、うまく力が抜けない。ひきつった表情でフルーティーなワインを味わうと、少し気分はおちついた。休日の桃瀬は、ブラジャーを身につけない。どんなに胸が小さくても、シャツの表面に浮きでるバストトップ(乳頭のことだよ)は、石和の目にもとまった。
「……どうして、帰ったの。圷くんにきいたよ。きのうの夜、レッドサンズへ食事をしに来たのだろう?」
石和の不在を知りながら足を運んだ桃瀬は、「すみません……」と、ひとこと詫びた。レッドサンズのオーナーと石和は旧知の仲につき、桃瀬の行動は筒抜けのようだ。
「なぜ、あやまるんだ。ぼくは、なにも責めていないよ」
桃瀬の思いちがいを正すため、石和のほうから距離を詰めてきた。
「……え?」
シャツの下に腕をすべりこませ、じかに乳房をとらえる。ブラジャーをつけていなかった桃瀬は、ぎょっとしたが、まったく不快ではない感触に驚いて、身動きできなかった。石和の長い指が、小さな胸をやさしく包みこんでくる。
「い、石和さん……、なにを……」
「求愛行動のつもりだけど、理乃ちゃんがいやなら、やめるよ。きみは、とてもかわいい子だから、こうして触れたくなる」
「かわっ!? そんなの、ぜったいに嘘……、わたしなんか……全然……っ」
「彼氏がいるの?」
質問が遅い気もするが、桃瀬は、ふるふると首を横にふった。石和にたいする想いは、この瞬間、確実となった。長い指が心拍数を測るように、心臓のあたりにとどまっている。
「……理乃ちゃん」
名前を呼ばれたが、顔をあげられない。好きなひとに触れられて、いやなわけがない。それなのに、乳首を撫でられた瞬間、「いやっ!」と叫んでいた。腕をふりはらわれた石和は、涙目になってふるえる桃瀬を見て、これ以上の会話はむずかしいと判断した。「性急すぎたかな。……ごめんね」そばを離れると「風邪をひかないように」といって、静かに、部屋を出ていった。
✦つづく