セブンスター
季節は春だが、夜十時というと、街灯がある舗道でも、けっこう暗い。ひとりで夜道を歩く機会の少ない桃瀬は、引ったくりなどの犯罪が不安になり、指定場所までタクシーを利用した。そういった女性の心理を見越してなのか、バースデーカードの裏には電話番号が記入してあった。
「この番号に電話をかけたら、あのひとの個人携帯につながっちゃう感じ? 迎えにきてもらうなんて、図々しくて無理……」
桃瀬の見た目は、二十代の瑞々しさが、あきらかに不足していた。腫れぼったい顔つきはもちろん、ニキビなどの肌荒れにくわえ、二の腕は太く、足もO脚である。夜にふらふら出歩いたとしても、ナンパなど、まず、あり得ないだろう(……べ、べつにいいもん。モテたいわけじゃないから!)。
石和の招待状を手にしてやってきたレッドサンズは、町外れの路地をはいってゆき、T字路の正面に看板をだしていた。店の出入口にはランタンが吊るしてあり、駐車場は満車だ。十周年企画を実施中とはいえ、平日の夜に、なかなかの盛況ぶりである。
ドアの把手に腕をのばして顔をのぞかせると、ちょうど案内をすませた店員と鉢合わせた。
「いらっしゃいませ、こんばんは!」
ホワイトシャツに黒の腰エプロンを身につけた店員は、クリップ付きのネームプレートを胸ポケットに留めている。[給仕係/圷]と書いてある。読めなかったので視線が泳ぐと、「あくつです」と名乗った。片方の耳にだけシルバーのイヤーカフをつけており、ウルフカットの毛先をキャラメルゴールドに染めている。ちゃらちゃらとしたイメージを持たれやすい容姿だが、本人は気にしていないようすで、へラッと笑った。
「もしかして、きみ、理乃ちゃん?」
半信半疑といった表情で、桃瀬の名前を云い当てる。「えっ!」と驚いて顔をあげた先に、カマーベストにクロスタイというユニフォーム姿の石和が、二階からおりてきた。
「理乃ちゃん、来てくれたんだね」
石和のほうでも桃瀬の存在に気がつき、さっそく近づいてくる。紳士のような身装は、ロッジ風の店内と、いまいち融合しない。だが、そんな違和感を吹き飛ばす「イケおじ」オーラを放っている。短く整えた黒髪に、長くて筋のない指、均整のとれた躰つきは、あまりにもうるわしい。
「こんばんは。ようこそ、セブンスターへ」
店名がちがう。石和に見惚れて、聞きまちがえたのかもしれない。ぼんやりする桃瀬に、ギャルソンの青年が説明した。
「昼間はレッドサンズ、夜の二階はセブンスターといって、飲酒コーナーが解禁される。んで、曜日ごとにマスターが変わる。水曜の担当は石和さんってわけ。このひと、バーテンダーの資格をもってて、カクテルを作らせたら最高なんだぜ」
石和は「副業だけどね」と、付けつわえた。本職のほかに、毎週水曜日だけカクテルマイスターとして働く。
「理乃ちゃんのために、オリジナルブレンドを作ってあげるよ。さあ、おいで」
吸いこまれるようにエスコートされてカウンター席につく桃瀬は、夢心地な気分に浸りつつあった。洋楽のレコードが小音で流れる店内に、カジュアルで形式ばらない服装の客が、それぞれお気に入りのグラスをかたむけている。二階はバーカウンターにつき、食事の注文は、一階のレッドサンズですませるのが基本で、ギャルソンの圷が運んでくる。
十周年企画としては曜日ごとにサービス内容が異なり、今夜は食事メニューのクーポン券が配布された。
「理乃ちゃんは、アイスとホット、どちらがいいかな」
カウンター越しに訊かれたが、二十歳になったばかりの桃瀬は、カクテルにホットがあることさえ初耳だ。「おまかせします……」なんとかこたえると、石和は、クラシックなデザインのホットグラスを手にとり、ハイビスカスシロップと白ワインを使ったビタミンティーを作った。ハイビスカスは酸味が強いため、ハチミツをくわえる。すると、グラスのなかであざやかな二層が完成した。
✦つづく